悪事も子どもの悲しみをも描くアイスランドのミステリー
アイスランドのレイキャヴィーク警察犯罪捜査官エーレンデュル・シリーズ八作目。残念ながら、寡黙で粘り強い捜査官である主人公のエーレンデュルは、休暇を取って東アイスランド地方に行ったまま不在だ。今回の主役は、エーレンデュルの同僚の若い捜査官シグルデュル=オーリがつとめる。
五十代のエーレンデュルと三十代のシグルデュル=オーリ。田舎で生まれ育ち、いつも仕事にのめり込み、アイスランドの伝統料理を好んで食べるエーレンデュルに比べると、シグルデュル=オーリは新しい世代の人だ。アメリカに留学し、アメリカンフットボールや野球の番組を好んで観て、捜査中にお気に入りのサマーコートを汚したのを残念がるほど見栄っ張りだ。
物語の序盤で、シグルデュル=オーリの高校の同窓会が描かれる。主催者は銀行で課長に昇進していた。ほかの旧友たちも、公務員のシグルデュル=オーリが引け目を感じてしまうほど、経済的に成功していた。本作で描かれるアイスランドは、2008年のアイスランド金融危機の直前、金融国家として上昇していた金ピカ時代だ。日本のバブル期を思わせる。銀行員は人がうらやむほどの収入を得て、豪邸に住んでいる。
シグルデュル=オーリは、同窓会で再会した友人パトレイクルに相談を持ちかけられる。パトレイクルの妻の姉の夫、つまり義兄が恐喝されているという。妻以外の女性との性行為の様子を写真に撮られて、大金を支払わないとネットにばらまくぞ、と脅されている。パトレイクルの妻の姉は政治家だ。たいへんなスキャンダルになってしまう。
やむをえず、シグルデュル=オーリは恐喝者リーナの家を訪ねる。そこで頭を殴られ倒れているリーナと、そこから逃げ去る犯人を見た。リーナは死に、殺人事件となる。シグルデュル=オーリは私的にも、職務の上でもこの殺人事件を捜査することになった。
リーナ殺害の捜査の合間に、アンドレスというアルコールと麻薬から長いこと抜け出せない貧しい男の物語が挟まる。彼は幼いころ、母の愛人から性的暴行を受け、それを撮影されていた。アンドレスは身も心も破壊されてしまった。彼は、その男への復讐を遂げるまで安らぐことができない。
幼いころの心の傷は、シグルデュル=オーリにも影を落としている。少し前、彼は妻ベルクソラと離婚した。妻は子どもを欲しがっていたが、シグルデュル=オーリには父親になる自信がなかった。彼の父と母も性格が全く違っており、激しい対立の末に離婚した。なぜ父と母は結婚したのか。その思いが離れない。
リーナ殺害の捜査では、リーナの同居パートナーが山岳ガイドをしていて、二人でフィヨルドツアーの案内をしていることがわかった。彼らのフィヨルドツアーの参加者は外国人のほか、いい暮らしをしている人々だった。そしてパトレイクルと義兄も参加していたのだ。リーナたちはサマーハウスや高価な車など、自分たちの収入に見合わない買い物をしていた。ほかにも彼女らに恐喝された人がいるかもしれない。シグルデュル=オーリは、フィヨルドツアーの参加者について知っていることがあるか、パトレイクルを問い詰めた。パトレイクルは、参加した銀行員の一団のうちの一人が、すぐあとに山で死亡したらしいと漏らした。第二の殺人の疑惑が持ち上がった。
好景気の時代でも、金ピカな生活をしていたのは一部だった。アンドレスのように身も心も破壊された貧しい人。リーナのように金持ちをうらやむ人。どこの国でも同じだろう。それと並行して、シリーズでは一貫して、大人の身勝手に傷つけられた子どもがいる。人の悪事や強欲を描くのと同時に傷つけられた子どもの悲しみを描く。これが、本シリーズをだたのミステリとは一線を画している。

1961年アイスランドの首都レイキャヴィク生まれ。父親は高名な作家インドリディ・G・トーステンソン。アイスランド大学で歴史学と映画を専攻し、卒業後新聞社に就職。その後、フリーの映画評論家になる。1997年にレイキャヴィク警察の犯罪捜査官エーレンデュルを主人公とするシリーズ第一作Synir duftsinsで作家デビュー。三作目にあたる『湿地』と次の『緑衣の女』で二年連続してガラスの鍵賞を受賞。『緑衣の女』では、英国のCWAゴールドダガー賞も受賞している。

さわ・いずみ 1968年、神奈川県生まれ。東海大学大学院博士課程前期修了。専攻は中世アイスランド社会史。出版社勤務を経て司書。公共図書館・博物館図書室・学校図書館勤務のあと、現在介護休業中。アイスランドに行きたい毎日。写真は、今は亡き愛犬クリス。
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