第60回 沖縄の布と人に元気をもらう
今年の冬は、山熊田に住み始めてから一、二を争う積雪量だった。ずうーっと雪。どこを見ても雪。白で飽和した世界を抜け出して向かったのは、南の島だ。織物の産地ひしめく沖縄へ学びの旅に赴いた。
飛行機を乗り継ぎ那覇空港に着くと、夕暮れ時なのにムワッと暑い。真冬仕様の衣類を直ちに脱ぎながら大興奮だ。雪国標準装備の長靴を履いてこなくてよかった。しかし暑いと感じたのはその瞬間だけで、以降ずっと暴風や雨が続いて寒い。どうも寒波と共にやってきてしまったらしかった。
初日は知識を得に県立博物館へ。織物産業が多様で盛んな背景にある、薩摩藩支配下での人頭税や年貢は想像を絶する厳しさで、およそ二百六十年続いたそう。驚愕だ。技術向上や洗練へつながった側面もあるにせよ、知識だけでなく肌で感じられる展示は、以降、産地の理解に十分役立った。天気も相まって気が重くなったけれど、滋味深いソーキそばが救ってくれた。
昼食後、南風原[はえばる]の琉球絣事業協同組合に伺うと、品質検査をしにきた伊敷美千代さんがおられた。作業工程や道具類、生産体制などを詳しく教えてくださり、育成事業の現場や染め場も案内していただいた。山熊田と違って小さくはない産業で、絹の反物はとても華やかだ。「しな布ならこんな織りもいいんじゃない?」と、さまざまな表情の布を次々と広げる。持ってきたしな布も広げて、思いがけず刺激的な時間が、なんてありがたいことか、と嚙み締める。

この旅は、技術だけでなく各産地の育成状況や運営方法を学び、羽越しな布の現状打破にはどのような道筋が向いているのか、その判断材料を知ることを目的にした。産地が多いということは、先人たちが試行錯誤して今に続く工芸産地の事例がとても豊富で、きっと問題課題も豊富にあるだろう。
しかし、学ばせていただくということは、相手の時間を奪うことでもある。知識や情報もタダじゃない。私の工房が一般公開をやめた一番の理由もそこで、全く仕事ができず困り果てた時期があった。だからせめてものお礼にと、訪問先へ我が家で作っているお米を送った。手土産には重すぎるから、運送会社に頼んだ。お米は高くなったし、おいしいお米は幸せにさせてくれる。私だけに利がある状況を避けられたらいいな。
翌朝、那覇から二時間ほど車で北上して、大宜味村[おおぎみそん]の芭蕉布を知りに行く。芭蕉とはバナナのことだが、糸の原料になる「糸芭蕉」は、あのおいしいバナナの変異種で、食用にはならない。
「喜如嘉[きじょか]の芭蕉布」は1974年に国の重要無形文化財に指定され、また技術保持者(人間国宝)の故・平良敏子さんも有名だ。集落内には青々とした糸芭蕉畑に中トトロが歩いていそうな小道が続く。冬はちょうど「苧剝ぎ」(ウーハギ/しな布では伐採と樹皮を剝ぐ工程にあたる)から「苧引き」(ウービキ/しなこきに近い作業)など、糸素材の仕込み時期だそうで、芭蕉布会館では大勢が並んで座って「苧引き」をなさっていた。

敏子さんのお孫さんである菜緒さんにお話を聞いた。聞いたというより、ほぼ相談だ。日本三大古代布と括られた産地同士でもあるし、年齢も近い。現状や取り組みなど、背景や活動は違うけれど、課題や未来に向けた考えを深く話し合えたことが嬉しい。忙しい時期にもかかわらず、対応してくださった。
エメラルドブルーではない海を横目に那覇に戻ってそのまま空港へ。石垣島へ向かう飛行機から夜の本島を眺めると、ライトアップされたオシャレな建物が海岸沿いに点在していた。「あ、そうか。沖縄はリゾート地だったんだ」と妙な気分になった。

三日目は朝から、石垣市立八重山博物館へ。民俗展示がおもしろい。祭事に使う、ぬいぐるみのような獅子舞のモサモサの体毛は、なんと糸芭蕉の繊維だった。芭蕉の馴染み深さと贅沢使いにびっくりだ。カゴやムシロなど、環境も植生も違うけれど、山熊田の日常にもあるもの。
だから南の果てに来た実感が薄れかけたのだけれど、石垣市織物事業協同組合を訪問すると、色鮮やかな八重山ミンサー(織り物。絣模様が特徴)が出迎えてくれた。この色彩、やはり南の島だ。苧麻[からむし]でつくる八重山上布は糸生産が極少ゆえ稼ぎに繋がりにくく、経済活動基盤は木綿糸を購入しミンサーを、という工房も少なくないそう。「そんなやり方もあるのか……」と、目からウロコ、口には「じゅーしーかまぼこ」。魚のすり身でおにぎりを包んで揚げた、見慣れぬおにぎりがすごく美味しい。山熊田に戻ったら作ってみたい料理リストに加わった。何を食べても感激してしまって、感度ガバガバになっている。

この数日、雪国では絶対に見られない花々や月桃、黄色の染料になるフクギなど、気になるものを逐一調べまくったせいで、徐々に亜熱帯の植物がわかるようになってきた。生命力に満ち溢れる街を歩いて、お昼過ぎ、新垣幸子織物工房に到着した。
新垣さんは八重山上布の作家だ。本当に勉強熱心で知識も豊富、惜しげもなくさまざまな技術知識を教えてくださった。手括り染めを復興しただけでなく、石垣市の織物の発展貢献や、歴史的重要資料である布を東京から里帰りさせ展覧会を実施したりと、活動の幅と熱意に感服する。2024年に人間国宝になられたのに、どこまでも柔らかな方で、たちまち大好きになってしまった。
工房の織機が並ぶ窓の外には、四方を壁に囲まれた二坪ほどの中庭に苧麻が植えてあり、この面積で十分材料が賄えるとのこと。それもそのはず、年に五回も収穫ができるというのだ。稲は二期作、苧麻は五期作。南の島がうらやましい。シナノキ樹皮なんて、収穫まで十五年ほどかかってしまう。
「なんで私はあんな雪まみれの山村に住んでいるんだ?」と我に返らないよう気をつけていたら、新垣さんはご自身の織った数々の上布を見せてくださった。薄く軽い布は、糸が細くて色柄も繊細で本当に美しかった。おのおのの布にはエピソードがあり、新垣さんの人生アルバムを見ているようだ。お話ししても工房案内中も、始終、愛情に満ちていた。長期間かけて学びにきている若者もいた。私も、彼女のような人でありたいな、と心底思ったのだった。

山熊田に戻り、冷めやらぬ熱のまま機織りしたいと思っても、雪は待ってくれない。仕方なく雪下ろしをしていたら、留守番電話に録音が残っていた。新垣さんからだった。「新潟の豪雪被害をニュースで見た、心配している」と沖縄訛りのあの優しい声色に、心がどこまでも温かくなった。そして俄然元気になってしまい、近所の雪下ろしの手伝いもやたら捗[はかど]ったのだった。

おおたき・じゅんこ 1977年埼玉県生まれ。新潟県村上市山熊田のマタギを取り巻く文化に衝撃を受け、2015年に移住した。


