波乱曲折な日本語の履歴書
《与次郎は三四郎の帳面[ノート]を引き寄せて上から覗[のぞ]き込んだ。stray[ストレイ] sheep[シープ]という字がむやみにかいてある。》(夏目漱石『三四郎』)
《そのお方のお名前のイニシャルは、M・Cでございます。》(太宰治『斜陽』)
《飛行機が着地を完了すると禁煙のサインが消え、天井のスピーカーから小さな音でBGMが流れはじめた。》(村上春樹『ノルウェイの森』)
といった具合に、日本の現代文には、漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字が、平然と共存している。このページを上にスクロールすると出てくるサイト名「web望星[ぼうせい]――放課後のガクモン――」も、また然[しか]り。
これほど異種類の文字が並んだ書き言葉を持つ国は、日本以外に例が無いらしい。どうして日本語はゴチャマゼなのか。さらには、なぜ「手を上げる」を「手お上げる」と書いてはいけない、みたいな、初心者泣かせのルールがあるのか。複雑な日本語表記の、やはり複雑な移り変わりを、日本語学者である著者が、広い視野から追うのが本書だ。
日本列島に人々が住み始めたのは、今からおよそ四万年前のこと。二千年ほど前に文字(中国語)の存在を知り、五世紀後半には無文字社会から離脱した。以来、様々な方法で、自分たちの言葉を書き表すようになっていく。
或時波漢字乃訓読弥登万葉仮名乎導入之[ある時は漢字の訓読みと万葉仮名を導入し](宣命文や白鳳万葉)、麻太安留刀岐波安底之乃味而加幾[またある時は当て字のみで書き](天平万葉)、ひとたひはひらかなはかりにかくなとし[一度はひらがなばかりに書くなどし](平安文芸)、そこに真名を散りはめもし[そこに真名(漢字)を散りばめもし](藤原定家本)、アルイハ音ヨミ漢字トカタカナヲマゼ(平安末期の仏教文献)、其処ヘ大和言葉ノ訓読ミ漢字モ結合サセ(和漢混淆文)、そのすゑに近代の言文一致運動などを経て、多様な文字たちが躍ってOKのバラエティ豊かな現代の表記に相成[あいな]ったわけである。ふう。
特に注目したいのは、過渡期のてんやわんやだ。悩ましい試行錯誤の数々にぐっと来る。
たとえば、鎌倉時代における藤原定家の「表記革命」。いろは四十七文字は元々、それぞれ別々の発音を持っていたのだが、平安末期、「お[o]」、「を[wo]」、単語の中間と語尾にくる「ほ[ɸo(フォ)]」が、同じ音になるような言語変化が起こる。仮名を発音通りに記せないケースが生じ、語の綴りが乱れる(こういった日本語音声の変化については、同著者の『日本語の発音はどう変わってきたか』で詳しくたどられている)。そこに文法の変化もかぶさって、鎌倉時代の人々は俄然、昔の文章が読みづらくなってしまった。
どうにかすべく定家は、仮名遣いの方針を整理したり、ひらがなばかりの和歌に訓読み漢字を〝ちょい足し〟したり、読みやすい改行(漫画の吹き出し文や電子メール文のような)を施したりと、画期的な「表記革命」を行う。このおかげで鎌倉時代の人々は、もっと言うなら今日の我々も、平安時代の文芸が格段に理解しやすくなったというから、定家GJ!
近世には契沖[けいちゅう]と本居宣長の手により、定家の仮名遣いの不備が補われ、歴史的仮名遣いが確立する。そしてこの、かっちりした歴史的仮名遣いが、明治初期の小学校に採用され、混乱を巻き起こすくだりも凄まじい。顔はカホ、竿はサヲ、帯はオビ、斧はヲノ、虹はニジ、紅葉はモミヂ、笛はフエ、家はイヘ、杖はツヱと書きましょう……。と、奈良時代文献を規範とした、ややこし過ぎる書き分けを、低学年の頃から容赦なく教わる羽目になったというからパニックにもなろう。大人でもウワーッと叫びたくなりそうだ。
今、私が書いているような、ひらがなが基調の「ひらがな文」が、近代以降の日本語として定着した理由を推察する段も興味深い。いやはや、こうなるまでに色々大変だったんだなあ。「を」よ、お前って、たくましいなあ。とか、いつもとは違うリテラシーで、書き言葉を愛[め]でたくなった。


さとう・やすとも 1978年生まれ。名古屋大学卒業。文芸評論家。 2003年 、「『奇蹟』の一角」で第46回 群像新人文学賞評論部門受賞。その後、各誌に評論やエッセイを執筆。『月刊望星』にも多くの文学的エッセイを寄稿した。新刊紹介のレギュラー評者。
バックナンバー

