第64回 「しな剥ぎ」の超熟練、不参加のワケ
年に三日間だけと決められてきた「しな剥ぎ」は、今年はうやむやになった。しな剥ぎとは「羽越しな布」の材料となるシナノキ樹皮を採る作業のことだ。
しな剥ぎをする家が少なくなり、個人所有の山へ、天気や気温のご機嫌を伺いながら気の向くまま採りに行く、という高齢世帯がポツポツとある、その程度になってきた。だから、わざわざ皆で取り決めなくてもいいのでは、という具合になったのだった。
そういうわけで今年は、各家に設置された告知端末タブレットで、集落内で「しなの口開け(採っていい日)」を放送しなくなった代わりに、「村のしな山の皮剥ぎを行う、その一週間前にしな山の草刈りを行う、来られる人は参加を」という旨が放送された。

通称「しな山」は、数十年前、村の共有林にシナノキやオオバボダイジュの植林を試みた場所で、八年ぶりに皆で剥ぐ。長らく整備を続けた結果、日当たりが確保され、ワラビが出るようになった。ワラビは毎春、村の皆で採りに行っているから、私たちには馴染みの深い山だ。
しな剥ぎはワラビ採り同様、集落に住む家々から一名だけ、希望すれば参加権がある。道普請や草刈り、雪下ろしに総会など、集落仕事ともほぼ同様のルールだ。村仕事は特に、高齢世帯が多く、腰の曲がった爺や婆たちも無理して参加せざるを得ない。さすがに心苦しくて、「人口が減った今、もうこのルールは現状に見合わない」と、パートナーが参加していても、私とKちゃんは勝手に出ている。他の若い衆も都合が合えば出る、という雰囲気になってきた。
だから当然、しな剥ぎも出る気でいたのだが、義母(母ちゃん)に「行って悪りあんぞ!」と止められた。どうやら分け前のルールを気にしている様子。
「二人出ようが一軒分だけ貰う、ではダメなんか?」
「容易でねえ」
「容易でねさげ行かんだ」
結局、もし参加人数が多かったら個々の負荷は減るだろうから、私とKちゃんは戻ってこよう、ということになった。
しかし、集合場所に行くと、思った以上に人が少ない。来ると思っていた婆たちがいない。熟練の爺から、しな剥ぎ初体験の村人など、私たちを除くと総勢八名だけだ。これはまずいぞ、と同行することにした。
何がまずいのかというと、バランスが非常に悪かった。八名のうち、初心者が二名。しな剥ぎは大きく分けて、「伐採」「皮剥ぎ」「あまたて」という三つの作業に分けられる。伐採と皮剥ぎは地形によって前後するのでセットで行動する。
だが、「あまたて」は樹皮をひっくり返して揉んで、樹皮の層をほぐす「コロシ」と、糸に使えない鬼皮など粗い樹皮を取り除く「あまたて」という二部構成。「コロシ」は力さえあれば誰でもできるけれど、「あまたて」はテクニックや経験が必要だ。「あまたて」をできる人が明らかに少ないのだ。それがまずい。
達成感や快楽を味わいやすいのは伐採、皮剥ぎだ。幹と樹皮の境目にバールを差し込み、ベリベリと剥がれる手応えが気持ちいい。樹皮を引っ張って引き剥がす時に瞬間的に力がいるが、一本に対しての所用時間も短い。皮剥ぎ伐採と、「あまたて」の木一本あたりの作業時間の比率は、幹の太さや形状にもよるけれど、一対九くらいだろうか。作業のしんどさは天秤では測れないにせよ、身体的精神的ダメージも「あまたて」の負荷のほうが圧倒的に大きい。
コロシの作業は、樹皮の内と外をひっくり返した状態で、全体重をかけて押し込むように揉む。強情で反りかえってくれない樹皮は、膝をぐいっと押し当てて力ずくで反らせる。糸になるしなやかな内皮(靭皮)と外皮を分別するために必要な作業なのだが、厚い樹皮の場合は、もうほとんどプロレスかレスリングかといった有様だ。抗い、いなし、押さえ込む。それを山の斜面で行うから踏ん張りが効かず、なおのこと消耗する。
ただこの作業は長丁場だから、近くに平らな場所があれば、そこへ樹皮を引きずって移動させ、作業したほうがずっとマシ。とはいえ、延々と中腰で、全力だ。田植えの手植えなんてかわいいもの。下を向き続け、顔面の汗が鼻の先からボタボタ落ちる。作業着もびっしょりで、夏なのに背中から湯気が出る。汗腺も全力だ。

コロシ終えたら、鬼皮を外にしてバキッと折る。そこで裂断せずに繋がっている柔らかい靭皮部分だけが糸になる。折り目を手がかりに剥いていき、内皮を引き離していくのだが、これもまた中腰で、地面に伸ばした樹皮を足で踏んで固定しながら、今度は押すのではなく引っ張り上げる動作だ。内皮はツルツルで、さらに樹液でヌルヌル、だんだんと握力もいうことを聞かなくなり、掌が悲鳴をあげる。
しかも樹皮は自然物。必要とする部位がきれいに剥がれるような、素直な層にはなっておらず、引っ張り上げる角度や速度を変え、様子を伺いながら剥がしていく。下手だと、大事な部位を取りそびれたり、また、糸にならない粗い部位が残る。取りそびれれば取り直すから二度手間になるし、粗い皮が残れば、せっかく煮たりなんだりと仕込んでも、無駄な手間も材料も多く出てしまい、取れ高も下がる。そうならないために樹皮と折り合いをつける最善の見極めと、その対処が非常に難しいのだ。
さらに、この山のシナノキは日当たりが良すぎて、幹は上方でなく、横へ横へと枝分かれをし、手入れをしていても節が残る。枝分かれ部や節は、糸にするために割く時や仕込み時に、繊維が途切れて非常に厄介となる要素だ。まっすぐで枝の少ない幹ほどしな布の糸に向いているのだが、そんな優等生はここにはいない。
枝の靭皮は薄く、費用対効果は極めて低いから、よほど太い枝でない限り切り落とす。剥いだ樹皮には枝葉が付いている。だから「あまたて」は、今後の作業を見据えて、より良い状態に整形する作業もする。私とKちゃんの腰には、鉈と手鋸、スクレーパーがぶら下がる。これは仕込み経験者でなければ判断できないだろう。
これは大変だ、と本腰を入れて、日陰で地面が比較的平らな林道で作業することにした。熟練の婆は、初心者の嫁を連れて山でやるという。私とKちゃん、彼女のパートナー、撮影しに来たカメラマンたちも手伝ってくれ、男性陣はコロシ担当、「あまたて」は私たち女性陣でこなす。しかし剥いだ樹皮がどんどん山から運ばれてくる。「あまたて」待ちの樹皮が山盛りだ。そんな状態なのに、夕方四時近くになってもチェーンソーの音が止まない。日が傾くにつれ、焦りと絶望が膨らむ。今日中に終わらせるつもり、あんのか? 手も腰も頭も、もう限界だ。
山から戻り、皆で品質や重さを均等に分け、くじ引きして分配する。遠慮したが、結局話し合いで、皆は私とKちゃんも頭数に入れてくれた。結局、家に戻ったのは七時近い頃だった。

「あまたて」作業は、村の婆たちみんなが超熟練なのだけれど、その婆たちが今回ほとんど来なかった。後日、その理由を聞いてみた。「こんな腰も曲がってらんに、しなが欲しくて行くようで嫌んだ」という。自分は戦力にならないのに、頭数に入れば均等に配分されるのが申し訳ない、強欲婆と思われたくない、と遠慮した、とのことだった。十分頼もしい戦力なのに! 無理にでも誘えばよかった……。私とKちゃんは心底残念がったのだった。
だって、次はきっと八年後。この集落の山を、集落の皆で皮剥ぎすることが想像しにくいことだったから。みんなでやれる最後の機会かもしれない。
……いや、まだわからないぞ。



おおたき・じゅんこ 1977年埼玉県生まれ。新潟県村上市山熊田のマタギを取り巻く文化に衝撃を受け、2015年に移住した。


