【ジャーナル】放浪詩人、高木護が見た昭和◎澤宮優――第1話

今年2025年は昭和でいうと百年に当たる。昭和前期、大正デモクラシーは軍部の台頭でかき消され、強烈な翼賛体制に行きついたあげく、壊滅的な敗戦へと向かった。戦後は連合軍による占領、国際社会への復帰を経て、新幹線や東京オリンピックに沸いた。そんな時期に、一人の詩人が世の中の端っこから日本社会を見つめ続けることを始めた。詩人の晩年、深い交流があった澤宮優さんが、その言葉を紹介する(全四回)。    

 令和元(2019)年に九十二歳で死去した〝最後の放浪詩人〟高木護[たかき・まもる]は、昭和四十(1965)年から半世紀以上にわたって「日録」と名付けた日記を書いていた。彼は昭和二(1927)年、熊本県山鹿市に生まれ、戦時中は南方戦線に出征、マラリアに罹って九死に一生を得て帰国した。だがマラリアの後遺症で定職に就けず、各地を放浪しながら約百二十種類の仕事に就き、糊口をしのいだ。 

高木護

 仕事には、数日で辞めたり、「乞食見習い」「思想団体常任委員」などいかがわしいものもあるが、戦後に確かに存在した「唄い屋」「三助」「紙芝居師」など消えていったものも多くある。八幡製鉄所では人夫も経験した。ときに九州の野山を一人さすらいながら何ヵ月も過ごすこともあった。そうしたなかで彼は詩を書き続けた。 
 その後、高木が上京して、書き続けたのが「日録」である。彼の最晩年に、私が譲り受けた目録は段ボール一杯の分量がある。高木の思想の根底にあるものを知る第一級の資料である。 

高木護の「日録」の一部

 彼は自身の放浪体験のエッセイも多く残した。『放浪の唄』(1965年、大和書房、2022年、虹霓[こうげい]社より復刊)、『野垂れ死考』(1983年、未來社)、『人夫考』(1979年、未來社)、『木賃宿に雨が降る』(1980年、未來社)などがある。 
 高木は社会の底辺で生きた詩人である。庶民の声や生きがいや悲しみ、喜びに接して作品を残した人である。彼もまた戦争の犠牲になって、そのような生き方をしなければならなかった。彼の目に映った庶民たちの姿を見ることで、彼と庶民らの人生の喜怒哀楽が明らかになる。 

「日録」の膨大なノートから昭和四十五(1970)年の頁を捲ってみた。そこには『東京新聞』夕刊(11月25日)の一面の記事が貼ってあった。「作家三島ら自衛隊(市ヶ谷駐とん地)に乱入」「『楯の会』の四人率い 他の一人も自殺」という見出しがある。三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を遂げた事件を報じる記事である。 
 この日高木は朝日新聞社に行く用事があったが、何度電話しても話し中だった。彼は大きな事件が起きたのかと不安を感じながら行くと、新聞社の近くで人だかりがしていた。彼は記す。 

人垣からビラをのぞいたら、三島由紀夫・割腹自殺!とある。ドキリ!それにしてもみごとなスジガキといった感じ。(11月25日) 

 さすがに興奮した様子だが、二日後になると冷静さが戻り、こう記す。 

三島由紀夫にシゲキされて死んだのが、新聞の記ジからすると3人いる。それがおそろしいのだ。これから、どうなることやら。(11月27日) 

テレビで、三島由紀夫の死についての、学生たちの討論をきく。おどろき、おそろしい、口達者。しかし、おもしろい。(12月2日) 

 高木は三島のこのような自死を予測していたのかもしれない。高度経済成長、公害、過激化する学生運動といった時代の中で、人々が我を失い、感情をぶつけあう様は、SNS全盛の現代と変わらない。その社会の病理に気づいていたのも高木だった。 
 彼の眼に映った昭和の世の中のありようを「日録」を読むことで知る。戦後の高度経済成長と日本の復興、その中で置き忘れてきたものがあるとすれば、それは何か。 
 今、世界が政治的、経済的にも分断し、自国優先の状況が続く。大国が野心のために武力を持って小国を侵攻するなど、為政者の欲望の際限のなさには絶望するばかりである。それは日本国内とて同じで、庶民はますます生きづらくなっている。 
「日録」とともに、今こそ高木が残した言葉に耳を澄まし、現代をどう生きて行くかの指針を得ることはできないだろうか。 

 私が高木と初めて会ったのは1993年12月の、もの書きの同士の忘年会である。私は同じ熊本県出身という誼みもあり、すでに彼の本を何冊か読んでいた。高木の姿を見つけ挨拶をした。高木はすでに酔いが回っており、ウイスキーの水割りを何杯も飲み干していた。印象に残ったのは酒豪であることとともに、眼光の鋭さである。大きな瞳が爛々と輝かせて、彼はいきなり言った。 

「今の時代は本物の作家は一人もおりません。本物の詩人も一人もおりません」 

 上手いかもしれんが、小手先で書いていてがっかりする人物が多い。もの書きは三流芸能人になってしまった。作家や詩人は一生貧乏しても、人生の本質を極めるために書き続けることが大事だと、彼は私に言うのだった。高木の饒舌は止まらなかった。 

「人間も動物と同じです。犬や猫と同じなんです。それを忘れたらいけません。人間は働いた、食べた、垂れた、寝ただけです。必要以上に儲けちゃいかんとです。余った分はわしにくれるならよか」 
「一人分稼いだ人間は泥棒です。大きな家に住む人は横の小さな家に住む者に『すみまっせん』と言って住め。悟ることは諦めることです」 

 私は以後高木のいろんな言葉を耳にした。小難しい箴言でもなく、彼の詩同様平易な言葉である。それが心に深く突き刺さるのはなぜだろう。それは机の上で作られたのではなく、高木自身が各地を放浪しながら、体の中で発酵させた肉体語だから、言葉に重みがあるのだと考えるようになった。 
 高木はふだんは飄逸である。自らを自虐的に表現し、周囲の笑いを誘う。しかし政治家や資本家など、権力を持つ側にある者の話が俎上に載れば、反骨心がむくむくと首をもたげ、毒舌を極める。 

 再び「日録」である。文章は淡々と記されているが、ときに切れ味するどい表現も見られる。不思議なのは、ノートに作家、俳人、詩人など有名無名にかかわらず訃報記事をこまめに貼り付けている点だ。記事には殆どコメントは記されていない。それはどういうことか、胸中を探りたくもなる。 

「日録」を通して高木は、高度経済成長の後半期から、バブル経済、昭和の終焉、平成の経済不況という時代の変遷を見つめ続けた。その間、日本は着々と軍備を進め、政治家は強者が弱者を徹底的に支配する社会を作り上げようとしている。 
 そんな時代の移り変わりを高木はどう捉えていたのかを明らかにすることで、私たちはこれからの時代とどう向き合うのかの参考にしたい。 

(つづく)

澤宮 優

さわみや・ゆう 1964年熊本県八代市生まれ。青山学院大学文学部史学科、早稲田大学第二文学部日本文学専修卒業。戦前の巨人の名捕手吉原正喜の生涯を描いた『巨人軍最強の捕手』(晶文社、2003年)で、第14回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。主な著書に『戦国廃城紀行 敗者の城を探る』(河出文庫)、『昭和十八年 幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ』(集英社文庫)、『イラストで見る昭和の消えた仕事図鑑』(角川ソフィア文庫)、『イップス 魔病を乗り越えたアスリートたち』(角川新書)、『あなたの隣にある沖縄』(集英社文庫)など。 最新作に高木護が経験した約120種の仕事を中心として、高木の半生を描いた『昭和の消えた仕事物語』(角川ソフィア文庫)がある。

バックナンバー

バックナンバー一覧へ