【連載】子どもたちと話したい読書のこと◎島田潤一郎——第21回/太陽のような子ども

第21回 太陽のような子ども

 太陽のような子どもがいる。
 彼女はいつも笑顔でいて、男の子にも、女の子にも好かれ、いつもみんなから、その姿をさがされている。
 休み時間になると、ほかのクラスから子どもたちがやってきて、女の子の名前を呼ぶ。彼女は笑顔で彼らのもとに駆け寄っていき、それまでその子と仲良く話していた子どもたちは、うらめしそうに彼女の背中を見送る。

 娘が久しぶりに学校の教室に入ったとき、彼女は娘の目をまっすぐに見て、「来てくれて、ほんとうにうれしいよ」といった。
 ぼくはいままでそんな小学生に出会ったことがなかったから、ほんとうにびっくりした。
 娘もびっくりしていたが、それ以上にうれしかったらしく、それからはことあるごとに、その女の子の名前を出した。

 どこに住んでいるんだろう?
 好きな給食はなんだろう?
 学校から帰ってきたら、だれと、どんな遊びをしているんだろう?

 このようなことを直接話し合ったわけではなかったが、ぼくも、娘も、ほかのクラスメートたちと同じように、彼女のことをもっと知りたいと願った。
 教室に入ったら、その子の姿を探し、彼女がもう一度、「来てくれて、ほんとうにうれしいよ」といってくれることを期待した。
 が、彼女はいつも同級生たちと遊ぶのに忙しそうで、娘にふたたびそのようなことをいうことはなかった。

 娘にはSちゃんという意中の子がいて、毎年クラス替えのたびに、Sちゃんと同じクラスになることを願った。
 娘は一年生のころに休まず学校に通ったが、それはSちゃんのおかげといってもよかった。

 同級生としゃべるのが苦手な娘にとって、一日の学校生活のなかでもっともつらいのが、授業と授業のあいまの五分休憩だった。
 Sちゃんはそのとき、しょっちゅう娘の席にきてくれ、娘にいろいろと話しかけてくれた。
 Sちゃんがいなければ、娘は一年生の段階で、小学校に通えなくなっていただろう。

 二年生のときも、三年生のときも、Sちゃんと同じクラスにはならなかった。
 Sちゃんは廊下ですれ違うと、かならず娘のもとによってきてくれて、満面の笑みで両手を振り、娘と両手を握りあった。
「また同じクラスになれなかったね」
 Sちゃんは娘に何度もそういった。

 今年の四月、三たびSちゃんと同じクラスになれなかったことは、「今年こそは」と思っていた娘にとってショックなことだったが、それはぼくと妻にとっても同じだった。
 ぼくたちは、Sちゃんと同じクラスになれば、もっと学校に通いやすくなるのに、と思っていたのだった。

 娘は三年生のころよりもさらに学校に行きたがらなくなった。
 でも、「来てくれて、ほんとうにうれしいよ」といってくれる女の子があらわれて、娘の学校生活に一条の光が差した。
 はずだった。

 ある日、学校に行くと、娘のクラスメートが、彼女が五月で転校することをぼくたちに教えてくれた。
 それからは毎日、あの子といっしょに過ごせるのはあとちょっとだから学校に行こうよ、と娘をうながした。
 が、娘は頑として聞かず、国語の授業にも、算数の授業にも、給食の時間にも行かなかった。
 そして、いよいよ今日で最後という日に、娘は久しぶりに教室に入った。

 先生の配慮で、その日は、授業の代わりに、転校してしまうその子と遊ぶ時間が二時間もうけられていた。
 娘に「参加する?」と聞くと、娘はうなずいた。
 転校してしまう女の子はそのことを知ると、「うれしい」といって、ぼくと娘の目の前でぴょんぴょん跳ねた。

 娘は遊びには参加せず、遠くから、みんなが遊んでいるのをニコニコと眺めていた。
 ぼくは娘の横で、「“オッケーよ” なんて強がりばかりをみんな言いながら 本当は分かってる 2度と戻らない美しい日にいると」という、オザケンの「さよならなんて云えないよ」の歌詞の一節を思い出していた。

(続く) 

島田潤一郎

しまだ・じゅんいちろう 1976年、高知県生まれ。東京育ち。日本大学商学部会計学科卒業。アルバイトや派遣社員をしながらヨーロッパとアフリカを旅する。小説家を目指していたが挫折。2009年9月、夏葉社起業。著書に『父と子の絆』(アルテスパブリッシング)、『長い読書』(みすず書房)などがある。

バックナンバー

バックナンバー一覧へ

  • URLをコピーしました!