魚類学者で長崎大学水産学部教授の山口敦子さん。子どものころから水の中の生きものに興味津々で、その思いは大人になっても尽きることがない。むしろ深まるばかりの興味に突き動かされ、年を追うごとに幅を広げているという研究内容について聞いた。
「なんで?」と思ったことを解き明かすことが好き
――山口先生は幼いころから魚が大好きで、小学生のときに出合った『ぼくは小さなサメ博士』(矢野憲一著)という本をきっかけに、サメに興味を持ったそうですね。
いま思うと魚をはじめ、水の中の生きもの全般に幼いころから興味がありました。それこそ、「好き」という気持ちがどういうものかがわかっていないくらい小さなころからです。
魚好きというと、姿形が好きだったり、たくさんの魚の名前を知っていたりする人が多い中で、私は少し違ったようです。水族館が好きでよく行きましたが、飼育員になりたいかというと、ピンとこない。それで、自分は魚のことがそれほど好きなわけではないと思っていた時期もあったんです。
子どものころから読書も大好きで、小学校では図書館がとても充実しており(後で聞けば図書館研究の指定校だったようです)、毎日のように昼休みに図書館へ行って、ジャンルを問わず書庫の端から順番に本を借りて片っ端から読んでいました。『ぼくは小さなサメ博士』はその中の一冊で、主人公がお父さんなどの助けを借りながらサメのことをいろいろと調べていくという内容で、様々な種類のサメが紹介されていくのです。そのときに、サメと一言で言い表せないほど多様な形、大きさ、生態のサメがいることに驚き、思わず〝サメノート〟をつくって自分で調べたことをまとめていました。
思い返すと、物心ついて外を歩けるようになった小さなころから「なんで?」と思う発見がたくさんあって、それについて考えたり調べたりすることがとても好きな子どもでした。幼稚園に入ったばかりのころ、ピアノを弾けるようになりたくて、親に頼んで習わせてもらったり、自作の釣竿をもって歩いて行ける限りの場所にある水の中の生きものを調べに行ったり。友達と遊ぶのも、運動するのも好きだったので、子どものころから忙しかったです(笑)。
――独自の〝サメノート〟をつくってしまうくらい夢中だったんですね。サメをはじめとする水の中の生きものへの興味と、考えたり調べたりするのが好きなことがあいまって、魚の研究者になったのも当然の成り行きという感じでしょうか。
それがそうでもなくて、大学時代は有機化学の研究をしていた時期もあったんです。有機化学の研究ものめり込むほど面白くて、それが魚の研究ならもっと面白いのではないかと思い……とはいえ女性の大学院進学はとても難しい時代でしたので、いろいろな方のお世話になっていまに至ったという感じです。
――そうだったんですか。現在は長崎大学水産学部におられますが、学部初の女性教授だったとうかがっています。
私が研究の道を歩み始めたころの水産学の世界は完全な男性社会で、ロールモデルもいなかったので果たして女性にできるのかと、皆が半信半疑、戸惑いがあったように思います。十年この世界にいられたら次の目標を考えようと決めて、とにかく結果を出していくことが大事でした。
壁にぶつかることはいくらでもありましたが、フィールドへ出ていけばまだ誰もやっていない面白い研究テーマや、社会貢献できそうな課題も次々に見つかりました。研究できる仕事につけたことがとにかく幸せで、研究が心の支えでもありました。自信はないけど、失敗は怖くない。あとは時間が解決してくれることも多かったですね。諦めず、やり続ければなんとかなる、いくらでも立ち上がれると実地で学びましたし、学生たちにもそう教えています。

エイの胎仔の研究が進化の過程を解き明かす?
――魚類研究者として、具体的にはどんな研究をされているのですか?
分類学や生態学、水産資源学や漁業学などのほか、生態系のメカニズムや環境、生物多様性の保全などについても幅広く研究しています。
IUCN(国際自然保護連合)には「種の保存委員会」があり、私はその中のShark Specialist Groupのメンバーとして、絶滅の恐れのある種の評価や、「レッドリスト」の作成・公表などに携わっています。最新のIUCNによる評価では、世界のサメとエイの37%が絶滅危惧種であり、地球上の全動物群の中で二番目に絶滅リスクが高いことがわかりました。私は、最新の評価時に北西太平洋海区の代表でしたので、世界中の研究者と協力しつつ、私のこれまでのサメ・エイの研究データを活用しながら100種以上の絶滅の恐れを評価し、報告書を執筆・公表しました。また、「昆明・モントリオール生物多様性枠組」(※)に基づき、これまでの研究成果をもとに有明海をはじめとした日本のいくつかの海をサメ・エイにとっての生物学的重要海域として指定することにも貢献しました。
※2030年までに達成すべきとされる生物多様性に関する世界目標。2022年にカナダのモントリオールで開催された生物多様性条約第15回締約国会議(COP15)で採択された。
エイといえば、実はいま、エイ胎内での胚発生(胚:卵からの発生初期の個体)や胎仔についての研究に取り組んでいます。
ごく幼いころ、家にいた熱帯魚が水の中を泳いでいるのを見て、なぜだか懐かしい気持ちになり、自分も昔は水の中で暮していたんじゃないかと思うことがありました。幼稚園のころには「大きくなったらクジラになって海に戻ろう」と思ったりもして、三歳くらいまでは胎児期の記憶があるといいますから、それが影響したのでしょうか。
そのことがエイの胎仔の研究に結びついたかどうかはわかりませんが、子どものころから魚に興味を抱いてきたのは、ひょっとしたらヒトも含めた生物がどのように進化してきたのか、その過程が無意識のうちに気になっていたからかもしれません。
――エイの胎仔と生物の進化の過程……この二つにはどのようなかかわりがあるでしょうか。
胎仔の研究は胎生エイの胚休眠(Embryonic diapause)メカニズムの解明につながるのですが、この胚休眠が脊椎動物の進化の過程に深くかかわっている可能性があると考えています。親や子にとって適切な環境になるまでの間、母体が胚の成長を一時的に停止する胚休眠は、不適な環境下にいるエイが、親・子ともどもなんとかうまく生き延びるための生存戦略だということがわかりました。
私は胚の時期に長ければ十ヵ月近くも胚休眠するエイを何種類も発見しました。数ヵ月単位ではなく、もっと短い期間、胚休眠するエイも含めて十種程度。いまはまだ知られていないだけで、胚休眠するエイはもっとたくさんいると思います。さらにいえば、ほぼすべての胎生エイが胚休眠できる可能性や、多様な生物が実は胚休眠できる可能性もあるのではないかと考えています。
脊椎動物は海で誕生し、比較的温暖な海から寒冷な海へと、徐々に分布を広げていったという説があります。その際、寒冷な海ではもといた海と同じようには生活できないため、条件の悪い時期に胚を休眠させることができたとすれば、ある時期に休眠を解除して、最適な時期に赤ちゃんを産むことにより、繁殖成功率を高めることができたはずです。胚休眠という調節機能を持っていたからこそ分布を高緯度な地域に広げることができたのではないか、そして陸に上がってからの生物もその能力を備え、必要に応じて活用してきたのではないか――というのが、私の仮説です。
板鰓類(サメ・エイ類)は、胚休眠するとわかっている生物の中ではもっとも古くからいる生きもので、進化の過程でもっとずっと後に誕生した多様な生物たちも同様の特徴を受け継いでいる可能性があります。実際、胎生の脊椎動物の中に胚休眠することが知られている様々な動物がいるんですよ。具体的にはネズミ、カンガルー、スカンク、パンダやオットセイなんかがそうですね。
研究は基礎と応用を両輪に
進化の過程を紐とく研究に挑むことは、魚類研究を始めた当初から考えていたことではありません。これまでいろいろな魚の比較研究をし、同じ魚でも地域や環境にあわせて生態が変わることも明らかにしてきて、それがどういう規則性で変わるのかもより深くわかってきました。種間の関わりや他の動物群についても研究を進め、そこでようやく、進化についても考える段階に来たんです。
私たちがアカエイでそのシリーズの撮影に成功するまで、胎生エイの胎仔の発育過程を詳細に追えた研究例はほとんどなく、胎仔が子宮内でどう育っていくのかは明らかにされていませんでした。私自身、地道にフィールドと研究室での調査研究を重ね、アカエイの繁殖生態と胎仔の発生についての論文を書き上げるまでに十四年を要しました。ちなみに、その後に発表したナルトビエイの繁殖生態の論文も十九年かかっています。
エイは一般に大型でサンプリングが難しいうえに飼育も困難で、子宮の中を直接観察することもできません。また、休眠期以外の胎仔の発育は著しく速く、捕獲時には流産しやすいため、タイミングよく胎仔を見つけるにも、まず漁師さんと一緒に乗船しなければ話になりません。
流産しやすいことに気づくのにも数年かかりました。流産や休眠に気づいたのも、エイが温暖化で異常発生したと疑われ、エイを駆除し始めたことがきっかけで、そのことに疑問を持ち、真実を調べてみようと思い立ったからでした。その当時、世界的にエイの研究者はほとんどいませんでしたから、調査方法の確立から始めました。漁師さんたちのエイ駆除に同行し、捕獲直後のエイからこぼれ落ちそうになる休眠卵、受精卵や胎仔を採集して固定し、研究室で胚を詳しく調べました。

(写真:山口敦子・古満啓介)

卵黄を消費した後は子宮から分泌されるミルクを飲んで育つ
(写真:山口敦子・古満啓介)

(写真:山口敦子・古満啓介)
――エイが駆除されているのは、あまりにも大量に発生したためですか?
漁業資源であるアサリを食べ尽くすと疑われたからですが、この二十年超、食性の研究も続けてきて、実際はそんなにアサリを食べてはいないことがわかってきました。私たち人間と同じく、生物はもともと別の生物を食べて生きていますから、「食べること=問題」ではないはずです。
いま日本では、漁業資源を食べる捕食者を、対症療法的に、疑わしいものも含めて駆除して減らそうとする傾向があるのですが、食物連鎖の上位にある捕食者が存在することで生態系をコントロールする働きがあるので、捕食者を守ることが貝などの資源を守ることにもつながるはずです。サメやエイに限らず、生態系の多種多様な硬骨魚類も研究対象とし、物理環境も同時に調べ、食う-食われるの関係も解き明かしたうえで、生態系をまるごと管理する研究プロジェクトも進めているところです。
――先ほど「幅広く研究」されているとおっしゃっていましたが、お話を聞いていると、まさにそのとおりだと感じます。
研究が進めば次の課題が出てきます。私にはとにかくやりたいこと、やるべきことがたくさんあるので、基礎と応用を両輪にして研究を進めています。私たちの研究では公的な資金も使いますし、生きものの命もたくさんいただいて科学的な知見を得ている。そのことに、少しでも見合うように研究しなければならないと思いますし、子どものころからずっと世の中の役に立ちたいという気持ちが強かったんです。なので、応用のほうは社会貢献を念頭に置いています。
エイの胚休眠は「それって誰の役に立つの?」と言われるような基礎研究の類ですね。生態系管理は海を守ることにつながるので、こちらは応用です。実はエイの胚休眠は温暖化に関係している面もあるので、生態系管理など社会貢献の際の基礎としてもすでに大いに役立っているんですよ。そんなふうに基礎と応用を同時に進めつつ、研究を通してより多くの人に、海の生態系や生物多様性の保全に対して関心を持ってもらえたらと思っています。
(次回「後編」へつづく)
やまぐち・あつこ 長崎大学水産学部教授。魚類学・水産資源学を専門としつつ、海の生態系や生物多様性、温暖化による影響評価、魚食文化など、幅広い視点から研究を行っている。編著・共著に『干潟の海に生きる魚たち』(東海大学出版会)、『海藻を食べる魚たち』(成山堂書店)などがある。