【連載】大草原のつむじ風◎大西夏奈子 ——第80回/カオスから生まれたロック! 自由を鳴らすNISVANIS

第80回 カオスから生まれたロック! 自由を鳴らすNISVANIS

 1996年11月22日夜、モンゴルの若者たちは、音楽で〝自由〟に出会った。 
 首都ウランバートルの文化センターに集まった、300人あまりの観客は、まるで何かに取りつかれたかのように、飛び跳ね、踊りつづけた。 
 ステージにいたのはNISVANIS(ニスヴァニス)。この年の春にデビューしたばかりの、若き無名のロックバンドだ。彼らは「聴取厳禁」と名づけた初ライブで、モンゴルの音楽史に新たな歴史を刻む。 
 廃車を3台並べた上にドラムセットを置いた、前例のない演出。オリジナル曲や、尊敬するアメリカのバンドNIRVANA(ニルヴァーナ)のカバー曲などを演奏した。 

 当時、ソ連のペレストロイカの影響を受けたモンゴルは、市場経済と自由主義の波に突然飲みこまれた。国の体制が社会主義から民主主義へ変わってからまだ数年しか経たない、混乱の渦中にあった時代。仕事を失う者、モノ不足や物価急騰に苦しむ家族……。そんななかで若者たちは、〝誰の指図も受けない音楽〟に、新しい生き方を重ねたのかもしれない。まるで何かを取り戻すかのように、激しく踊りつづけた。 
「人びとが〝自由〟を初めて体験したかのような、ショッキングな光景だった」と振り返るのは、ボーカルのアムガー。あまりの激しさで、客席の椅子が大量に壊れたため、NISVANISはその会場で二度とライブはできなくなった。 

 ちなみに、バンド名の由来は?  
「NIRVANAは涅槃という意味だが、その反対の意味をもつのがNISVANISらしい。友人の映像監督がそう話すのを聞いて決めた」という。 

初ライブ「聴取厳禁」を控えた、NISVANISオリジナルメンバー 

 それから約半年前。場所は、ウランバートル中心部にある45番学校。 
 放課後、生徒が帰って静まりかえった校内に、結成されたばかりのNISVANISメンバーが集まった。先輩の国営ロックバンド、ソヨル・エルデネのベーシストであるダムディンスレンのはからいで、初めてのレコーディングを行うためだった。 
 ところが、緊張と不慣れ、機材の都合による一発録りの制約で、何度もやり直しがつづく。互いを励ましあいながら、夜通し挑んで、ようやく演奏にOKが出た。 

 しかし、次はいよいよボーカルのレコーディングというとき、長時間の演奏で、アムガーの声が枯れて出なくなった。 
「声ならウォッカを飲めば出るぞ!」 
 レコーディングを統括していたダムディンスレンの助言を受け、アムガーは急いで買ってきたウォッカをグラスで飲み干す。そして5分休憩。 
「……声が、もっと出なくなった!」 
 ついに夜が明けてしまい、レコーディングは翌日へ持ちこしに。45番学校の生徒が登校する前に、学校を出なければいけない。帰りぎわ、苦い気持ちを抱えながら、将来の思い出になればと、階段で写真を撮った。 

階段での記念写真に、眠らない夜の記憶が刻まれている 

 NISVANISの歌には、正直さと狂気が共存する。デビューしたてのころは、過激な歌詞に引いてしまう人も少なくなかった。しかし私の親友のように、学校が大嫌いで孤独を感じていたが、NISVANISの「学校なんて崩壊しろ」という歌を聴いて救われた若者もたくさんいた。 

 多くの曲と詞を書いているアムガーは、鉱山都市エルデネトの出身。 
 ウランバートルから直線距離で北西に約240キロメートルにあるこの街は、アムガーが子どもだったころ、ソ連をはじめ外国人居住者が多く、外国のようだった。そのため、社会主義時代であっても、ソ連やイタリアなど海外バンドの音楽を聴くことができた。アムガーはとくに、ビートルズの音楽に打たれた。 
「自分もビートルズのように、人の心を動かし、世界を変える音楽を鳴らしたい」 
 心のなかで炎を燃やした少年は、12歳から詞を書き始め、13歳で初めて作曲。映画の映写技師だった父からは馬頭琴を、看護師だった母からはモンゴルの弦楽器マンドリンやシャンズを、姉たちからはギターを教わった。  
「モンゴル語でハードロックを演奏したハランガや、民主化革命に強い影響を与えたホンホの存在にも、本当に驚かされた。ロックバンドのパイオニアである彼らのような先輩たちと同じ時代に生きられて、幸せに思うよ」

息子が音楽の道へ進むことを応援した、いまは亡き父 

 そして1991年、アムガーは首都ウランバートルにある教員養成学校・音楽科に入学した。 
 そのころは、まさに民主化への移行時期。故郷の両親から「危ないから、ウランバートルでデモに参加しないように」と忠告されていたが、好奇心を抑えられずに参加した。 
 この教員養成学校で、のちのNISVANISメンバーとなる仲間と出会う。 
「学校で学ぶ音楽はクラシックが中心。だけど若者の情熱を爆発させるためには、別の〝武器〟が必要だった。その〝武器〟こそが、ロック音楽だった」とアムガーは語る。 

 それから29年。音楽とは別の道へ進んだ仲間もいて、一部のメンバーが入れ替わった。現在は、結成時からいるアムガーとベースのダルハンバトのほか、ソロギターのホスバヤル、ドラムのオトゴンバトの4人で活動する。 
 長きにわたり、第一線を走りつづけるNISVANIS。彼らは今年11月に来日し、東京・渋谷で単独ライブを行う。モンゴルが〝自由〟を求めて揺れていた時代に生まれたロックは、東京でどんな音を掻き鳴らすのか?   

アムガーが「最高にロックな街」だと語る東京で、まもなくライブ開催 

(了) 

大西夏奈子

おおにし・かなこ フリーライター・編集者。広島生まれ、東京育ち。東京外国語大学モンゴル語科卒。日本では近所の国モンゴルの情報がほとんど得られないことに疑問を持ち、2012年からフリーランスになりモンゴル通いをスタート。現地の人びとと友人づきあいをしながら取材活動も行う。2023年9月に株式会社NOMADZを設立し、日本で見られるモンゴルの音楽ライブや日本モンゴル映画祭など、イベント企画も行う。 

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