本当の意味での歴史修正とは
アメリカのトランプ大統領は去年の就任後、前政権まで進めていたDEI政策〔Diversity(多様性)、Equity(公正性)、Inclusion(包摂性)、性別・年齢・人種・国籍・障害・価値観など個人の持つ違いを尊重し、多様な人々が活躍するための政策〕の全面撤廃を打ち上げた。これはアメリカ最大の博物館群、スミソニアン博物館にもおよび、教育・展示企画や人事も否定され、多くの学芸員が解雇された。この新方針の理由は、昨年3月に出された「アメリカの歴史に真実と正常さを取り戻す大統領令」によると、アメリカの歴史が過去10年間、歴史修正主義によって差別的、抑圧的なものと書き換えられてきたためだ、という。アメリカの美しい歴史を取り戻す、というところか。
歴史修正主義という言葉は、ホロコースト否定論のように、自国の過去の加害や圧政を否定して、責任を軽く、または無いようにする論説への批判に使われることが多い。しかし、この本の著者でアメリカ文化とミュージアムの研究者・小森真樹氏は、歴史は修正されていくもの、と言う。研究によって新たな史料や証言が発見され視点が広がるたびに、歴史はより多層的に書き直されていくものである。同時に、支配的な歴史記述に対して異議を申し立て、排除された声や視点を取り戻すために、誠実な修正が求められている、と。著者は、誠実な修正の場にミュージアムをあげる。歴史と記憶を展示というかたちで提示する施設。そこは、過去の出来事を「誰が」「どのように」語るのかを問い直す、知的抵抗の場であり対話の広場なのだと。
著者は、アメリカのフィラデルフィア、イギリスのマンチェスター・グラスゴーなどのミュージアムを訪れ、それらの展示に表れた歴史の誠実な修正の試みをこの本で紹介している。このなかで著者が注目しているのはフィラデルフィア美術館だ。フィラデルフィアは独立宣言が採択されたアメリカ誕生の地であり愛国の地。世界的に見ても一級の美術館で、印象派絵画や日本の浮世絵など有名な作品を所蔵している。
しかしアメリカ芸術部門の展示では、これまでの愛国の地の歴史に修正が試みられる。最初に、この地の文化は先住民とヨーロッパ、アフリカの文化が混ざり合ってできた、と宣言する。入植者と先住民レナペ族の出会いを描いた絵からはじまる。その後、レナペ族は強制移住させられたことが解説文で語られる。また、独立宣言ですべての人間の平等を書いたトマス・ジェファーソンが、大勢の奴隷を所有していたことが明かされる。建国の父たちにとって人間とは白人男性だけで、黒人・先住民・女性・貧困層などは人間のうちには入れていなかったのだ。これまでの白人男性主体の建国神話とは違ったアメリカの歴史が問われている。
フィラデルフィア美術館には別の面がある。シルベスター・スタローン主演の映画『ロッキー』シリーズでロケ地に使われてきたことから、『ロッキー』と切り離せない関係を持つ。イタリア系移民で三十代の負け犬ボクサーが、努力と不屈の闘志で勝利をつかむ。第一作はアメリカ建国200年祭に沸く1976年に公開。ロッキーはアメリカンドリームを体現した大衆のヒーローとなった。映画でロッキーが駆け上がった美術館前の階段はロッキーステップと親しまれている。
映画『ロッキー3』作中で、ロッキーの銅像がフィラデルフィア美術館のロッキーステップの最上部に設置されるシーンがある。実際に銅像はそのとおりに設置され、映画の撮影に使われた。だが美術館側は、これを常設するような高級な芸術とは認めなかった。一方でフィラデルフィアの人々は、ロッキー像を市内に残そうとキャンペーンを立ち上げた。『ロッキー』という作品から、フィラデルフィアでエリートと大衆という階級差があらわになった。これも歴史の修正か。
しかし2006年、映画『ロッキー・ザ・ファイナル』に合わせて、ロッキー像はとうとう美術館敷地内の階段脇に常設が決まった。そして今年1月、ロッキーステップの最上部への移設が決まったようだ。階級の対立は解消できたのだろうか。
ミュージアムにとって歴史の語りを修正するというのは、コレクションを基にキュレーションを行い、現代に向けて展示を再設計することだ、と著者は言う。歴史は未来を語るものではないが、過去を厳密に検証し、誠実な修正を繰り返して、はじめて未来を展望できるものになる。

こもり・まさき 武蔵大学人文学部教授、立教大学アメリカ研究所所員。専門はアメリカ文化研究およびミュージアム研究。美術・映画批評の執筆や、雑誌、展覧会、オルタナティブスペースの企画にも携わっている。著作に、『楽しい政治 「つくられた歴史」と「つくる現場」から現代を知る』(講談社、2024年)など。

さわ・いずみ 1968年、神奈川県生まれ。東海大学大学院博士課程前期修了。専攻は中世アイスランド社会史。出版社勤務を経て司書。公共図書館・博物館図書室・学校図書館勤務のあと、現在介護休業中。アイスランドに行きたい毎日。写真は、今は亡き愛犬クリス。
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