一人の青年の投稿が伝えるガザの現実の前に……
「選んだわけじゃないのにそこに生まれたというだけで、誰も耐えられないような物事に耐えさせられる。僕は人生で苦しみと涙しか経験しないまま生き、こうして死んでいくんだろう。彼方には美しい向こう側の世界があるのに、政治や地理的な偶然のせいで絶対に手が届かない。そう思うと毎日おかしくなりそうになる。」
オマル・ハマドは2024年9月5日、X(旧Twitter)への投稿に、こう書いた。4月から投稿をつづけていた。オマルは1996年生まれ。パレスチナ、ガザ地区北部のベイトハヌーンで育ち、家族と我が家、友人と本を深く愛する青年だ。2023年10月、イスラエル軍のガザ爆撃がベイトハヌーンを襲った。オマルはガザのあちこちを逃げ回った。そして、インターネットがつながるところを探してネットに投稿してきた。ひとりだったのか、家族といっしょだったのかは、はっきり書いていない。
家から逃げたとき、オマルは知っていたのだろうか。10月7日にイスラム勢力ハマスが、イスラエルの音楽祭を襲撃して多くの人々を殺し、人質として連れ去ったこと。イスラエル軍の拠点や集落にロケット弾を打ち込んだこと。しかし、オマルがすでに知っていたのは、ずっと前からイスラエル軍はもっと多くのパレスチナ人の土地を攻撃してきたこと。たくさんのパレスチナ人を虐殺し、テロリストとして刑務所に捕らえてきたこと。ガザをフェンスや壁で囲い、検問所をつくってパレスチナ人が自由に行き来できないようにして「天井のない監獄」と呼ばれるようにしてしまったこと。
ハマスの攻撃でのイスラエル側の被害よりも、イスラエル軍がガザへもたらした被害は、はるかに大きい。ガザの被害と死傷者はこれまでのイスラエルとの戦争のなかで最大となった。民族虐殺。民族浄化。怪我人が集まった病院や避難民が寝泊まりしている学校も攻撃された。さらに電気や水道など、生活に必要な施設も。
オマルの兄嫁が撃たれて死んだ。兄夫婦の幼い息子、つまりオマルの甥っ子は、母を失った衝撃にしばらく動けなくなった。そんな甥っ子を受けとめながら、オマルも深い悲しみに沈む。また彼は、肉の塊や切れはしになった遺体を、悲しみに暮れる遺族が引き取って帰るのを何度も見た。転がっているのは死体ばかり。家族がみんな殺されてしまったら死にたい。死にたい気持ちに囚われつづける。
オマルは、ユダヤ人やイスラエル軍のことを「ナチ・シオニスト」と罵る。シオニストとは、シオニズム——19世紀末に東欧のユダヤ人が起こした、ユダヤ教聖典の地に故郷をつくろう、という運動の支持者。彼らはヨーロッパからやって来てイスラエルを建国し、パレスチナ人を住んでいた土地から追いやった。ユダヤ人絶滅を目標としたナチスの名を冠されてしまうとは、最悪の皮肉だ。虐殺された人々の同胞が他の人々を虐殺している。
オマルの、手紙を入れた瓶を大海に流すような投稿を拾う人がいた。翻訳者・最所篤子氏は、ガザからの投稿を日本語に翻訳する市民ボランティア活動「#ガザ投稿翻訳(現#ガザ翻訳)」に参加していた。そこでオマルの投稿に出会った。オマルの、悲惨な現実を寓話や詩のような言葉で語る文章に惹かれて、本にするまで尽くした。
2025年末現在、停戦中だがイスラエルの攻撃は続き、死傷者はまだ増えている。だが、オマルのような語り手はたくさんいる。現状を語ることで、世界の目をパレスチナに集める。不当に痛めつけられている人々への共感の輪を世界に広げる。
オマルの無事を祈りつつ。

1996年、パレスチナ・ガザ地区ベイトハヌーン生まれ。大学では薬学を修め、薬剤師の資格を取得。本を愛し、映画を愛し、美しきものを愛し、作家になる夢を温めている。代々縫製業を営む家に育ったことから、ミシンの扱いもプロ級。 大学を卒業後は、薬局や医薬品会社で働いたが、4万5000米ドルを投じて念願のコスメショップを開店。しかし、この店は占領軍によって跡形もなく破壊された。
さいしょ・あつこ 翻訳者。イスラエルによるガザ攻撃が始まった数日後から市民ボランティアによる「#ガザ翻訳」に参加。日本の人々に現状を伝えるべく、Xのガザ関連投稿の翻訳を続ける。訳書にブルハン・ソンメズ『イスタンブル、イスタンブル』ピップ・ウィリアムズ『小さなことばたちの辞書』『ジェリコの製本職人』(すべて小学館)など。

さわ・いずみ 1968年、神奈川県生まれ。東海大学大学院博士課程前期修了。専攻は中世アイスランド社会史。出版社勤務を経て司書。公共図書館・博物館図書室・学校図書館勤務のあと、現在介護休業中。アイスランドに行きたい毎日。写真は、今は亡き愛犬クリス。
バックナンバー

