第1回 星を語る仕事
みなさんはプラネタリウムに行ったことがありますか?
「そういえば子どものころに学校のみんなで行ったなぁ」「昔デートで行ったことがある」
などといった方が多いかもしれません。
実際プラネタリウムは人生で三回行くところ、なんて言われていたこともありました。
子どもの頃に親と行って、デートで行って、家族を連れて行く、の三回。でもプラネタリウムほど、いい場所はありませんよ。
私はプラネタリムで星空解説の仕事をしています。
プラネタリウムの仕事は星を語ることですが、それだけではありません。番組と呼ばれるテーマを持ったショート動画の制作やイベント企画、館内の展示から接客誘導、経理から人事、何よりもプラネタリウムに来館するお客様が満足していただけるようすべてをマネージメントすることが私の仕事です。
そもそも私は小さなころから空を眺めることが大好きでした。自宅近くの高台にのぼり、流れる雲を見たり、日没後の一番星を探したりしていました。
星が好きになったきっかけは、月食でした。たまたま弟の友達が望遠鏡を持っていて、月食を眺めたのです。欠けていく月も美しかったのですが、望遠鏡の視野の中の月がどんどん視野から外れていくことに私は感動しました。
視野の中の月が動くのは、地球が自転し、月が地球の周りを公転しているためです。学校で習った知識では知っていても、実際に目にした月の動きに、私は初めて宇宙の中に今いることの不思議を感じたのです。
私が学生時代に、ボイジャー(※)という探査機が太陽系の惑星に次々に接近し、素晴らしい画像を地球に届けてくれました。このときの土星の画像に私は心奪われました。宇宙の中に、こんな天体があるなんて!
当時、透明な下敷きの間にアイドル歌手の写真を入れることが流行りでしたが、私はボイジャーが撮影した土星一択でした。
※1977年に打ち上げられたNASAの無人宇宙探査機。太陽系探査が目的。1号、2号の二機で構成される。現在も運用され、ボイジャーの旅はまだ続いている。
そんな私ですから、大学時代にはプラネタリウムでアルバイトをし、卒業と同時に、渋谷にあった天文博物館五島プラネタリウム(※)に就職しました。
昔のプラネタリウムの機械はすべて手動操作で、五島プラネタリウムはドイツのカールツァイス社の機械でしたから、マニュアルがドイツ語。
四苦八苦しながら先輩に教わり機械操作をしながら解説練習をしました。
※1957年開館。渋谷駅前の東急文化会館8階にあり、渋谷駅東口側のシンボルでもあった。惜しまれながら2001年に閉館した。
みなさんは、プラネタリウム解説員は、ブースの中でシナリオを読んでいると思われていませんか?
いえいえ、私たち解説員にシナリオはありません。四十分間星の話をするのであれば、すべて頭の中にある言葉を紡ぎ出しているのです。
しかも星空は毎日変わります。月の形も惑星の位置も、天文現象も毎日変わりますので、覚えているセリフは使えません。
その場のお客様に合わせて生解説をするのです。
さらにポインター(矢印の星を指す投影機)を使い、星座絵を出したり、音楽をかけたり動画を流したり、すべて手動。
ですから解説員は、見かけは優雅に話をしているのですが、実は次のことを考えながら解説をしているのです。
プラネタリウムにはさまざまなお客様がいらっしゃいます。
私はお客様の様子を見ていつも思うのですが、来館されたときよりも星空を見終わってドームを出られるときのほうが笑顔なのです。
入ってこられた時にはイライラして眉間にしわを寄せていたお客様が、帰りには穏やかな笑顔を見せてくれるのです。
ときに「ありがとう!」とお声がけいただき、こちらこそ感謝の思いでいっぱいになります。私はこれを「プラネタリウムマジック」と呼んでいます。私はプラネタリウムマジックを見たくて、また今日も星の話をしています。
ながた・みえ コスモプラネタリウム渋谷チーフ解説員。東京・品川生まれ。東京理科大学理学部物理学科卒業。キャッチフレーズは「癒しの星空解説員」。2000年からNHKラジオ第一『子ども科学電話相談』の「天文・宇宙」の回答者を務める。ご自身の名がついた小惑星(11528)Mie がある。著書に『カリスマ解説員の楽しい星空入門』(ちくま新書、2017年)など、監修に『小学館の図鑑NEO まどあけずかん うちゅう』(小学館、2022年)、『季節をめぐる 星座のものがたり 春』(汐文社、2022年)などがある。 コスモプラネタリウム渋谷の公式ホームページはこちら