第75回 清張さん、そのヨウザワメクラチビゴミムシは……
松本清張の短編集『死の枝』は、様々な人々が必要に駆られて人殺しを働き、ついには破滅していくさまを描いた作品集だ。登場する犯人たちは、いずれも己のしでかしの足がつかぬよう、実に入念に下準備をして完全犯罪を目指し、見事それを成し遂げたかに見える。しかし、それらは後に例外なく「何でそんなところから??」というような、本当に些細なきっかけにより、白日の下に晒されてしまうのだ。
普段、美少女ばかり出てくるラノベしか読まないことで近所でも評判なこの私が、ひょんなことからその短編集を読む機会を得た。基本的に、どの話も面白い。面白過ぎて、そこそこな文量の本なのにあっという間に全部読み終えてしまったほどだ。さすが天下の松本清張!と言いたいところだが、そのうちのある一編の内容に関しては、昆虫学者の立場から見てどうにも黙っていられないくらいに話の設定がひどい。とある女が痴情のもつれから、交際していた男を殺害しようとする話なのだが、以下壮大なネタばらしが続くので注意。

女はカメラを購入した上で「景色のいい場所で記念撮影しよう」などと適当な事を言い、男を東京の高尾山裏にある崖沿いの登山道まで誘い出す。そして、崖っぷちギリギリの所に男を立たせ、撮影するかに見せかけたその刹那、思いっきりタックルをかまして、ものの見事に崖下へと突き落とす。その後、男が確実にくたばったかを確認すべく、地面にカメラを置いてから苦労して崖下に降りる。男の息がないのを無事確かめた後、崖上に戻り地面に置いたカメラを拾い上げると、そこに赤蟻じみた虫が何匹かいて、カメラに這い登っているのを認めた。女はそれを適当に払い退け、開いていたカメラの裏蓋を閉めた。その後、男が自ら墜落したかのように警察に通報し、大して疑われることもなく帰宅。カメラは行きずりの駅に放置する形で捨て、以後、女は何事もなかったように過ごす。
ところが、そのカメラが後にコソ泥に置き引きされた挙句質に入れられ、かつそのコソ泥が間もなく警察に捕まった事で、カメラは持ち主の元へと返されるべく質屋から警察の手に渡ってしまう。警察は、カメラの裏蓋に挟まれて潰れていた赤蟻じみた虫を不自然に思って専門家に鑑定させ、それが「東京周辺では高尾山にしかいないヨウザワメクラチビゴミムシ」であることを突き止める。その事実がどうにも気にかかった警察が、実際にその虫が生息するという高尾山に出向いて捜査したところ、そのカメラの持ち主たる女の完全犯罪がものの見事に暴かれる……という内容となっている。
一見、実に鮮やかな謎解きストーリーに思えるこの話だが、実のところあまりにも荒唐無稽で内容に致命的なアラがある。しかし、そこに突っ込みを入れると、事件解決までのストーリーの鮮やかさが完全にブッ潰れてしまう。それこそ、作中のヨウザワメクラチビゴミムシの登場のさまの如く。
(つづく)

東京都西部の地下空隙から得られた個体

関東西部の地下空隙や洞窟に住み、しばしばヨウザワメクラと共存する

こまつ・たかし 1982年神奈川県生まれ。九州大学熱帯農学研究センターを経て、現在はフリーの昆虫学者として活動。『怪虫ざんまい―昆虫学者は今日も挙動不審』『昆虫学者はやめられない─裏山の奇人、徘徊の記』(ともに新潮社)など、著作多数。