「投稿の広場」は、詩の投稿を募り、その一部をご紹介するコーナーです。選者は「詩のとびら」の著者である詩人のマーサ・ナカムラさん。今回は2026年1月19日から2月20日の募集期間に投稿された三十篇の中から選考を行い、全作品にマーサさんから講評をいただきました。


Iについて 緒方水花里
Iについて書きたいと思ったのだ。それはIからではなくAからであるが、Iの名前がAから始まるのとは何の関係もない。あ、と言った途端に口はもう季節に向けて走り出す。えきをいくつか通過する。町は街からすこしとおい。
Iはギターを持ったり立て掛けたりして、ストラップを首に通す時、パーカーのフードを一度すっぽり被る。その仕草が小柄なIにはよく似合っていた。腕の布をかるく引いて、ギターを弾く手首のそんなところに小さなほくろがあるのも何故だか良くて、パーカーの裾から覗くシャツのよれ、伸び過ぎた若白髪混じりの襟足、らーし、らーし、の摩擦音、Iの印象というのはそういう柔らかいところに留まっていた。
Iの口から沢山のオダたちといなくなった元からいない弟、田螺の姉たちが歩いて行き、絶えずさざなみがする。ひんじゃくで、麻布の擦れるるるる、帰り道のあたたかさを含んでいて、古眼鏡と口髭を裏目に、Iの声ははかなく、やくそく、と似ている。
座っている人の背中を少し離れたところからずっと見るという経験は稀で、しかもIの背中は一段高い箱の中で扉を開け、箱の前に座っていた。ピアノはギターよりもまちがいが目立つね。そう言いたかったけれど、ママさんバレーはすばらしく行われ、音楽なのだから目はいらない。まちがいのせいで学校に立てる。そういうことをIは指先で育てている。川原の小さな石を拾う。パーカーの前ポケットに入れる。
おれが痛くないことが恥ずかしくて、と伏せる顔の陰影ばかりが光る。
あきらめとあかるみは似ていて、そのぬかるみに足をとられること。A♭。
そのジャケットなかなかいってますね。シカゴで買ったんです。いきますね、原宿にも下北沢にも。わたしたちの私語はほどけることはなく、同じ地平を行くはずなのに言葉はふたつある。わたしのは固い。夜に絆されるIに背を向け駅に向かう。もうすこしいたかった。鉄塊を手にしてたたかわない方法を、たくさんのたましいがすり抜けるために透明な背骨を識りたくないと言えば噓になる。だからわたしは口を閉ざしてのひらでその固さをほぐす。箱が川を渡る。投げるのではなくそっと撫でて角を丸くしてやる。
Iの猫背。青梅をいつかは共に曲がると信じている。


ラー油の記憶 夕空しづく
ら、は妖艶で
ゆ、はやわらかい
だから、ラー油はこんなにきれい
らゆらゆらゆ、
と揺れながら
小皿に注がれ、虚ろにひかる
人差し指で触れたとたん、
母はやけに、怒ったようだ
やや、ゆゆしき、ゆゆ、ややしき
あのラーメン屋、つぶれたってさ
えっじゃあラー油はどうなったん
無事なん、ねえ、心配やわあ
しらんゆ、どっかで生きてんちゃうん
日を浴びすぎたメニュー表
たゆみすぎていた本棚
父が好きだったスーラーメンは、
からかったぁら、らららん
ぺたぺたコップに入った水を
飲み干したぶん、おとなになった
店の名前は、たしか、忘れて
ゆらん らゆん 架空の中也
ラー油は食べ物ではないし、
決して、飲み物でもないよ
脇役でもない、主役でもない
ただの、夕方の空だったよ





手紙 あられ工場
飯田橋の
歩道橋は
振動で揺れ
吊り橋の様
こちらは
梅の花が満開です
砂嵐が吹き荒れ
枯れた草
乾燥する地面に
切れた銅線やら
破片がいっぱいです
そちらはいかがですか
あのころの
みずみずしい世界では
木漏れ日は葉が揺れ
光が散らばり
さざなみに
反射した光が
風で揺らいでいました
こだまを
見送った時
高く高く空へ向かう
光の筋を最後に
何もかも
途絶えてしまいました
こちらは
雲が広がるばかりで
ブラインドは降ろされ
白い室内で
モニターを覗く日々です
埋め尽くされた四角に
文字を移植する
クリック音がエコーの様に
響いています
夕方 手紙を投函する
それから
あの道を曲がり
坂を登る
大荷物背負って
小さな体をさらに小さくまるめ
声にならない苦しさを
両手に抱え
足取り重く
下をむいて
坂を登る
登りきった
坂の上には
梅の花が
咲いている
声にならない
苦しさを
滲ませ
梅の木が
植えられた
この場所で
荷物をおろし
顔をあげ
しばらく
梅の木を眺める
それから八重の花びらに
顔を近づけ
ゆっくり
息を吸い込む
あぁ
惑星の長旅は
まだ
そして
脱走したのは
母に会いたかったから
今日も
歩道橋は
振動で揺れ
吊り橋の様
腫れた瞼を
しわくちゃに
しながら
こちらに向かって
止まらぬ言葉を
紡ぎ、伝えようとする
こだまの乗客は
今ごろ
茶畑を延々
見ているだろうか
暗闇の中
寂しさに
追いつかれぬ様
ありったけの力で
叫び
なんとか正気を保つ
耳はふさげない
乾燥した
埃っぽい
地上を離れて
どこへ行くのか
地下へむかう階段は
深くなるほど
幅が広がり
多くの人が
テンポを落とさず歩く
低い天井の階段を
前の人に続き降りる



ほとばしり アリサカ・ユキ
夜の昏い底
喘ぎが聞こえる
折重なるようにして
生まれることの
なかった声たち
初めての視線を交わす
白いビル
顫える
誰かのためにも
泣いたことのない魂
幼いおれの目を
空に向かわせ
生命を
嗅いだ犬たち
吠え、
歩くとき
振り撒く匂い
陶器の
頬をした女が
リードを引く
かなしい気配の獣たちは
親しみに鼻を鳴らし、
おれは積み木の塔を破壊した
木々、
葉群の狭間からあかり
ぬるぬるとひかり
いくつもの光点ら
愛しむ顔
くすぐられる
囲繞され
雲、
その心臓を
おれにくれ
太陽を引く馬らは
繭のようなかたちを
ずっと彼方に見て
戻ることはない
たった一つの
女のからだすら、
セミの温度に火傷し
靴を履く
蝶の動きを追い
金属の板を踏んだ
まっすぐに飛ぶ水鳥
崩壊していく斜陽
湖水の上に
立った鉄塔が
救いのきざはしを
降ろした
停まったカゲロウの
羽をみつめる
人形たちの
閉じない瞳
息をできず
可能性の数だけ
ちぎる
死の近さ
鼓動と同じリズム
白光する
片隅の孤独に
水棲生物の
かそけき足は
キックし
弱いあさを
生きようとする
MOATを超えて
天上の軍隊が
行進してゆく
祈り
生は鼓動する
柿を齧ったような
赤がして
おれは
夕方の九時
舗装を踏む
年寄りの男たちが
朽ち錆びた船に集まる
沈みゆく――に
母の声を聞き
(泣かないできた
だが
なんという世だ)
厳かな音
鐘の鳴る




囿 あらいれいか
高層階のあんよは遅れ
逃げ場を失ったからだ
灰皿にわたあめ
唯のなみかぜ
絖る
多面体のようにして
ぬれてにあわ 立ち上がる丹塗
丁重に染めた水棹は 眩い
かがみよ かがみ
過剰街灯で踊るものになる手を
ひとかげにむかって槞を蒔えてく
くぼみを残し似ていながら
やっぱり見上げる
稲妻がほつれ 紫紺を含まない
弾道のはしに かみひとえの背骨
過ぎたるはわたしの罔に
金の粉をふりかけて
ヴァカはわらべの手首に繋いでやる
きつねのよめいり 編み物してる
皓い百年の羽檻と景の布置
一枚づつ縛りなおす薔薇よ
リストカットのスマホづらに
いきをとめて
うつむいた祈りほど一夜のあいだ
奔放なまがりかどへ口を開けた
ひびを放射している
草を結っている
てんきは まぐれる
あとは葡萄酒の泡に混じって
陰の崗を追う
息むうちに 吩く
掌に吞み込まれたことがある
すべてはあばれんぼうスローモ
翳が彡に 独白ごと靴を脱いだ
それだけのオリーヴ
カスミの部屋でどう触ろうが
かべぎわのやわらかいもの
わたしは 黄土のまどのところへ
ニキビ跡のピクセルを積み替える
たとえばいまテレビを消した
指の温度が余剰
どっ、と罫線に腰かけ 啓く
ひとよまた彼方とゆうまぐれ
胸郭に痙った鐘
まって まばたきして バスに乗って
生温くなじんだ たてまえだけ送る
わたしは海であり
砂混じりの野獣にしてわらう
かたてまの垂直に発したそのうち
麹塵の杜は絵本と読んでみた
こんやのながめは古い家ばかり
私実に引き取ったあと
ひりつくような母親に染光する
並んで歩き出した 不眠症のコート
木目に安定する体躯といったらまた
白夜の残光をいったん増す
ゆるいものであってくれ
しをまねく、といっただろうか
浅梔子 羽ばたき、パチパチ
押し嵩ね 餓えを見失い
ぼおっとしていたけど
だれよりうつくしい
床を覆う膠飴は年月を重ねた
一枚の画布
塔の窓から 金糸を流すしめりけ
いつもハナのことを逆算する
めいど
焚きつける いかなる頬骨を
緑青をこすり合わせ 悠く
嵌まりこむフィルムに
眼球をつつむ苔
溜まる口のサビに
地平線そのもの
あさびらに閉じ込めた笑序律
かならず、霜雪を焦茶色にちぢめて
滅びゆく
おなじほしをみてるよ

黄昏 浅浦藻
薄暗い平野の
愚鈍な恋人たちと
鋭角の残る幽霊たち
暖冬だそうだ
(踊ることのできる人たちは
違う星から来ている)
薄暗い街の
食パンの耳のところのような
端っこの草地で
食事をした
そこで
一緒に
そして月を見た
(踊ることのできる人たちは
遠からず帰ってしまう)
わたしは
それをだまって見ているだろう
(幽霊たちは
軋むように泣く)
平野は薄暗くなって
あそこで泣いているのは
もう誰だか分からない
講評は次ページに続きます

