【BOOKS】更地郊 著『粉瘤息子都落ち択』◎佐藤康智

限りなく大雨に近いマウンテンデュー

 2025年、すばる文学賞を受賞した小説である。 
 粉瘤[ふんりゅう]とは、皮膚の裏に老廃物が溜まったできもののこと。択[たく]とは、格闘ゲーム用語で、攻防手段の選択肢、またそれらから選択する行為を指す。粉瘤持ちの息子が都会から父母の暮らす故郷への帰還を選択する、みたいな意味の題名だ。 

 語り手の「俺」(野中知也)は、大学進学を機に大分から上京し、東京郊外である八王子の、急行が止まらない駅から歩いて十五分のアパートに住み始める。大学卒業後、居所を移さず就職したが、エクセルになじめず、きつい上司とも肌が合わず、入社三年目に心を病む。退社し、引きこもり生活を経て(この間に粉瘤ができる)、なんとか立ち直り、傷病手当金や、メルカリでの蔵書の売り上げで家計をやりくりしていた頃、大学時代の友人・忍[しのぶ]から久しぶりに連絡があり、月十万円の対価で、格闘ゲーム「ストリートファイター6」(スト6)の練習相手になってくれと頼まれる。 
 以来、忍とオンライン対戦し、報酬を貰う日々が続いたが、傷病手当金の期限切れを機に帰郷することを選択した「俺」は、サイゼリヤにて対面した忍にその旨を告げる(という場面から物語は始まる)。 

 忍との練習や、メンタルクリニックへの通院の傍ら、「俺」には欠かせないルーティンがあった。それは、アパート近くの自動販売機で炭酸飲料のマウンテンデューを買って飲むというもの。ある日、その自販機に、ラベルライターのテプラで拵えたテープが貼られているのを目にする。そこには怪しげな文章が印字されていた。 
《[じゃあ一生オマトゥマヘーオマヘマンヘーっつてろよ。]》 
 持ち帰り、いつしか粉瘤の血にまみれたテープを、ノリでメルカリに出品してみる。と、それが引き金になり、「俺」はおかしな事態へと巻き込まれていくのだった。 

 主に2024年の夏を舞台にした小説である。新紙幣が発行されて間もない頃だ。あの当時の、けっこう最近の若者文化を凝縮した小説に仕上がっている点が興味深いし、勉強になった。たとえばストリートファイターがこんなにも複雑な駆け引きのゲームに進化しているとは、スト2世代の私は知らなかったし、若者の間でブームのMBTIという性格診断についても、初耳だった。 
 かつ、新しい文化と対置させるように、古い文化も多く挿入されている。MBTIに対して細木数子、SNSに対してテプラ、企画系ユーチューバーに対してVOW風の路上アート、といったぐあいに。 

 27歳の「俺」は単純計算すると1997年生まれだが、2001年発表の宇多田ヒカル『traveling』を好んで何度も聴く。ゲームは好きだがeスポーツにはやや後ろ向き。エナジードリンクでなくマウンテンデューを愛飲する。前述の怪しげな文章の元ネタ(日本では2003年に流行った曲)が明かされた際には、すぐさまピンとくる。つまりどこかしら、古いもの好きなのである。それはおそらく物語後半、ある登場人物が「インターネットなんて関係ない場所でふざけよう」と語るのと同様の、エクセルで数値化できないような、古いものを持ってくる面白さによって、ネット中心で凝り固まった〝今〟の呪縛から逃れたいという気概の表れともいえるだろう。 

 私が最も面白かったのは、帰郷の直前、「俺」が土砂降りの空を見上げるくだりだ。 
《窓の外では雲の薄い箇所から日が射して多少の黄色みを帯びた曇天模様になって、雨はその色味に透ける。粉瘤の膿よりは淡い、この色味を知っていた。 
「マウンテンデューだ!」》 
 この場面から私は、村上龍『限りなく透明に近いブルー』(1976年発表)の有名な一節《血を縁に残したガラスの破片は夜明けの空気に染まりながら透明に近い。/限りなく透明に近いブルーだ。》を想起し、あまりに突拍子もないパロディに笑った。 

 が、思えば「俺」の大分→八王子という行程は、村上龍の長崎→福生と似ている。モラトリアムの終わりを描く点でも重なる。ついでに、「俺」が使うスト6のキャラは〝リュウ〟と因縁浅からぬ豪鬼[ごうき]である。先の一節だけでなく、本作は全体的に、かなり『限りなく透明に近いブルー』を意識した作品なのかもしれない。 
 帯文には「異形の〝底辺青春小説〟」と紹介されているが、現代と70年代とを力技で接ぎ木し、サブカルチャー的なギャップは多々あれ、本質的には変わらない青春の鬱屈を捉えるかのような本作は、正調の青春小説、でもある。 

粉瘤息子都落ち択

更地郊[さらち・こう] 著  

集英社   1870円(税込) 

佐藤康智

さとう・やすとも 1978年生まれ。名古屋大学卒業。文芸評論家。 2003年 、「『奇蹟』の一角」で第46回 群像新人文学賞評論部門受賞。その後、各誌に評論やエッセイを執筆。『月刊望星』にも多くの文学的エッセイを寄稿した。新刊紹介のレギュラー評者。

バックナンバー

バックナンバー一覧へ