第77回 「キノコは美味い」までの道のり
幼少の頃の私は野菜が大嫌いだったが、その延長線でキノコも食わず嫌いしていた。キノコが入っているというだけの理由で、私は幼いころから目の前に出されるどんな料理にも手を付けずに、長らく生き続けてきた経緯がある。
しかし、大学進学を期に長野県へ移り住んでからは、そういう訳にもいかなくなった。何しろ、山国信州はキノコの名産地。ありとあらゆる料理にキノコがブチ込まれているではないか。当時住んでいた下宿はまかない付きだったが、ここで出される料理にも毎日例外なく、何らかの形でキノコが投入されていた。ここは実家ではない。実家なら「俺の味噌汁にキノコなんざ入れんなヴォケがァ!」などと母親に年甲斐もなく内弁慶ぶりを発揮すればいいだけだが、この下宿で出された飯を食わないというのはすなわち死を意味する。食わざる者は死あるのみ。だから、渋々食うことにした。
毎日のようにキノコを食わされているうち、最初は「食わなければ死ぬ」という思いのみだったのが、「悪くないな」程度に緩和されてきた。しかし、依然として好きこのんでキノコを食う気にはなれないまま、機械的にあの繊維質を口中で二度三度甘噛みしては、早急に飲み下すという日々が続いた。そんなある日、予想外の出来事が私の中の旧態然としたキノコ観を180度ひっくり返してしまったのである。

類縁関係にないキノコゴミムシ(後出)と、なぜか模様が全く同じ
そのきっかけたるや、あろう事かとある昆虫図鑑をひも解いたことであった。その図鑑の中に「キノコを食べる虫」というページがあり、キノコを餌とする多種多様な甲虫類の存在することが、都合2ページ分も割いてとうとうと語られていたのである。その文章の冒頭で、「キノコは地面や倒木など、基質から吸収した重要な元素を高濃度で濃縮しており、昆虫類にとっては栄養の塊とも言えるもので……」といった話が書かれていた。私はこの文章を噛みしめるように読むうち、キノコというものが何だかものすごく滋養に満ち満ちた、ハイパースタミナ食のように思えてきたのだ。ならば、俺もキノコを食おうじゃないか。
虫もすなる菌食といふもの、我もしてみむとてするなり。そう思って、私は以後キノコを好んで食うようになった。食えば食うほど、キノコという食材がここまで美味いものなのかと魅了された。あの図鑑の中の、「キノコ虫」の文章を担当した昆虫学者がどこの誰かは忘れたが、まさかその御仁も自分の預かり知らぬところで、自分の書いた文章がどこぞの三流田舎大学生のキノコ嫌いを矯正していたなど、思ってもいないことだろう。感謝しておりますぞ。

数日以内に腐ってしまうスッポンタケの仲間だけを食う珍種

幼虫はある種の菌類から吸汁して成長するらしい

地下に生える特殊なキノコを食うらしい

キノコ食い虫を襲う捕食性と考えられる

こまつ・たかし 1982年神奈川県生まれ。九州大学熱帯農学研究センターを経て、現在はフリーの昆虫学者として活動。『怪虫ざんまい―昆虫学者は今日も挙動不審』『昆虫学者はやめられない─裏山の奇人、徘徊の記』(ともに新潮社)など、著作多数。
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