【連載】続・マタギの村から◎大滝ジュンコ――第61回/羽越しな布としなだ織

第61回 羽越しな布としなだ織

 2019年に、私は民族文化映像研究所の記録映画『茂庭のしなだ織』(1991年作品)を観たことがある。 
 私が今いそしんでいる「羽越しな布」はシナノキ樹皮を糸にし、布を織るものだが、しなだ織も同じ。制作風景もほぼ同じで驚いた。三十年近く前の光景とは思えなかった。 
 しなだ織が作られていた福島県飯坂町茂庭地区がダムに沈み、すでに現存しないという現実は、私を不思議な気持ちにさせた。 
 やはり記録映画『越後奥三面ー山に生かされた日々』を観た時も同じ気持ちになった。集落が消滅を迎え、最後の記録として映像が残る。だが、全く同じではないにせよ、山熊田では残された映像のような暮らしが、まだふつうに続いている。 

 観た人の多くはきっと、失われた過去の風景として受け取っているのだろう。だが私は、映っているものへの共感と、集落が失われた寂しさ、「でもまだ終わってないんだけどなあ」という歯がゆさ、そんな感情が混在した気持ちになった。 

 シナノキの樹皮を利用する文化は、太古から全国各地にあったそう。海では魚網に、川では魚籠に、蚊帳やわら布団のカバー、蒸し布や袋など、樹皮から縄や布をこしらえて、暮らしの道具として使われてきた。より良い素材が現れたり、時代の変化に対応できず失われていったのだが、山熊田と同じような山村に、ダム湖に沈むまで残っていた「茂庭のしなだ織」の映像は、喉に刺さった魚の小骨のように、ずっとつっかえていた。 

 今年、茂庭地区に近い福島市飯坂町の「いいざかサポーターズクラブ」の佐藤耕平さんから声がかかり、飯坂へ赴くことになった。地域の方々は二十年前に途絶えた「しなだ織」を復元したいと活動されている。残された糸や樹皮素材、織機はあるのだが、糸績みがわからないそうで、文化交流会を催したいとのことだった。趣旨が復元であるならば、とお引き受けすることにした。 

 道に雪がなくなった三月中旬。山熊田から飯坂町のある南東へ向かう道は、米沢経由の山越えだ。季節の変化をほとんど感じない残雪の景色が続く。 
 飯坂に着くと、佐藤さんと「工房おりをり」の鈴木美佐子さんが迎えてくれた。近くの旅館の温泉に入り、皆で夜ごはんがてらお酒を飲み、長年の小さな謎だった、しなだ織の「だ」の意味を尋ねた。「シナノキのことを飯坂ではマダと言うから、混ざったのかな」と鈴木さんは笑う。彼女のパワフルさがうれしくて、工房横の宿に戻っても話が弾み、寝床に入ったのは日をまたいだ後だった。初めてお会いした気がしない。 

 朝。真っ青で乾いた空がずいぶん久しぶりで、「そうか、太平洋側にいるんだ」と実感する。午後から公開イベントの予定だが、午前中はしなだ織の復元活動をされている「民家園手織りの会」の方々が来訪し、意見交換会となった。 
 私はてっきり、シナノキの樹皮から糸を績む手技に関心があると思っていたのだけれど、彼女らは半綜絖のかけ方がどうだこうだ、と議論している。旧式の織機・居坐機(いざりばた=腰機、地機)の糸綜絖(経糸を上下にわけて交差させ、緯糸を通す隙間をつくる部分)の正しいやり方を知りたい、ということだった。めちゃくちゃマニアックだ。どうやら、結城紬の織り子をなさってた方や、自宅で織り教室をされている方など、会の全員が先生のような面々らしい。予想外の展開だ。 

茂庭の居坐機(いざりばた)。江戸時代に作られた織機は修復・動態保存されている
経糸を腰に固定する、その腰当て部分が樹皮製でかっこいい 

「山熊田でのやり方は、家々や人それぞれ微妙に違ったりしますし、工夫し改良することもよくあることだから、正解が一つだけというわけではないようです」と、スマホで撮った山熊田の居坐機の画像を急いで探し、例を見せる。 
 この場合は、こういう問題を解決しやすいように工夫されたものだろう、こちらの場合はこの作業の効率を重視しているっぽい、と推測できる理由を解説すると、会の皆さんは「ああ、確かにそうよね!」「でも〇〇さんが違うと言ってたし」「だからここ(茂庭)も答えが一つじゃないんじゃない?」と白熱している。持参された綜絖部分の拡大カラーコピーを解読したり、結城との機の差異を論じたり、なんとか茂庭のスタイルに辿り着こうとする姿勢は研究者さながらだ。 

座談会化したトークイベントで山熊田のしな布を紹介。触ってもらった 

 飯坂町は温泉で有名だが、もとを辿れば養蚕絹織物が盛んな地域で、生産品の流通と取引先との商談や接待など来客のために鉄道が引かれ、それに伴い旅館業も栄えたという、根っからの織物産地だそうだ。桑の葉を摘んでお蚕さんのもとへ運んだり保管する際に「ゆたん」という大きな袋を使うのだが、それがしな布で作られていた。絹織物を支えるしなだ織。その地ならではの使い方だ。 

 一分一秒が惜しいというふうに情報交換は続き、あっという間に午後になる。近隣から遠方からお客さんが来場し、イベントが始まった。 
 茂庭のダムの紹介から始まり、「茂庭のしなだ織」の上映会、鈴木さんと私のトークセッションと続くのだが、対談というより座談会のようだ。冷めやらぬ熱意がぜんぜん止まらない。熱々のまま、織りの実演や体験に移行する頃には、私たちは帰還タイムリミットを迎えていた。時間が足りないなと思いつつもヘトヘトで、こういうモノづくりには満足なんてないものだしな、と片道四時間の帰路についたのだった。 

 しなだ織を復元したいと思ったきっかけは、使われなくなった昔の織り機や糸たちに出会ってしまい、動態保存すべきだと思い至ったからだろう。素晴らしいことだと思う。自然布づくりというものは、暮らす自然環境と共存して初めて成り立つもの。 
 今回は技術的な交流が主だったが、ゆくゆくは、ものづくりを通じて、おのずと自然環境との共存に意識が向くはず。茂庭のしなだ織の復元の意図はきっと、地域の誇りをわずかでも未来へ続く道筋に繋ぎ止めておきたい、より良い未来をつくっていきたい、というラブレターのようなものなのかもしれない。 

飯坂温泉の旅館にあった看板。混浴と男性の剃り込み具合がエモい
大滝ジュンコ

おおたき・じゅんこ 1977年埼玉県生まれ。新潟県村上市山熊田のマタギを取り巻く文化に衝撃を受け、2015年に移住した。

この連載が元になった大滝ジュンコさんの著書。『現代アートを続けていたら、いつのまにかマタギの嫁になっていた』(山と溪谷社。1760円=税込)
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