【連載】大草原のつむじ風◎大西夏奈子 ——第79回/1500キロ彼方の百年祭 

第79回 1500キロ彼方の百年祭 

「オブス県へ行ってみる?」 
 モンゴルの友人が突然そう言った。アルハンガイ県で開催中の音楽フェス「ARA」にいたときのことだった。 
 明日ウランバートルへ帰るはずだったけれど、こうして予定はすぐ変わる。 

 モンゴル人の行動力にはいつも驚かされるが、今回はスケールがちょっと大きい。ロシアと国境を接するオブス県は、ウランバートルから道なりで1500キロメートル。青森から山口まで縦断するような話だ。 

道中で立ちよった村の雑貨店に置いてあった顔 

 というわけで私たちは、アルハンガイ県を出たあと、中古のプリウスで西へ西へ。2日後、ようやくオブス県に入った。 
 すると間もなく、大小の石だらけの道がつづく山々のかたまりに遭遇。 
 プリウスでは越えられない上り坂に何度も立ち往生し、そのたびに車から降りて「1・2・3〜」と後ろから手で押すしかなかった。 
 40個くらいの山を越え、ついに村のようなものが目に飛びこんできた。 
 ここが目的地のヒャルガス郡。人口は2500人あまりだという。 

「ちょうど母校の創立100周年記念祭が始まるところだから、一緒に行こう」 
 道案内してくれた遊牧民の女の子に誘われるがまま、みんなで見にいくことに。彼女の両親も祖父母も、同じ学校の卒業生らしい。 

学校のOBによるモンゴル相撲大会 

 郡の中心地から少し離れたスタジアムへ移動すると、天然の芝生で、男性たちの相撲大会が白熱していた。 
 周囲をぐるり囲む客席に、鮮やかな民族衣装デールを着飾った老若男女が、ぎゅう詰めで座っている。照射する太陽に、カラフルな原色が映える。 

優勝者の副賞は田舎暮らしに便利なバイク 

 さえぎるもののない土地に風が強く吹きつけ、砂埃が舞う。かと思えば激しいスコールがやってきて、傘をさしたとたんに雨がやんだ。 
 汗ばんだり、冷えこんだり、天候の変化が激しい。 
 しかしそれに動じる人は(私をのぞいて)いないようで、淡々と競技が進んでいった。 

スタジアムのあちこちに馬がいる 

 次に、馬に乗った6組の夫婦が入場。お揃いのデールを着ているので、誰と誰がカップルなのか、ひと目でわかる。彼らはこれからスタジアムを3周し、その間に審査員がベストカップルと準ベストカップルを決定するという。 
 判断基準は、見た目の美しさやたたずまいなど(馬も人間も審査対象)。 
 狭いコミュニティーのなかで「公開カップル品評会」なんて、なんだかちょっと恐ろしい……! 
 遊牧民の女の子にそう話したら、「だから参加者を集めるのが大変だったみたい」と彼女は言った。 

ベストカップル大会の出場者たち

 それにしても、母校の100周年を、学年関係なく、盛大なお祭りで祝えるなんて素敵だ。 
 ちなみに前夜祭は、広場で夜通しおこなわれたディスコ大会。3世代で参加した家族もいて微笑ましかった。 

モンゴル式のキッチンカー 

 じつはオブス県自体も、ことしで設立100周年。モンゴルでは100周年を迎えた県や郡がいくつもあり、これには歴史的な意味がある。 

 さかのぼること1925年。その前年、宗教的指導者ボグド・ハーンの死去により、神権王政が廃止された。そして生まれたのが、世界で2番目の社会主義国家、モンゴル人民共和国。実質的にソ連の衛星国として、まったく新しい時代がはじまったのだ。 

 ソ連との仲がより深まっていく一方で、中国など一部の国々はモンゴルの「独立」を正式に認めようとしなかった。 

 モンゴルは当時まだ識字率が低く、ソ連の影響下で、学校やメディアなどのインフラが整えられた。ヒャルガス郡の学校も、ソ連の支援でつくられたのではないかと思う。 

 歴史のうねりに巻きこまれながらも、世代は入れ替わり、暮らしはつづいていく。社会主義時代は1990年代はじめに終焉を迎え、モンゴルは民主国家になっていまに至る。 

 スタジアムの外では、子どもたちが砂埃のなかを元気に走りまわる。 
 もちろん彼らは、社会主義時代のふるさとを知らない。 

ヒャルガス郡の子どもたち 

(了) 

大西夏奈子

おおにし・かなこ フリーライター・編集者。広島生まれ、東京育ち。東京外国語大学モンゴル語科卒。日本では近所の国モンゴルの情報がほとんど得られないことに疑問を持ち、2012年からフリーランスになりモンゴル通いをスタート。現地の人びとと友人づきあいをしながら取材活動も行う。2023年9月に株式会社NOMADZを設立し、日本で見られるモンゴルの音楽ライブや日本モンゴル映画祭など、イベント企画も行う。 

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