【連載】私の○○な日々◎第6回/三砂ちづるさん 私の「つかないぱんた」な日々

第6回 私の「つかないぱんた」な日々  三砂ちづる

「つかないぱんた」は漢字では「養い繁多」があてられているようである。沖縄県八重山地方で使われている。自分のことにかまけている時間などなくて、人を養ったり、お世話をしたり、とにかく家族の皆さんを支えるために、すごく忙しく立ち働き、稼ぎ、なんとかつじつまを合わせる……みたいな時期に使われる。沖縄本島方面の方は聞いたことがないと言われるので、八重山方言の一つなのだろうか。ちなみに沖縄県は、沖縄本島を中心とする沖縄、宮古島を中心とする宮古、石垣島を中心とする八重山の三つの文化圏に分かれている。同じ県内の琉球弧の島々ではあるが、言葉も文化も異なるところがある。つかないぱんた、は八重山方言であると思われる。

「上の子が東京の大学行っててね、真ん中の子は那覇で高校、一番下は小学生だからPTAの役員やらないとね、おばあちゃんも認知が出てきてよ、心配さあ。仕事のお昼休みとかも、お家に帰ってきてるよ」
「あいや〜、あんた、つかないぱんただね〜」

のように使われる。要するに、家族を支えるためにお金を稼いだり、食べ物を得てきたりする必要があって、自分が面倒をみるべき人が、つぎからつぎへと出てきて、ほんとに、自分の時間どころじゃなくて、寝る暇もない……みたいな時期で、多くの方にはその頃の記憶があると思うし、いま、まさにそのまっただなか、という方も少なくあるまい。

 わたしの「つかないぱんた」な時期のことを思い出す。そのころは朝から一升飯を炊いていた。もちろん、火を起こしてかまどで炊く、とかそんな大変なことであるはずがなく、あっさり、一升炊きの炊飯器を買ってきて、前の夜にタイマーをかけておいて、朝起きたらご飯が炊けている、という一昔前の女性たちからすれば夢のような簡単設定だったのであるが。中学生と高校生の息子たち、さらに、夫と自分自身の弁当を作り、息子たちの部活の後のおにぎりを作り、朝ごはんを出したら、それで一升の炊飯器は空になった。大きめのおにぎりなど、一個で一合のご飯をさくっと使ってしまうのである。全員送り出して、自分の仕事に出かける。地方出張があれば日帰りで帰ってくる、夕方遅くなりそうな時は晩御飯を用意し、弁当が作れない朝の分はハムとチーズとたまごだけはさんである、冷凍したサンドイッチボックスを持たせた。家族の食べることがずっと頭にあって、一升飯を炊いていたあのころは私の人生の最も勢いある華の時期だったのであろう。子どもたちを育て、父を看取り、義母を看取り、さらに夫まで看取り……子育てから続いての看取りの日々も終わり、子どもたちはわたしの庇護のもとにはいなくなり、わたしの「つかないぱんた」な日々は、終わった。

 時間は伸び縮みする、と言ったのはアインシュタインだけれど、本当に伸び縮みしているに違いない。あなた自身も最も人生で「つかないぱんた」だった頃のことを思い出してみられるといいと思うが、その頃の時間はどう考えても、足りなかったはずだ。あれをやっていた時間、これをやっていた時間……のあれこれを足していくと絶対時間は足りなかったはずだ。でもその時はなぜかつじつまが合っていた。いや、実は合っていなかったのかもしれない。その「繁多」な時期のために、気持ちを行き届かせることができず、寂しい思い、疎外された思い、に苛まれた家族がいたかもしれない。そしてほとんどの家族問題、といわれるようなものは、誰かの「繁多」の中で取り残されたやるせなさに起因しているような気もしないでもない。とはいえ、なんとかみんな、生き延びる人は生き延び、死に逝く人はいなくなってしまって、家族の模様がまた織りなされていくのである。

「つかないぱんた」な時期にはまた、当然のことのように、お金もかかる。みんなを食べさせるだけではなく、家のこと、学校のこと、病院のこと、おこづかいから衣服のこと……羽が生えたようにお金が出ていく。そして、お金もまた、時間と同じで、足してみるとどう考えても自分の収入と夫の収入だけでは足りなくて、全然まかなえなかったはずなのに、なぜつじつまがあっていたのだろう。それで回せたのだから、恵まれた環境では、あったはずだ。家計簿は何度か人生でトライしてすぐに挫折したのでつけておらず、銀行口座がなんとかマイナスにならないことだけを毎月気にして、がむしゃらに働き、つじつまをあわせていた。時間もお金も、なんだか伸び縮みしていたような気がする。

 定年まで三年を残して職場を離れ、東京も離れて、六十五歳で沖縄県八重山の竹富島に移住した。学生下宿や職場の寮のような設定以外で、いわゆる一人暮らし、をすること自体が思えば初めてである。職場を離れたので時間を切り売りする必要がない。わたしを必要として、ママ~、とか、お母さん~、とか、ちょっと~、とかと呼ぶ人もいない。寂しいかと思っていたが、ちっとも寂しくない。すべての時間が自分のためにあるという至福の中で、毎朝原稿を書いている。つかないぱんたな日々こそが人生の華、と、一升飯を炊く私は知っていた。みんな、わたしのそばからいなくなる、と、知っていたからかも知れぬ。

現在、人口三百数十人の竹富島で人生初の一人暮らし中。自宅の屋根にはシーサーが鎮座する
我が家に植えて初めて咲いたイペーの花 。鮮やかな黄色とラッパのような形が特徴
竹富島西桟橋から望む、美しい夕日と西表島
三砂ちづる

みさご ちづる 1958年山口県生まれ。文筆家。津田塾大学名誉教授。大学を定年前に退職し、65歳で竹富島に移住。2024年より八重山で女性民俗文化研究所を主宰。『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』『女たちが、なにか、おかしい』『心の鎧の下ろし方』(ミシマ社)、『竹富島に移住して見つけた人生で大切なこと』(幻冬舎)など著作多数。

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