【ジャーナル】在日クルド人問題は日本社会の試金石(上)◎高橋幸春

在日クルド人の強制送還が続いている。2025年には40人以上のクルド人が日本からトルコに強制送還された。難民申請を続けながら日本で25年にわたって暮らしてきたMさんも、25年秋に強制送還された。2011年からMさんを支援してきた周香織さんは「2025年夏の参院選後の状況は、過去最悪です」と言う。 

薬すら渡せず 

 2025年6月、Mさんは出入国在留管理庁(入管庁)に六回目の難民申請を出したが不認定となり、8月下旬、入管から送還予定の通知が代理人弁護士にあった。支援者、弁護士は送還の見直しを訴えていた。狭心症をかかえたうえ持病の胆石もあり、支援者の寄付によって10月には手術することが決まっていた。 
 強制送還後のMさんは現在、トルコ当局の監視下に置かれていることが予想される。家族の様子については記述を避けるが、留学などの在留資格を持つ子どもと日本で暮らしたいと在留特別許可(※)を求めていた。この間は入管施設への収容を免れる仮放免という状態だった。 

※在留特別許可とは、「不法入国・不法滞在などで退去強制の対象となる外国人に対し、法務大臣が裁量により例外的に在留を認める制度」のこと。 

 強制送還される以前、Mさんは三ヵ月に一度入管に出向き、仮放免期間の延期更新をしていた。仮放免の申請日は、東京入管の一階で書類を提出し職員のインタビューを受け、何事もなければ、六階に上がって次回の期日のスタンプを押してもらえば手続きは終わる。 
 しかし仮放免の延長が認められなければ、一階からそのまま上層階の収容施設へ連行される。以前は難民申請が続いていれば強制送還はできなかった。そのため午前中に収容されたとしても、午後になれば、家族や付き添いの支援者が面会できた。 
「今は即日送還が急増しており、収容せずにそのまま空港に連れて行かれることが多発しています。面会すらもできなくなってしまいました。家族はMさんに着替えや薬を渡すこともできませんでした」(周さん) 
 トルコ航空のイスタンブール行き直行便に入管の職員が「護送官」として同行するケースが多い。 

「出入国管理及び難民認定法(入管法)」の改正法案が最初に提出されたのは、2021年の通常国会だったが、3月、名古屋入管で起きたスリランカ人女性・ウィシュマさん死亡事件の影響もあり、廃案に終わった。しかし2年後の2023年3月に再提出され、同年6月に可決、2024年6月10日から全面施行された。これには「三回目の難民申請からは相当な理由がない限り送還対象とする」という規定が含まれていた。三回目以降の難民申請者は有無を言わせず強制送還するという強引な処遇が実現した。Mさんのケースはこれに当たる。 

難民認定はわずか一人  

 トルコでは、人口の約2割を占めるクルド人に対し、クルド語の使用に制限を加えたり、人名、地名をトルコ名に変更したりするなど、強引な「同化政策」が推進され、クルド語を話しているだけで国家反逆罪とみなされたりするという。 
 1990年代以降、トルコ政府はトルコ南東部のクルド人居住地域を空爆や戦車で破壊する「無人化政策」を強行し、その結果、故郷を追われたクルド人の数は約300万人、破壊された村は約3000に及び、多くのクルド人が都市部や国外に脱出するようになった。クルド人は「世界最大の少数民族」といわれ、世界に2500万から3000万人ほどいるとみられている。日本で暮らすクルド人は、埼玉県川口市、蕨市に2000人から3000人くらいと推定される。 
 Mさんはトルコで強制移住を迫られ、家も焼かれた。クルド人であるというだけで差別され、身の危険を感じたことからトルコを脱出、日本に逃れてきた。日本を選んだのは、トルコと日本は友好国であるため査証免除協定が結ばれており、日本に入国するためにあらかじめ査証を取る必要がないからだ。 

 日本は、国連の難民条約に1981年に加盟、翌年に発効している。 
 日本では入管庁から難民と認定されると難民条約に規定する保護を受けられる。難民認定は申請者から提出された証拠資料に基づいて判定される。 

〈難民条約第1条又は議定書第1条の規定により定義される難民を意味し、それは、人種、宗教、国籍、特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由として迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができないか又はそれを望まない者〉 

 入管庁発表の資料によれば、これまでに日本で難民申請したトルコ国籍者は2022年445人、2023年2406人、2024年1223人。このうち日本が難民と認定したトルコ国籍のクルド人は一人だけ。カナダの難民認定率94%、アメリカ87%(2024年上半期)、オーストラリア81%とは大きな開きがある(認定率は認定NPO法人難民支援協会のデータ)。 

分断を図っているのか? 

 難民申請をする外国人やオーバーステイを締め出そうとする動きは、すでに2016年4月から始まっていた。法務省入国管理局長から各収容所長と地方入国管理局長宛に通達が出され、これには2020年開催予定の東京オリンピック・パラリンピックに向けて「安全・安心な社会の実現のための取組」について記載されている。 
「近年増加傾向にある不法残留者及び偽装滞在者(以下「不法滞在者等という。)のほか、退去強制令書が発付されても送還を忌避する外国人(以下「送還忌避者」という。)など我が国社会に不安を与える外国人を大幅に縮減することは、(略)喫緊の課題となっています。」 
「不法滞在者等の効率的・効果的な摘発、送還忌避者の発生を抑制する適切な処遇及び積極的な送還執行について、様々な工夫や新たな手法を取り入れる」 

 そして極めつけが2025年5月23日、入管庁が発表した「不法滞在者(※)」ゼロプランだ。 

※国連は1975年の総会で、在留資格のない外国人があたかも「犯罪者」であるかのような印象を与えるとの見地から、「不法滞在者」ではなく、「非正規滞在者」と呼ぶように決めている。 

「強制送還も増えましたが、この数ヵ月の間に多数のクルド人が自主的に帰国していると思われます。強制送還されると、入管の職員がトルコまで同行し、現地の空港でトルコ当局に引き渡されますから、それだけで当局から目を付けられてしまう。トルコから脱出し、日本で難民申請をしていた事実などが明らかにされてしまう不安があるからです。自主的というより、そうせざるを得ない状況を作り出されていると言えます」(周さん) 
 例えば家族のうち父親だけを強制送還すれば、妻や子どもなど残った家族も自主的にトルコに帰国せざるを得ない状況に追い込まれる。日本に残ったとしても家族の在留資格の延期が可能かどうか不安定な状態に置かれる。 
「どんな基準で強制送還する者を選んでいるのか、まったくわかりません」(周さん) 
 在日クルド人の家族を分断する政策が取られている――そうとしか思えない。 

クルド人家族をあえて分断する強制送還を批判する周香織さん 

ヘイトに疲れ果て帰国 

 言葉がまったく通じなかったクルド人の子どもと話したことをきっかけに交流を深めた日本人もいる。 
「最初は妻が公園でクルド人の子どもを見かけたことから、交流が始まりました」 
 埼玉県蕨市に住み、市民団体「在日クルド人と共に HEVAL(※)」代表の温井立央[ぬくい・たつひろ]さんに話を聞いた。 

※「HEVAL」はクルド語で「友達」の意味。

 妻のまどかさんが子どもを連れて近所の公園で遊んでいた。学齢に達していると思われる女の子が二人で遊んでいるのを見て、スマホの翻訳機能を使って二人に話しかけた。 
「学校に行きたいと女の子が言っていたので、学校で学べるように交渉したのが、クルド人支援の最初でした」 
 学校側は当初、クルド人の子どもを受け入れなかった。 
「このドリルが答えられるようになったら引き受けるとか、万が一、急病になった時、言葉がわからないので対応ができないとか、いろいろ理由を付けて遠回しに断られましたが、結局、学校に通えるようになりました」 

 最初はクルド人についてはほとんど知らなかったが、川口市、蕨市に大勢のクルド人が暮らしているのがわかった。そして地元住民とトラブルが起きていることも知るようになった。 
「近隣住民からの苦情が多かったのは、ゴミの分別と騒音でした」 
 市役所はトルコ語に翻訳したゴミの分別方法のパンフレットが出したが、あまりにも細かすぎて、理解できない内容だった。 
「イラストを入れ、簡単にわかるようにしたものを配布し、なんとかトラブルの解消に努めてきました」 

「在日クルド人と共に」では、地域住民とクルド人の交流の場として日本語教室を開催している 

「在日クルド人と共に」の温井さん夫妻は、日曜日には日本語教室を開き、ボランティアとともに日本語を教えたり、彼らの相談相手になったりもしてきた。 
 家族とともに5歳で来日し、現在16歳になる男性は、高校進学を望んでいる。将来の夢はゲームソフトの開発者になることだ。しかし、障害を持つ弟がいて、家計を助けるため、働きながら通信制高校で学んでいた。夢を諦めてはいなかった。 
「一家は仮放免で、強制送還になるかもしれません。親戚も帰国している。彼から留学生の査証を取って勉強を続けたいと相談されましたが、通信高校では留学査証の取得は困難です」 
 ある日、突然強制送還されるのではないかという脅えが影のようにつきまとう仮放免の生活。そして「日本人ファースト」が声高に叫ばれた2025年の参院選後、クルド人非難を強めるヘイトに疲れ果て、一家はやむなく帰国を決意した。 

 4歳で来日し、現在中学3年生。数ヵ月前まで高校進学を懸命に考えていた子。 
「もう、どっちでもいいや。日本にいられるかわからないし」 
 川口市、蕨市のクルド人コミュニティからはこうした話しか聞こえてこない。 

「厳しい状況に置かれながらも未来への希望を持って頑張ってきた子どもたちから、すべてを奪っていくようなことが平然と行われています。せめて中学を卒業させてあげてほしいと願っています」(まどかさん) 
 すでに帰国した子どもたちからも、トルコでの様子が伝えられる。 
「戻っても言葉が理解できないので、学校に行かない子が多い。強引な送還は、結局、子どもたちの未来を奪っていくだけだと思います」(立央さん) 

 クルド人が日本に入国するようになったのは1990年代からだといわれている。彼らは不安定な生活を強いられながらも、地域との共生を図り、コミュニティを築いてきたが、いまそのコミュニティが音を立てて崩れようとしている。 

(続く) 

高橋幸春

たかはし・ゆきはる 1950年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。大学卒業後、ブラジルへ移住。1975年から三年間、サンパウロで発行されている邦字新聞パウリスタ新聞社(現・ブラジル日報)勤務。1978年に帰国後、ノンフィクションを執筆。2000年からは麻野涼のペンネームで小説も執筆している。1987年、『カリブ海の「楽園」』で第6回潮ノンフィクション賞受賞。1991年、『蒼氓の大地』で第13回講談社ノンフィクション賞受賞。日系移民の歴史、在日外国人問題、臓器移植など幅広いテーマで執筆している。小説に『天皇の船』『国籍不明』など多数。最新刊に『褐色の血―混濁の愛』(上)、『褐色の血―彷徨の地図』(中)があり、『褐色の血―ヘイト列島』(下)も近日発売予定(幻冬舎)。 

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