【連載】子どもたちと話したい読書のこと◎島田潤一郎——第17回/ピアノのころ

第17回 ピアノのころ

 世の中にはこんなにもたくさんの本があるんだよ、ということを教えたく、息子と娘を池袋のジュンク堂書店本店へ連れて行ったことがある。
 息子はたしか小学校一年生で、娘は幼稚園の年中さんだった。三人でエスカレーターに乗り、ほらここのフロアも本でいっぱいだし、ずっと奥まで本が並んでるんだよ、と説明をした。ふたりはまだ語彙がすくなく、へえすごいね、とか、パパの本もあるの? などといった。ぼくたち家族は見知らぬ本屋さんへ行くと、よくぼくの本を探すが、このときはぼくの著作も夏葉社の本も探さず、まっすぐに八階の児童書売り場へ行った。

 このときに息子がなんの本を買ったのか、覚えていない。娘はそんなにも迷わず、ミニ鍵盤のついた「アナと雪の女王」のピアノ絵本がほしいといい、それをたいせつに持ち帰った。
 それからしばらくのあいだ、娘はぼくも妻もおどろくぐらいに、二十三鍵しかないそのおもちゃのピアノを毎日弾いていた。

 ぼくたち夫婦はふたりとも音楽が好きだが、楽器を演奏することができない。娘の様子を見て、この子はピアノを習ったらいいんじゃないかな、とある日切り出すと、妻も、そうかもしれないね、といった。娘も、やってみたい、というので、彼女が年長に進級したタイミングで近所のヤマハ音楽教室に入室した。

 それからは月に三回、月曜日の夕方にぼくは娘を自転車のチャイルドシートに乗せて、教室に通った。教えてくれるのは若い女性の先生で、ぼくたち家族のほか、四つの家族が、ドーとか、ドミソとか、ト長調などと先生の教えを復唱した。
 娘はたのしそうな様子をまったく見せなかったが、ぼくはたのしかった。小学生のころにリコーダーで挫折して以来、楽器全般にたいして苦手意識があり、楽譜を読むこともずっと敬遠してきたのだったが、幼稚園児でもわかるくらいに咀嚼された説明を聞くと、ト長調がどういうものなのかなんとなくわかったし、子どもたちがピアノを弾く音がなにより耳に心地よかった。

 教室にはひとり、耳のいい男の子がいて、その子は年中さんだったが、先生が指導したとおりに、いつでも音に強弱をつけることができた。一方、娘は短い指でただ鍵盤を押すだけで、音に表情がなかった。
「◯◯くん上手いよね」
 帰り道で、毎回のようにそう話しかけ、間接的に、ああいうふうに弾いてほしいな、と娘に伝えたが、娘は自分が褒められないことに不満で、いつもぼくの言葉を聞き流した。

 教室では毎週、宿題が出た。我が家には祖母の家から譲り受けた電子ピアノがあり、たいてい、授業の前日の日曜日の午後にその宿題をやった。ぼくも右手だけで弾くときはいっしょにその宿題に取り組んだが、やがて(といっても一年以上経ってからだが)両手で弾く課題が出されるようになると、鍵盤の前に座ることをあきらめ、娘のうしろで彼女がピアノを弾く様子をながめた。

 二年目の秋になると、初めての発表会に向けての準備がはじまった。教室のレッスンのなかでも、ひとりひとりが課題ができているかどうかを発表する機会が増え、緊張と、それを克服したことのよろこびのふたつを子どもたちは経験することになった。
 娘はみんなの前でピアノを披露するときはカチコチになって、表情は消え、声もほとんど出なかった。曲が終わると、椅子から立ち上がり、深くお辞儀をして、走るようにしてぼくのもとへやってきた。そのたびに、すごいねえ、すばらしかったよ、と頭を撫でた。

 娘以外のすべての生徒たちはピアノの発表会に向かって練習をはじめたが、娘は次第に教室へ行くことにも抵抗をするようになり、やがて、レッスンを休むようになった。
 毎回、ピアノがはじまる時間になると、娘はお気に入りのタオルケットを顔にあて、行きたくない素振りを見せる。「せっかく練習したんだから行こうよ」と最初はやさしく声をかけるが、なんの応答もないとだんだん苛々してきて、「行くの? 行かないの?」と余裕のない顔で娘を問い詰める。
 娘はなにもいわない。
 ぼくは娘の気持ちを理解できないもどかしさを感じながら、同時に、ばかにならない一回のレッスン代のことも考えている。
 最後は妻があいだにはいって、「◯◯ちゃん、どうする?」とやさしく娘に気持ちをたずねる。
 娘はタオルケットを顔に当てたまま、小さく顔を横に振る。

(続く) 

島田潤一郎

しまだ・じゅんいちろう 1976年、高知県生まれ。東京育ち。日本大学商学部会計学科卒業。アルバイトや派遣社員をしながらヨーロッパとアフリカを旅する。小説家を目指していたが挫折。2009年9月、夏葉社起業。著書に『父と子の絆』(アルテスパブリッシング)、『長い読書』(みすず書房)などがある。

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