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網本漁師の長女としてなに不自由なく眞須美は育ってきた。二十五年も前のものだが、次女に宛てた手紙の中で眞須美自身、こう記している。
「本当にバカママでした。まるで子供のように自己中心的でわがままな、とってもぜいたくなママでした。子供からみてもバカママだったね。拘置所で生活をはじめ、一人部屋でゆっくり時間を持ち、ママのバカママさがよくわかりました。ママは小さい時から幸せもんで、おじいちゃん、おばあちゃんはママを怒ったこともなく、かわいいかわいいでお金も自由にして育ちました。なんでも買ってくれたし、35才まで両親に甘えて、まるで自分が子供でした」
両親に溺愛され、一日に何度も衣服を着替える生活を送っていた眞須美。おそらく両親からダメと注意されたことはないのではないか。望めばすべてがかなえられた暮らしをしてきた。
そんな眞須美の獄中生活を支えてきたのは四人の子どもたちだ。その心境を長男に語る。
「児童相談所→施設と、未成年の我が子たちは、子供ながら一人一人どれだけのことがあったのだろうか???と、今も胸が痛む思いで毎日毎日すごしています。長女に母親がわりをお願いするしかなく、全てを長女に妹二人、弟のことを、ただただお願いすばかりの日々で、長女自身のことに思いが至らず申し訳ないです」
「我が子たち自らの苦しいことなどは、私に告げず、手紙や面会にても、私の励ましばかりでした。母親が我が子たちに甘えては、成長を楽しみにして季節の流れを感じて、夫と我が子のみを支えにしてすごしてくることができました。家族は、日本中が、世界中が、あのセンセーショナルな、私=林眞須美=カレー事件の犯人との報道。『ホースでの水まき姿』が日本中に流れ、その中で夫と我が子は苦しい日々を送っているのに、全力で私を支えてくれました」
「それに甘えてきました。一人一人の思いを全く知らず、甘えていたことに、申し訳ない思いで今はすごしています。令和三年六月九日に長女と孫二人を亡くしたことは、一番の悲しみであり、長女と孫二人に申し訳ない思いでいっぱいです」(6月7日)
2021年6月9日、大阪府泉佐野市のりんくうタウンと関西国際空港島を結ぶ関西国際空港連絡橋から、三十七歳の女性が四歳の女児を抱いて身を投じた。無理心中と見られる。死亡した女性は林眞須美の長女祥子(仮名)で、女児は祥子の次女だった。
飛び降り自殺をはかる直前、祥子は自宅から「長女の意識がない」と一一九番通報。救急隊によって病院に救急搬送されたが、長女(当時十六歳)の死亡が確認された。死因は外傷性ショックで、日常的に虐待を受けていた。祥子は二度結婚し、虐待死が疑われるのは前夫との間に生まれた長女で、溺死した四歳の次女は再婚した夫との間に生まれた子だ。
林眞須美は長女、そして二人の孫をいっぺんに失った。釈尼妙理三十七歳、釈尼妙心十六歳、釈尼妙央四歳。三人の法名だ。
「浄土真宗の教誨を一ヶ月に一回受けており、O先生と一緒に三人の法名をつけて、365日毎日供養につとめています」(6月7日)
「長女への思いがいたらずに、申し訳なく、孫2人と3人への供養が私の人生です。〈生花〉も月、木曜日、自弁購入申し込み品交付が週2回あり、外の方よりカンパ金があれば購入し、レッド色のカビンにホワイト色の机の上において四六時中みつめ、みつめられて一日何回も水をかえてすごしています。Vサインの笑顔の長女や孫の写真も写真たてに入れて、四六時中、目にして過ごしています」
「ディズニーランド、ディズニーシーでのVサインの笑顔は、もう最高です。私へのVサインです。ディズニーシーに、長女は何回もいっていたのです。6月6日は〈ファンタジースプリングス〉のオープンとのことで、死刑判決など受けていなければ、真っ先に行っていただろうに!!と思い過ごしています。母と私で我が子をディズニーランドに何回も連れていっています」
「長女の最後となった面会のことは……。今にも泣きそうな、大泣きしそうな顔でした。私が愛おしい初孫にと送っていたサンリオ・キティのタオルも大きなカバンに入れており、届いた?と聞くと、見せてくれました。そのとき両手でタオルを握りしめて……。その時はそんな気にしてなくて。ただ、長女が〈早く無罪にならんと、もう死んでしまうやん〉と言ったのです。それくらい苦しいことが何回もあったのだろうと……」
「関西空港には食事、ショッピング、海外旅行、北海道旅行と何度も行っています。長女は最後に車を停めて身を投げたあの場所に止まり、それまでにも何度も思いとどまり過ごしてきたのだろうと思うと、かわいそうで仕方ありません。私は母親なのに、逮捕後も、長女に甘えてばかりで、長女の苦しみなどまったく思いもせず……、取り返せないことであり、一生生きている限り、長女と孫2人、3人の供養に努めます。
長女はいつも笑顔で、おじいちゃん、おばあちゃんともいつも一緒で元気だよ、と私に言います。そして、こっちの方が幸せだよ!!というのです。長女はいつも私のそばにいます。長女らしいいつも笑顔です」(6月7日)
「いつも3時ころ起きて、長女と孫2人の3人への供養の時間にしています。6/9で3年でしたが、毎日毎日3人ともかわいそうで、かわいそうでもうたまらない日々、時間です。いろいろと話もしてすごしています。そばにいつもいるようですごしています。一緒に音楽を耳にしたり、いろいろ話をしたりして、長女の好きな曲や好きなものとかを、話をして一緒にすごしてきています。そばにいつもいます。身近にいると感じてすごしています」(6月21日)
「〈死刑囚〉だ、〈人殺し〉だとしては、まったくすごしてきてもいないです。二人以上も殺した有罪の人たちと一緒にされたくもない。カレー事件にはまったく関係していないのです。今、サザンオールスターズの新曲『恋のブギウギナイト』、6/25~毎日必ず一回以上ラジオで耳にして、長女と一緒にルンルンしてすごしてま~す」(7月3日)
「まだ外は暗い早朝に、いつものように目覚める。たぶん3時か4時くらいと思いすごす。
〈時間は公平に流れている〉写真たての写真を目にしては話しかけてすごす。今年は七夕に、思いも別になくて何も書けない。ただただ愛しい愛しい愛しい長女が七夕なのにとかわいそうで、かわいそうでたまりません。今でも死亡したと認めたくありませんし、いつもそばにいます。夏になったんだ。かき氷、夏祭り、花火、海、プールなど長女が中心となり、花火も買ってきたりして過ごした夏が思い出されて……」(7月7日)
「AM3:00すぎよりウツウツ。最近またこのパターンとなっています。パァッとトイレにいこうと起きた時、窓外は暗いのに、居室窓外に青色の上下が目に入り、パッと消えてしまったのです。私が寝ている時に長女が窓外にいたに違いないのだわと思い話しかけてすごす。そんなに逃げるようにして消えんでもいいのに……。7:30 起床後、朝食が来るまで毎日、南無阿弥陀仏と三人の法名を何回も書いてすごす日々です」(7月18日)
長男に宛てた手紙からは、長女と二人の孫を失った林眞須美の後悔と自責がうかがえる。獄中で供養の日々が今も続く。
逮捕前、家を取り囲んだ報道陣にホースで水をかける林眞須美からは想像できないが、彼女は読書愛好家である。
以前は村上春樹にはまっていると伝えてきた。『1Q84』を拘置所内の図書館で借りて1、2巻を読み、3巻はクリスマスプレゼントに子どもたちが差し入れた。「感激して一気に読んだ」という。
好きなのは恋愛小説。
「一途な恋が大好きで、私自身も恋は一途。他の人はまったく目に入らなくなってしまう。『1Q84』の青豆さんと天吾さんの10歳頃よりお互いの一途な思い、10年以上、15年、たぶん一生……、この一途に思い続ける姿が大好き」
桐野夏生から東野圭吾、奥田英朗、湊かなえ、夢枕獏、さらには内館牧子から日野原重明と広範囲。その中でも特に印象に残っているのが新堂冬樹の『忘れ雪』。
「物語に登場する一途な女性が自分と重なり大好き」
渡辺淳一著の『あじさい日記』。この作品には特に心惹かれたようだ。
「行きたい、過ごしたい横浜ベイブリッジ近くのホテルも出てくるし、自分の姿に置きかえて、その場その場に自分がいて過ごしているように思い、感じ一気に読みました」
東野圭吾の『聖女の救済』には「毒入りカレー事件」「亜ヒ酸」「スプリング8」が出てくる。
「裁判を意識してくれたのかな? なんて思いながら目にしてた」
そして、今は『ロスジェネの逆襲』(池井戸潤)、『花ものがたり』(高橋治)、『走ル』(羽田圭介)、『潮鳴り』(葉室麟)、『夢幻花』(東野圭吾)、『くもをさがす』(西加奈子)などの書籍を予約し、DVDも視聴可能で『スパイダーマン』『鬼滅の刃』『名探偵コナン』なども申し込んでいる。
しかし、死刑の執行に脅える日々であることには変わりない。
再審請求をしているからといって死刑の執行が停止するわけではない。実際、死刑の執行は行われている。2018年、死刑が執行された十三人のオウム真理教元幹部のうち十人は再審請求中だった。当時の上川陽子法相は「再審請求をしているから死刑執行をしないという考え方はとっていない」と明言した。
白髪が多くなり、歯も抜け、林眞須美は六十三歳を迎えた。面会を続ける長男・誠一(仮名)が語る。「母は、『(死刑判決など)私は平気、やっていないから』と答える時もあれば、面会だと言われ、部屋のドアが開けられる瞬間、体が震える時もあるようです」
林眞須美と同様に大阪拘置所に収容されていた元オウム信者の井上嘉浩。2018年7月6日の朝、林眞須美は井上死刑囚の叫び声を聞いている。
〈なんでこんなことになったんだ〉
その直後、刑が執行された。
「それから母は自分の部屋のドアが開くのが怖くなったようです」
手紙で必死に無罪を訴える。
「〈激高〉〈保険金目的〉〈夫やマージャンメンバーにカレーを食べさせて保険目的〉など、警察、検察は記者会見までして公にし、平成10年8月には事実のないことを十分ハアクできているのに、無理に無理をとびこえてのメチャクチャです。〈権力〉以外の何ものでもありません。〈夫〉や〈I氏(いそろう)〉まで本人のサギをすべて私一人の責任にしたことだ。それプラス〈カレー事件〉もだ。日本中、世界中に〈保険金〉〈殺人〉〈夫まで〉〈激高〉〈保険金目的だ〉〈毒婦だ〉〈怪物〉など例を見ない女だとされました。法的な裏付けも、証拠もないのに〈死刑〉にされています。」(日付なし)
「〈死刑囚〉なんていわれたくもないし、話したりされたくもない。〈国家殺人〉だ!!と大叫びしてすごしています。林眞須美は国に殺される理由はありません。殺人犯、人殺し者ではありません」(7月11日)
最高裁は、「動機は不明」のまま「被告が犯人であることは、合理的な疑いを差し挟む余地のない程度に証明された」として死刑判決を下し、動機が不明でも、「林眞須美被告が犯人であるとの認定を左右しない」との判断を示した。
死刑が確定する前、私は何度も林眞須美と面会を続けた。本人に直接聞いたことがある。
「ヒ素をいれたのはあなたではないのか?」
「金にもならないことをするもんか」
建てかえられる前の大阪拘置所面会室で、苛立った表情で林眞須美は答えた。
(了)
たかはし・ゆきはる 1950年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。大学卒業後、ブラジルへ移住。1975年から三年間、サンパウロで発行されている邦字新聞パウリスタ新聞社(現・ニッケイ新聞社)勤務。1978年に帰国後、ノンフィクションを執筆。2000年からは麻野涼のペンネームで小説も執筆している。1987年、『カリブ海の「楽園」』で第6回潮ノンフィクション賞受賞。1991年、『蒼氓の大地』で第13回講談社ノンフィクション賞受賞。日系移民の歴史、在日外国人問題、臓器移植など幅広いテーマで執筆している。