月刊『望星』は2024年11月から『web望星』として再スタートを切りました。

【フォトエッセイ】虫めづる奇人の回想◎小松貴――第70回/タガメはこの世の生物か?

第70回 タガメはこの世の生物か?

 私は長らく、タガメという生物の存在を根底から疑っていた。タガメといえば、池や田んぼに住み、鋭いカマ状の前脚で手近に来たカエルやら魚やらを取り押さえ、鋭い口吻を突き刺して中身を吸い尽くす、「水中のギャング」などと呼ばれる、あのタガメだ。 

 幼少期より、ひたすら虫ばかり探し続けてきた。日本各地の津々浦々、虫を求めて行脚する中で、私はこれまで他の昆虫学者共すら見たこともないような虫を発見し続けてきた。しかし、タガメだけはどうしても、日本のどこからも発見することが出来ずにいた。水生昆虫を捕まえようとタモ網で池を引っ掻き回すなど、幾億と繰り返したか。それでも、タガメは一度も網に入らなかった。ミズカマキリやタイコウチ、ゲンゴロウといった他の水生昆虫のメンツはいくらでも網に入ったのに。 

コオイムシ。水田に住む小型の水生昆虫で、タガメの親戚筋だが別物。場所によっては普通種

 なぜ、世に数多出版されている昆虫図鑑に必ず載っているそれを、私は一向に手に入れられないのか。実在しないからだ。今やタガメは絶滅危惧種で、そう簡単には見つからないなどと巷で言われている。しかし、いくら絶滅危惧種だからと言ったって、これだけ日本中を虫探しの目的のみで駆けずり回っていれば、いつかどこかでタガメに出くわしてもいいはずだ。都合40年以上もそれをやって、なお一度たりとも見つからないのは、そもそもタガメがこの世にいないから以外に考えられない。 

 昆虫図鑑にあるタガメのページは、捏造の産物である。当然、インターネット上で画像検索して出て来る、タガメの写真と称するものは、全てがCGで作られた合成画像に過ぎない。最近では生成AIなどといって、実在する生物の写真画像を元に、いかにも本物っぽい架空のクリーチャー画像を作り出してしまう技術だってある。タガメの写真なんて、どうせカマキリか何かの写真をパソコンでこねくり回して作ったんだろ? 俺には分かってるんだよ。だいたい、あんなふざけた形の生き物が実際にいる訳がない。だから、私は長らく「タガメなんて存在しません」などと自著にも書き殴ってきたし、ラジオに出演した時でさえいけしゃあしゃあと言ってのけてきた経緯がある。 

 それがつい一昨年、東日本某所の溜池で採れてしまった。タモ網に、まるでカニか何かのような、シャカシャカ動くでかい奴が入った瞬間、戦慄が走った。 

水田で獲物を待ち伏せるタガメ
水中の様子。王者の風格さえある

 その後、二、三の場所で私はタガメを捕らえる機会を得て、タガメ実在肯定派にあっさり寝返った。そして事あるごとに、「タガメも見たことないような奴がこの世にいるらしい。信じられん。そんな奴本当にいるなら、実に哀れで無様で、もう生きてて恥ずかしいとも思わないのか尋ねたいくらいだな」と嘲笑するようになった。 

 それを言う度に、妻から、「今までずっとモテなかった男が、何かの間違いで一回モテた気になると、『所詮女ってのはさあ……』みたいな事言い始めるのにそっくりやな」と評される。 

捕食時には強力な消化液を注入し、骨すらも溶かして吸い上げる。写真の魚はフナ
幼虫も、体格を無視して獲物に挑みかかる。共食いが激しい
小松 貴

こまつ・たかし 1982年神奈川県生まれ。九州大学熱帯農学研究センターを経て、現在はフリーの昆虫学者として活動。『怪虫ざんまい―昆虫学者は今日も挙動不審』『昆虫学者はやめられない─裏山の奇人、徘徊の記』(ともに新潮社)など、著作多数。