めざせ「文学散歩」マスター
この前、小旅行の通りがけで、栃木県の足利駅に初めて降りた。するとホームに、聞き覚えのあるメロディーが流れた。
な、なつかしい……。森高千里[もりたか・ちさと]の、『渡良瀬橋[わたらせばし]』(1993年の楽曲)だ。発車メロディーに使われているということは、この駅から渡良瀬橋が近いのだろう。ちょっと行ってみようかな、という気になり、スマホで場所を確認し、渡良瀬橋と、たもと近くの歌碑を見物した。歌詞に登場する八雲神社も、そう遠くない場所にあると知り、物のついでとお参りした。神社の裏手には巨大な古墳があり、びっくりした。
駅メロのおかげで、当初の旅程からかなり脱線し、その後のスケジュールが押せ押せ状態になってしまったが、これも旅の醍醐味[だいごみ]だ。もっといえば、文学のフィルターを通すことで、まちの見え方が変わる、「文学散歩」の醍醐味でもあろう。
文学作品(『渡良瀬橋』のような同時代の歌謡曲も含む)を主題として、まちの風景と向きあい、向きあった風景を何らかの形で語り伝えることに、現代的な「文学散歩」の在り方をみるのが本書である。
今では普通名詞のように流通している「文学散歩」だが、もともとは、詩人・編集者の野田宇太郎[のだ・うたろう]によって考案されたものだった。1951年、野田は戦災で荒廃した東京を歩き、文人ゆかりの地や、文学作品の舞台の現況を捜し求める『新東京文学散歩』を発表する。以来、各地を対象とした「文学散歩」シリーズを書き継ぎ、日本に「文学散歩」というジャンルを定着させた。
他方、「文学散歩」なるものに付与される意味合いは、考案者である野田の思いを越え、時代とともに移り変わってきた。その変遷を、著者は多角的に追う。
図書館情報学を専門の一つとする著者だけあって、図書館業界における受容史の調査が行き届いている。図書館では「文学散歩」が、ある時期から「読書会」のような集会活動の一環として受け止められるようになった、という指摘が興味深い。結果、「文学散歩」のイメージは、野田宇太郎固有の、一人で歩いて文化の破壊に抗する紀行文的な重みから、皆とふれあいながら体験を共有する、ワークショップ的な軽みへと、徐々にシフトしていった。
野田の意外な業績に注目した点も面白い。日本初の本格的な文学館である日本近代文学館や、愛知県犬山市の野外建築博物館である明治村の活動にも、おおいに尽力した野田だが、頒布[はんぷ]地を限定した復刻本の出版にまで取り組んでいたとは、私は知らなかった。函館市でしか買えない『一握の砂』、武蔵野市でしか買えない『武蔵野』、北九州市でしか買えない森鷗外著作集、鷗外と夏目漱石の旧居や、石川啄木の暮らした理髪店が保存される明治村でしか買えない諸作……。といった、「文学散歩」のスピンオフ的なご当地復刻本九作の全容が調べ上げられる。
当時はさほど流行らなかったようだが、今ならどうだろう。何というか、早すぎた文学版「ポケモンGO」とでも呼ぶべき試みに思え、野田の営為の奥にひそむエンターテインメント性を垣間見[かいまみ]た心地がした。
意味合いの変化、多様化をふまえ、著者は「文学散歩」に「文学を主題としたあらゆる情報行動」という、新たな定義づけをほどこす。そこには、文学的な痕跡をたどる行為はもちろん、皆でめぐり歩く気軽なイベントも、そのなかで語りあうことも、さらにはいつか歩く人が読むかもしれないアーカイブを残す行為も含まれる。
《まちの言葉はみんなの言葉である。まちに暮らす私たちは、誰もが各々の生きている時代における詩人の一人である。詩人としての野田が東京のまちを歩いて書き残そうとしたことから「文学散歩」が生まれ出たように、私たちが自分の見ているまちの風景を語り残すことで、私たちの暮らすこの世界の見え方が違ったものになっていくだろう。》
野田は自身の「文学散歩」と、他の案内記のたぐいとを、文学的か否かで分けていた感があるが、私たちの誰もが「詩人」であるという見方から、「文学散歩」の領域を拡張し、それでいて野田の初志や、秘めたるエンタメ性とも、めぐりめぐって連環する、風通しの良い定義づけに思えた。


さとう・やすとも 1978年生まれ。名古屋大学卒業。文芸評論家。 2003年 、「『奇蹟』の一角」で第46回 群像新人文学賞評論部門受賞。その後、各誌に評論やエッセイを執筆。『月刊望星』にも多くの文学的エッセイを寄稿した。新刊紹介のレギュラー評者。
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