第3回 私の〝夕食どうする?〟な日々 山川 徹
朝、出勤前の妻にかける言葉は決まっている。
「今日、どうする?」
ルーティンとなった一言の意味は「今日の夕食は、何にする?」だ。
話し合って決めたわけではないが、平日の食材の買い出しと夕食の準備は、私の役割になっている。
きっかけはコロナ禍だった。コロナ以前は、週の半分以上は外食だったし、地方取材で留守にする日も多かった。いまのように、毎日の買い出しや、食事の準備はしていなかった覚えがある。
人と会って、話を聞く。コロナによって、フリーライターである私の動きは縛られた。日がな一日、家でぼんやりしている私の隣で、会社員の妻はリモートで業務を続けていた。
後ろめたさを覚えた私は、夕食の買い出しと調理をはじめた。仕事がないから、収入も減る。妻に渡す月々の生活費すらもままならない私のせめてもの罪滅ぼしだった。
晩酌のあてになる料理をつくる。それはそれで楽しかった。そんな日常が、いまも続いている。目下の問題は、コロナが収束しても仕事も収入も戻らずに、妻への後ろめたさや罪悪感を抱き続けていることなのだが……それはまた別の話である。
私を悩ませるのが、2022年に誕生した第一子で、三歳のKだ。
二歳になった昨年くらいから、私たちと同じ物を食べるようになった。以前は、妻と食べたい物をすりあわせて、麻婆豆腐やパエリア、ビーフシチュー、モツ煮、肉や魚のトマト煮などをつくっていた。
が、Kは、偏食だ。ここで挙げた料理には、口をつけない。
子どもが好きな料理の定番のハンバーグや、クリームシチュー、ミートソーススパゲッティ、炊き込みご飯などにも手を出さない。好きな食べ物は、エビフライ、ポテトフライ、卵焼き、牛タンや焼き鳥をはじめとした肉類、そしてウナギ。野菜は、ほとんど口にしない。


晩酌のあてをつくりたい私。野菜や魚中心の夕食を食べたい妻。好物を食べたいK。
三者の落とし所を探るのは、至難の業だ。
しかも物価高だ。選択肢が限られる。
ある日、鮭のフライがいいかもしれないと思ってスーパーに向かった。鮮魚コーナーの鮭の切り身は、3切れで1200円弱。高い。高すぎる。少し前まで800円程度ではなかったか。買い物カゴに入れるのをためらう私の目に飛び込んできたのは、謎の白身魚だった。鮭の半額ほどで〈フライに最適〉と謳っていた。
これだ!
Kの好きなポテトフライと合わせて、フィッシュ&チップスもいい。ビールが進むだろう。大きめの切り身を慎重に選んで、会計を済ませた。
しかし――。
謎の白身魚は、きつね色にこんがりと揚がった旨そうな見た目に反して、若干のアンモニア臭が鼻についた。私は許せたが、妻とKの箸が進まない。なんとなく食卓に漂う空気が重い。
私は、物価高を放置する日本政府と、数百円の出費を惜しんだ自分を呪った。
そこで、この冬は、鍋を増やした。
妻が希望する野菜を食べられるし、Kの好みの肉も入れられる。酒のつまみにもなる。週2くらいで鍋をつくったのだが。
保育園からの帰り道、Kは小声で訴えた。
「ねえ、トット、もうあれ(鍋のこと)やめて。ちゅくらないで(つくらないで)……」
ちなみに、Kは私を「トット」と呼ぶ。Kは妻にも言っていたらしい。
「ママ、あれちゅくらないで、ってトットに言って」
鍋をつくるようになり、Kの好物にはシラタキも追加された。てっきり鍋が好きなのだと思い込んでいた私には、意外だった。それからは鍋をつくっても、Kはあまり食べなくなってしまった。
子どもには、楽しんでご飯をたくさん食べてほしい。欲を言えば、バランスのいい食事をしてほしい。それは、すべての親の願いだろう。肉食が中心になると、Kは便秘気味になってしまう。うんちが出ずに苦しんでいる姿を見るのは忍びない。野菜嫌いのKにとって、食物繊維が豊富なシラタキが、便秘予防の数少ない食材のひとつだった。
鍋の何がイヤなのか。週2の鍋で飽きてしまったのか。
私は、乳幼児教育の専門家にインタビューした際、Kを念頭に子どもの偏食について質問していた。先生はこんなアドバイスをしてくれた。
「3歳児なら、なんで食べられないのか聞いてみたらいいですよ。『どうして嫌いなの?』と聞けば、理由を話してくれるかもしれません。献立のヒントにしてみたらどうですか。困ったら子どもに聞けばいいんです」
先生は、子どもとの対話の大切さを説いた。
なるほど。3歳児といえども、1人の人間だ。理由を聞けば、決められない夕食の日々を抜け出す手がかりになるかもしれない。
なぜ、鍋がイヤなのか。実際にKに聞いてみた。
「Kはね、ヤキトリ食べたいの! ヤキトリ! ヤキトリ!」
返ってきたのは、やや斜め上からの答えだった。月に一度ほど、近所の焼き鳥屋からテイクアウトして食卓に並べる。Kは、その店の焼き鳥がとくに好きだ。焼き鳥があまりにも好きなので、冷凍の焼き鳥を常備するようになったほどだ。
つまりは自分が好きな物を毎日食べたいという主張らしい。
栄養のバランスも、野菜も、便秘も、3歳児にはもちろん関係ない。
今日、焼き鳥を食べたい。
彼にとって重要なのは、その一点なのだ。
対話、というよりも3歳児の純粋な欲求をぶつけられた私は、再び頭を抱えた。
今日も夕食が決められない。
いや、今日は、焼き鳥にするか。焼き鳥と言えば、ビールだし。


やまかわ・とおる 1977年生まれ。フリーランスライター。おもな著作に『鯨鯢[けいがい]の鰓[あぎと]にかく 商業捕鯨 再起への航跡』小学館)、『カルピスをつくった男 三島海雲』(小学館文庫)、『最期の声 ドキュメント災害関連死』(KADOKAWA)など。『国境を越えたスクラム ラグビー日本代表になった外国人選手たち』(中公文庫)で第30回ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。

