私は林眞須美本人にこう問いかけた。
「ヒ素をいれたのは、あなたではないのか?」
彼女は、こう答えた。
「金にもならないことをするもんか」
2024年7月22日、大阪拘置所で林眞須美は63歳の誕生日を迎えた。この日の様子を長男誠一(仮名)にこう知らせてきた。
「早朝よりセミの大声音にてすごし、大暑だ。63歳のBD(バースデー)だとすごす。BDは心も体も軽くてスリムすぎて↑↑です。スリムすぎる。50kg台にて冷房のある室にて63歳となりました。長男君より冷たい飲料4。コーヒー、カルピス、緑茶、野菜生活交付。死刑確定者にはBDに交付。カルピス、バンザイ山椒(あられ)、コーヒーゼリー、ポテトリングスナック、ハチミツアメ100%。長男君より甘栗、りんご、オレンジ、ミックスゼリー、ヨーグルトゼリー、昼弁当、夕弁当の差入交付。感謝して過ごしています。回覧の読売新聞交付(7/22朝刊のみ)。BDで自弁購入品交付、日用品とパン、飲料8点(アンパンとカフェラテなど)、生花を購入しておりレッド色のカビン満開で、超キレイ。キレイな生花にみつめられてのバースデーです」(7月22日)
逮捕
1998年7月25日、和歌山毒物カレー事件が起きた。和歌山市園部地区の空き地で自治会の夏祭りが開かれ、用意された百人分の手作りカレーを口にした人たちが、突然腹痛を訴え、苦しみ始めた。嘔吐するのと同時に倒れ込んだ。カレーの中にヒ素が混入され、67人が急性ヒ素中毒になり、小学生、高校生を含む4人が死亡した。
容疑者として当時シロアリの駆除業を営んでいた林健治、そして妻の眞須美が浮上し、夏祭りから約2ヵ月後の10月4日早朝、2人は逮捕された。林健治は和歌山西警察署、眞須美は東警察署に連行され、取り調べを受けることになった。この時、長女の祥子(仮名)は中学3年生、次女優子(仮名)は中学2年生、長男の誠一は小学校5年生、三女幸子(仮名)は保育園の年中クラスだった。
林眞須美は、殺人、殺人未遂、詐欺の罪に問われた。無罪を訴えたが、第一審で死刑判決、控訴、上告も棄却され、2009年5月19日に最高裁判所で死刑が確定している。同年6月3日より死刑確定者としての処遇となり、現在は大阪拘置所新舎E棟9階の対面居室棟厳正独居室に収監されている。
「四六時中頭上に監視カメラ、録音、録画にての365日。ドアの外側より鍵がかかり、三畳一間室にて四面楚歌の日々、逮捕日の平成10年10月4日よりもう26年目(10/4で)となります。子供と夫の家族以外は全く相手にもしてもらえない日々となりました」(6月10日)
林眞須美は、逮捕時以降、一貫して無罪を主張してきた。2024年8月から和歌山毒物カレー事件を追った『マミー』が全国で上映されている。チラシには「母は無実だと思う」という誠一の言葉が記載されている。
「6/7金曜日午前中に『マミー』のカラーチラシ交付されました。『日本中の方々に、世界中の方々に目にしていただきたい』。我が子4人は、私のことをママ、ママと呼んでいました。日本中が注目する中で逮捕され、あの日以降、『マミー』となったのです。長女が言い出したのです」(6月10日)
その長女は、2021年、自死を選び、今はいない。
一家の運命が変わったあの日、林眞須美の記憶は今も鮮明だ。
「日本中のマスコミが集中し、頭上にはヘリコプター音で両耳が痛いほどでした。ドアをあけると大勢の刑事たちがいっせいに土足で一階に、二階に、台所に走り込み、すぐに和室縁側のガラスのカギをあけ、縁側からも土足で大勢の刑事たちに母が購入してくれた家に土足で踏み込まれました。私はあっけらかんとして棒立ちでいました。夫も私もまさか逮捕されるなんて……。我が子と離される人生になるなんて……。長い26年です」(日付はないが2024年6月から7月に書かれている)
4人の子どもは養護施設に預けられた。
「逮捕日より長い間、6年7ヵ月も接見禁止とされました。日本での未決者でも私に一番長い接見禁止を日本国はつけていたのです。新聞、本、雑誌等の購入も不許可に、検察官は私にしてきたのです。未成年の4人の子供たちとどうして接見禁止と何か理由があり、日本国は私に強行したのでしょうか。6年7ヵ月も接見禁止は何の目的でしょうか? 大手新聞等マスコミは裏付けのないことを垂れ流し、知らぬ顔です」(日付なし)
目撃証言と鑑定
林眞須美を有罪とする決め手の一つは目撃証言だ。「林さんがコップを持って鍋に何かを入れたら湯気が出て、のけぞった」という証言で、その時の服装は白とされた。それを林は否定する。
「当日の私は黒色柄のミキハウス半袖、黒色の長ズボン、キティちゃんの長女とおそろいで買った厚底サンダルです。白色半袖は私ではありません。平成10年6月に近大病院に入院しており、私は全身麻酔にて3回目の手術をしており、リハビリや術後の治療中です。寝て過ごしていたのですごい肥満です」(6月9日)
私は、死刑確定前、林眞須美と大阪拘置所で何度も面会したが、彼女は「膨張色の白い服など絶対に着ない」と繰り返し主張していた。
祭り会場にあった紙コップのヒ素と、林宅にあったヒ素が同一だとする鑑定は誤りだとして、2009年と2021年に再審請求が出された。
「京都大学河合潤教授の本『鑑定不正』を日本中、世界中の方々に目にしてほしくすごしています」(2021年8月27日)
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河合鑑定は、紙コップに付着していたヒ素と、林宅に残されていたヒ素、さらには鍋に混入する時についたと推定される林眞須美の髪に残されていたヒ素も、「同一のものではない」として、河合教授は「カレーヒ素事件は不正な鑑定による冤罪事件だ」という結論を導き出していた。
しかし、2023年、和歌山地裁は再審請求を却下、林は大阪高裁に即時抗告した。
(つづく)
たかはし・ゆきはる 1950年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。大学卒業後、ブラジルへ移住。1975年から3年間、サンパウロで発行されている邦字新聞パウリスタ新聞社(現・ニッケイ新聞社)勤務。1978年に帰国後、ノンフィクションを執筆。2000年からは麻野涼のペンネームで小説も執筆している。1987年、『カリブ海の「楽園」』で第6回潮ノンフィクション賞受賞。1991年、『蒼氓の大地』で第13回講談社ノンフィクション賞受賞。日系移民の歴史、在日外国人問題、臓器移植など幅広いテーマで執筆している。