【連載】続・マタギの村から◎大滝ジュンコ――第62回/野生とコミュニケーションをとるということ

第62回 野生とコミュニケーションをとるということ

 あんなに雪があったのに、あっという間に山は新緑で溢れた。今年の熊の巻狩りは、ブナの新芽と競争するみたいに急ぎ足で、短期間のうちにシーズンが終わってしまった。一気に春になった。今年の山には熊がうじゃうじゃいたそうだ。沢は日も差し込み、遭遇率が高めだそうで、「沢端で昼寝してた」と夫。雪の少ない浜側の美味しい新芽の時期はとっくに過ぎ、寒いゆえ遅れて出る新芽の豊富な山に戻ってきたのかもしれない。 

 霜が降りる朝があったりしても、雪が消えたそばから「畑だ」「田んぼだ」「山菜だ」と騒ぎ出すのは筋骨隆々の婆たちで、そのペースにもすっかり慣れた。ああしろこうしろと指示される前に、肥料や種や苗などを買い、耕運機で畑を掘り起こす。同時進行でゼンマイは日当たりのいい山から順に芽吹いてくるから、連日早朝から夫は山に通う。母ちゃん(義母)はこの時期、しなの糸績みは一切せずに、ゼンマイ干しにかかりっきりになる。 

 ゼンマイは茹でたあと、二時間おきに揉んで天日干しする。まるで乳飲み子みたいに手がかかるのだけれど、干しあがるまでの変化はおもしろい。 
 鮮やかな緑色の生ゼンマイは、茹で上がるとくすんだ薄緑でツヤツヤピチピチ、透明感が出てきれいだ。それを青空のもとゴザに広げて、しばらくすると日に当たった部分が赤く変化してくる。両掌でやさしく揉むと、しっとりペタペタと水気が滲む。そしてまた広げて干して、を繰り返すと灰茶色になる。 

ゼンマイこきは、葉と綿をしごき取る。以前はこの綿と真綿を混ぜた糸で布を織った
茹でたてピチピチのゼンマイ。これが徐々に赤黒くなっていく

 さらに揉んで干して数日後、赤黒く光って縮れて硬くなる。干しあがったら最後に、食べると歯触りの悪く筋っぽい根本の硬くまっすぐな部分を一本一本、鋏やニッパーで切り除いたら完成だ。 
 極太、太、中、細と品質を仕分けているが、太いゼンマイほど干す日数が余計にかかる。私の手は華奢だが(残念ながら可愛らしくはない)、私の人差し指くらいの太さのゼンマイもちらほらある。初めはその巨大さにギョッとしたけれど、今や「すごく美味しそう……」とよだれが大量分泌する体になってしまった。 
 揉む方も力加減が一様でなく、茹でてからの初揉みは最もソフトに、被せた両掌の中で転がす。パン生地を丸める成形のような所作のイメージだ。徐々に力を強めていき、完成間近になるとギュウギュウ揉む。そういえば、蕎麦打ちの時は陶芸の粘土の菊煉りと同じ要領でいけた。まったく違うことでも、身体感覚やテクニックの応用ができるから、無駄な経験なんてないのだなと、つくづく思う。 

 順々に揉んでいくうちに、大きなテゴ(縄で編んだ袋)を担いだ夫が戻る。ゼンマイは急斜面に生えることが多いうえ、うじゃうじゃ熊がいるのに、丸腰でよく行くよなあ。日焼けして、干して二日目のゼンマイみたいな肌色になっている。テゴをひっくり返してぎゅうぎゅうに詰まった生のゼンマイを解放し、綿と葉を一本ずつしごき取る。その横で、茹で釜に火を入れる。このとき太さの仕分けをしておくと、後で楽だ。 
 ゴザ一面に一日干し、二日干し、三日干し……と新人と先輩が並んでいくのだが、ゼンマイを撫でる風や掌が香ばしい匂いになる。深呼吸が美味しい。天気もすがすがしくて、いい気持ち。 
 母ちゃんが元気なおかげで、私はしな布の機織りの合間や休日に手伝うくらいだけれど、村には薪づくりのチェーンソーの音が轟き、畝を作る鍬の音で賑やかだ。こんなだからやっぱり落ち着かない。機織りにはまったく向かない季節だなあ。

 ある日、ゼンマイの写真を撮ってきたと、夫が画像を見せてくれた。生まれも育ちも山熊田の夫は、どんな景色を切り取るのだろう。興味深々で画像一覧の画面を覗くと、なんと動画も撮っている。スマホを使いこなしてきたなあと感慨深く思っていると、「これ見てみっちゃ」と動画を再生した。 
 そこには山の斜面が映っているばかりで、「どうした? 何を撮りたかったんだ?」と探ってみるがわからない。横で「ほれ、ほれ」と夫。わずかに草が動いた。何かいる。子熊か? と思った途端、撮影者の夫が出す鈍い舌打ちのような音が聞こえ始めた。何かが左へ動く。何かが近づいてきてないか? 大丈夫か? 

 なんとそれは、ヤマドリの雄が夫に戦いを挑みに向かってきていたものだった。ほろ打ちで威嚇している。小走りでグイグイ近づいてくる。縄張りに入るな!と、明らかにご立腹だ。夫は「構うてやったんだ」と愛おしそうに笑う。 
 我が家ではセキセイインコを飼っていて、酔った私がしつこく単語を連呼して教えた結果、いろいろと喋るようになった。だが夫は、ジュッ、ジュッと独特な会話を試みる。まさにその音がスマホ画面から聞こえたのだ。体格も習性もまるで違うのに鳥類全般に同じ音で対応する。その雑っぽさに笑ってしまった。 

 カモシカに遭えば「フイッ! フイッ!」と息を強く吹き出して、彼らの威嚇の音の真似をするし、熊と鉢合わせしないために要所要所で「ホッ! ホーッ!」と甲高い声を立てる。 
 夫だけじゃなく、母ちゃんも村のみんなもやるから、私も自然とやるようになったけど、野生の鳥獣とコミュニケーションを取ることが当たり前の姿勢は独特でおもしろいなあ。動物も人間も同じ扱いなのも微笑ましい。「オイ、オイ!」と、しゃがれたおじさんの呼び声っぽいのは、熊だ。おじさんの返事がなくなるまで、「ホー! ホーイ!」と声を出し続けて追っ払う。薄気味悪いし緊張するけれど、山熊田で鉢合わせを避けるこのルールは、人にとっても熊にとっても依然有効だと思いたい。 

 数人で山に入る時も、位置把握や安全確認、休憩や帰るタイミングの合図に、熊よけと同じく「ホー!」とやる。一様に「ホー!」だから、数やニュアンスで相手の状況を察しなくてはならない。一回きりなら位置確認で、ひとまず一回返す。何回かあれば、熊よけ、あるいは「こっちへ来い」となり、「了解」の返事に一回「ホー!」とやるという具合だ。 
「まだそっちに行きたくない」「わかったけど嫌だ」という意思表示も「ホー!」一回だったりするから、わけがわからない。当然精度は低く、察する力を問われる。臆病な人、せっかちな人、返事をしない人など、それぞれの性格を鑑みて、「まあ仕方ない」「無事ならまあいっか」となる適当さも好きだ。 

 山に生きるとおおらかになる。しばしば呼び声コミュニケーションは失敗するけれど、帰宅後の答え合わせも楽しいものだ。鳥獣たちとのやりとりも常にあって、ああ、こういうことこそが調和なのだなあと思う。 
 ゼンマイのアクで茶色く染まった掌も悪くない。大きな自然の一部だと実感できるから。熊には遭いたくないけれど。 

夫が写した被写体には、五月なのにヒド(谷筋)の残雪もあった 
大滝ジュンコ

おおたき・じゅんこ 1977年埼玉県生まれ。新潟県村上市山熊田のマタギを取り巻く文化に衝撃を受け、2015年に移住した。

この連載が元になった大滝ジュンコさんの著書。『現代アートを続けていたら、いつのまにかマタギの嫁になっていた』(山と溪谷社。1760円=税込)
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