第78回 2025年の「ナーダム」スタジアムの熱視線
7月11日は、モンゴルの人びとにとって心浮き立つ日。
太陽が照りつけ、からり乾いた風が吹きつけるなか、国民的祭典「ナーダム」が開催されるのだ。
ナーダムは、モンゴルの三大伝統競技――相撲、競馬、弓技――を中心に展開されるお祭り。色とりどりの民族衣装デールで着飾った人が集まり、屋台で買ったナーダムホーショール(挽肉入りの薄くてまるい揚げ餃子)にかぶりつきながら、競技の行方を見つめる。
ことし、私は取材許可を得て、ナーダムの開会式を間近で見られることになった。場所はウランバートル市にある国立中央スタジアムだ。

午前10時。スタジアムに入ると、派手な衣装を身につけた若者たちが日陰で待機していた。開会式の出演者にちがいない。
標高1350メートルのウランバートルでは、日本にいるときよりも太陽がちょっとだけ大きく見え、陽射しもジリッと強い。
午前11時。カメラをかまえた取材陣が、真上にある観覧席に一挙集中する。
国賓である天皇皇后両陛下が静かにご入場されると、会場中から熱い視線が注がれた。

モンゴルの伝統に敬意を示すように丁寧に会釈をされ、ご着席された両陛下は、とても穏やかな表情をされていた。
両陛下を見上げるたびに私は、ドキドキした。
音楽がとどろき、前日に国会議事堂から運ばれた9本の白い幟旗が中央に掲げられる。開会式のはじまりだ。

この幟旗は、モンゴル国の独立と主権の象徴であり、歴史的伝統、希望、融和、正義、燃えあがる活力をあらわす。
チンギスハーンが1206年にモンゴル帝国を建国したとき、9本の白い幟旗を掲げたことに由来するという。

次に、巨大な「国家の竈」があらわれた。
移動式住居ゲルの中央にはかならず竈があり、火は生活に欠かせない神聖な存在。
家族・氏族・国家が上向きに繁栄するように、という意味のこめられた儀式だという。
デールに身を包んだフレルスフ大統領が開会のことばを述べ、竈への点火がおこなわれると、竈がゆっくり左側へ移動していった。オリンピックの聖火のような演出だ。

正面に掲げられたチンギスハーンの肖像画が序幕されたら、ここからはめくるめく鮮やかなエンターテインメントのオンパレード!
中央の舞台や芝生のうえで、オルティンドー(長唄)やロックが歌われ、子どもたちが馬頭琴を弾き、ダンサーが華麗に踊り……場面が活発に展開した。
なかでも、外国人の私がもっとも息を吞んだのは、「馬」だった。
エネルギッシュな馬に跨った若者が、トラックを何周も駆け回るのだが、風のように速い!
F1のレースで右から左へ一瞬で消え去る車を首を大きく振って眺めるように、駆け抜ける馬をこの目に焼きつけようと、何度も首を振ることに。

開会式に馬が登場するのは、モンゴルならではだろう。
長い歴史のなかで、美しく賢い馬という生き物とモンゴルの人びとが、いかに密接な関係を築いてきたか。
馬と縁遠い生活をする私としては、単にその事実に心打たれるし、うらやましい。
数十頭に一頭くらいの割合で、落馬する騎手がいたのも衝撃だった。
トラックに叩きつけられた若者は、身を起こすと小走りにどこかへ消え、騎手を失った馬は何ごともなかったように走りつづける。
馬が過ぎ去るたび、箒をもってトラックに飛び出し、馬糞や土埃を大急ぎで掃除する人がいることにも驚いた(テレビ中継ではきっと映らない)。

モンゴルらしくない「鶴」と「桜」の衣装を着た子どもたちが踊る場面は、はじめ違和感があったが、日本からの特別なお客さまのための演出だと気づいたとき、感動した。

天皇皇后両陛下は、1時間半にわたる開会式の間、表情をくるくる変えて楽しまれていた。
モンゴルの人びとの真心が、両陛下のお心にまっすぐ響いたひとときだったと思う。ふたつの国が、互いに手を差し伸べあうような温かい接触を目撃して、忘れられない夏の一日になった。

おおにし・かなこ フリーライター・編集者。広島生まれ、東京育ち。東京外国語大学モンゴル語科卒。日本では近所の国モンゴルの情報がほとんど得られないことに疑問を持ち、2012年からフリーランスになりモンゴル通いをスタート。現地の人びとと友人づきあいをしながら取材活動もおこなう。2023年9月に株式会社NOMADZを設立し、日本で見られるモンゴルの音楽ライブや日本モンゴル映画祭など、イベント企画も行なう。