【BOOKS】パーシヴァル・エヴェレット著 木原善彦 訳/『ジェイムズ』◎澤一澄

『ハックルベリー・フィンの冒険』をひっくり返す!?

 全米図書賞・ピュリツァー賞ほか数々の賞を受賞した、2024年のアメリカ文学界の話題小説。マーク・トウェインがアメリカで1885年に(イギリスでは前年に)発表した『ハックルベリー・フィンの冒険』は、少年ハックルベリー・フィンが語るミシシッピ川を下る旅の物語だが、これを現代のアフリカ系アメリカ人作家パーシヴァル・エヴェレットがハックと道中をともにする黒人奴隷ジムの視点から改作したのが、この『ジェイムズ』だ。 

『ハックルベリー・フィンの冒険』は、ヘミングウェイが「あらゆる現代アメリカ文学は、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィン』と呼ばれる一冊に由来する」と賞賛したアメリカの永遠のベストセラー。一方、「良い子」ではないハックとその拙い言葉づかいや文法の間違い、当時一般的だった黒人への侮蔑や「ニガー」という蔑称の多用、ろくでもない白人たち、キリスト教信仰への疑問など、保守的な人々から禁書の対象にされてきた問題作だ。『ジェイムズ』でエヴェレットはこのアメリカの名作にして問題作をさらにひっくり返す。 

 時代はトウェインの『ハックルベリー・フィン』より後、南北戦争の直前。黒人奴隷ジム――彼は白人たちからこう呼ばれているが、ジムとはジェイムズという名前の短縮形なので彼は自分の本当の名前はジェイムズだと自認している。『ハックルベリー・フィン』のジムは賢く強い意志を秘めているものの、温厚で迷信深い人物に描かれている。しかし、この作品のジェイムズは知的で意志も肉体も強くたくましい。ジェイムズは判事の図書室にこっそり出入りして、黒人には禁じられていた読み書きや教養を身につけている。白人たちと話すときは「〜だだよ。」「〜ただ。」という田舎くさい黒人奴隷言葉を話すようにしている。子どもたちにも、奴隷らしく話し振る舞って物事の判断を白人に委ねることが白人の機嫌を良くし、自分たちの身を守ることになる、と言い聞かせている。他の黒人も仲間うちではふつうに話している。生きのびるための知恵として無知な黒人の皮をかぶって生きてきた。 

 ジェイムズは主人に売られることを知り逃亡する。一方、白人の少年ハックは虐待する父親から逃げ出す。ふたりはいっしょにミシシッピ川を筏で下る。ジェイムズはハックよりもはるかに自由をつかむ必要に迫られている。自分と妻子の自由を得るのだ。ハックには強い意志や教養もないが、人を支配するのもされるのも拒み、世間や法がいう正しさより自分の良心で行動する強さはある。ふたりには友情というか、父子のようなつながりが生まれる。これは『ハックルベリー・フィン』と同様。 

 物語の道中は『ハックルベリー・フィン』よりジェイムズにとって苛酷なものになる。ジェイムズは自分の思いを書きたいという情熱に駆られてきた。逃亡中、知り合った黒人奴隷に、鉛筆がほしいと言ったところ、さっそく主人の鉛筆を一本くすねてきてくれた。だが、彼はこのため主人から鞭打たれ、つるし首にされた。『ハックルベリー・フィン』にも登場した王様と公爵と名乗るユーモラスな詐欺師たちは、『ジェイムズ』では悪辣な泥棒だ。ジェイムズを殴り、売って金儲けをする。そのあとはほとんど著者エヴェレットのオリジナルだ。『ハックルベリー・フィン』を根底から覆してしまう秘密をジェイムズが語る。 

 ジェイムズは夢のなかで、ヨーロッパで市民の自由を説いた哲学者ヴォルテールとジョン・ロックに出会う。ジェイムズはふたりの哲学者に黒人の自由について問うも、彼らの時代には、黒人は人間のうちに入っていなかった。これは著者エヴェレットが昔の哲学者やアメリカ独立の英雄に問いただしたいことかもしれない。アメリカの繁栄は黒人奴隷が担うところが多かった。南北戦争、公民権運動を経て現在も、アメリカにおいて人間とは何か、人間の平等と自由は人種によって違うのか、という未解決のままの問題に著者は鋭くせまる。『ジェイムズ』発行から約一年、自由と平等を掲げてきたアメリカに刺さる作品だ。 

ジェイムズ

パーシヴァル・エヴェレット 著・木原善彦 訳

河出書房新社  2750円(税込) 

パーシヴァル・エヴェレット(Percival Everett)

1956年生まれ。アフリカ系アメリカ人作家。南カリフォルニア大学卓越教授。著書に『Dr. No』(全米批評家協会賞最終候補、PEN/ジーン・スタイン図書賞受賞)。『The Trees』(ブッカー賞最終候補)、『Telephone』(ピュリツァー賞最終候補)、『So Much Blue』、『Erasure 』、『I Am Not Sidney Poitier』などがある。小説『Erasure 』を原作とした映画『アメリカン・フィクション』が2023年に公開され、アカデミー賞脚色賞を受賞。本書は全米図書賞、ピュリツァー賞、英国図書館賞など数々の文学賞を受賞した。妻で作家のダンジー・セナや子どもたちとともにロサンゼルス在住。

澤 一澄

さわ・いずみ 1968年、神奈川県生まれ。東海大学大学院博士課程前期修了。専攻は中世アイスランド社会史。出版社勤務を経て司書。公共図書館・博物館図書室・学校図書館勤務のあと、現在介護休業中。アイスランドに行きたい毎日。写真は、今は亡き愛犬クリス。 

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