第22回 駅弁の掛け紙(その1)《スキー編》
板状に加工した一対の木を両足にはいて雪上を移動するスキーの歴史はとても古く、明確な起源をたどることができない。北欧神話の狩猟の神はスキーの神としても崇められていた。万国共通となったスキーの呼び名の語源は古代ノルウェー語のシー(skith)という言葉で、薄板の意味だという。16世紀頃から北欧とロシアの軍隊ではスキーが重要な交通手段の地位を占めるようになっていた。
もともとは軍事や狩猟のためにあったスキーをスポーツとして楽しみ、用具の改良にも取り組んだのが18世紀のノルウェーの人々だった。ノルウェーを中心に北ヨーロッパの人々が楽しむようになったスキーは、距離競技とジャンプ競技に大別される。それらは現在ノルディックスキーと呼ばれている。
急峻な斜面で滑走時間とターンの技量を競い合うアルペンスキーは、19世紀末に中部ヨーロッパのアルプス地方で生まれた。アルプス地方のアルペンスキーは長い一本杖を両手で持って滑るスタイルだった。
日本のスキーの歴史は、明治43(1910)年にオーストリア=ハンガリー帝国からテオドール・エードラー・フォン・レルヒ少佐が交換将校として来日したことによって始まる。
レルヒ少佐は明治44年1月に新潟県高田で陸軍第13師団の将校たちにスキーを指導した。明治45年2月には北海道旭川で第7師団の将校たちを指導し、翌年の大正2(1913)年1月に帰国した。少佐が帰国する前年の明治45年9月には、札幌の東北帝国大学農科大学(現・北海道大学)にスキー部が創設されている。
戦前の日本でスキーは軍事技術としての歩みと共に学生カルチャーとして花開いてゆく。昭和4(1929)年に「学生のデパート」のキャッチフレーズで新築オープンした神田の三省堂書店にはスキー用品の専門売り場があった。
この年に公開された小津安二郎の映画『学生ロマンス 若き日』はスキーが題材だった。なけなしの金をはたいてスキー用具を買い揃えた東京の大学生が、相棒の学生と一緒に汽車に乗り、マドンナを追ってスキー場へゆくコメディ映画である。

〔参考文献〕
日本スキー学会編『スキー研究 100年の軌跡と展望』(道和書院、2021年)
三省堂書店編『本と文化の窓 三世代 三省堂書店』(三省堂書店、2001年)
『改訂新版 世界大百科事典』(平凡社、2007年)
【上ヶ島さんの駅弁の掛け紙コレクション《スキー編》】
上ヶ島オサムさんの駅弁の掛け紙コレクションから、大正末~昭和戦前期のスキーのデザインの掛け紙を紹介します。ぜひお楽しみください。(画像をクリックすると拡大表示されます)
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かみがしま・おさむ 紙物収集家。1957年北海道生まれ。東海大学工学部卒。著書に『レトロ包装シール・コレクション』(グラフィック社)、『絵はがきのなかの札幌』(北海道新聞社)、『さっぽろ燐寸ラベルグラフィティー』(亜璃西社)などがある。
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