第55回 稲刈りに村の底知れぬパワーを実感
都会に赴くと、山熊田との感覚のズレを実感する。都会と田舎ではもちろん環境が違うのだけれど、物価の違いや公共交通の利便性などは想定内のズレだ。それらとは違って、無意識のうちにズレている事柄には、ハッとする。
その最たるものが「救急車の音」だ。埼玉の実家では生活音のように日常的で、「あの音の変化がドップラー効果っていうんだ」「最近、新型になったな」といった程度の音だった。救急車が近所で止まっても、当事者である方々の素性もよく知らず、せいぜい搬送される人の無事を祈るくらい。それぐらいありふれ、かつ〝遠い音〟だった。
ところが、村で鳴る救急車の音は一気に緊張感を走らせる。何もかも放り投げて「集合!」の合図に等しい。村じゅうの人間が集まり、情報を共有し合う。近しい人は、最低限の荷物だけ持って車に乗り込む。家族はもちろん、親戚たちもぞろぞろ救急車の後を追うのだ。
若手が少ないこの村で私は運転手になりがちで、そのまま病院の待合所で処置や検査、今後の動向が明らかになるまでの数時間、皆と共に家族に付き添う、というのが通例だ。
葬儀もそうだけれど、当事者は大変だから周りがフォローする、ということらしい。患者以外に十名前後が一気に押し寄せたらさぞ邪魔だろうにとも思うけれど、病院側は見過ごしてくれる。こんな感じだから、都会で救急車の音が聞こえても「誰だ!?」と条件反射で緊張するようになってしまった。
秋雨前線がウロウロして、稲刈りのタイミングが推しはかれない今年の秋。東京以西は残暑が厳しいとニュースで聞くが、この辺りはすでに朝晩寒い。薪ストーブの煙もちらほら見える。隣村の乾燥籾摺り所の主人と天気の様子を伺いながら日程調整し、三日後の平日に我が家の稲刈りと決めた。
日取りを決めた翌日の土曜日は彼岸入り。母ちゃん(義母)や村の婆たちは朝からオハギをこしらえて、彼岸の念仏を回しに地蔵堂に行く。夫はいつも通り仕事へ、私は通院のために山を降りていた。雨が落ちてきた昼過ぎにメールが入る。「今日、急遽稲刈りになったので買い出しを頼む」とある。へ? んん? 何だって!? 今、雨降っているのに!?
折り返し夫に電話をしても出ない。稲刈りを手伝ってくれているだろう親戚も出ない。家の電話にも出ない。これはもう稲刈り中か、コンバインに乗っている可能性が高い。買い出しって、もう昼過ぎだから晩の宴会の準備のことだろう。何人分だ? 週休二日制がいまいち浸透していない地域だから、仕事に行った人も多いはず。こんなに急だし、元気で加勢ができそうな近所の爺婆たちを加えても、総勢五、六人か。と予想して、休憩時用のパンやお菓子、宴会の食材を買って村へ戻った。
帰宅する前に田んぼへ寄った。するとコンバインが三台、フル稼働している。村にある全てだ。見れば、爺婆だけでなく仕事に行っているはずの世代もいて、三反ほどの小さな圃場に十名ほど。現状把握しようと母ちゃんを探しあて、話しかける前に「おにぎり買うてきたか?」と問われた。まさか、みんな昼ごはんまだなのか!? 十人前の米を今から炊いても間に合わない。午後二時になろうとしていた。急いで帰宅し、ファストフード店が遠いゆえに時々作って冷凍保存しているマフィンバーガーをありったけ温め、煎餅やら何やら、空きっ腹をしのげそうなものをかき集める。全く足りないだろうが仕方ない、と急いで田んぼに置いてきて、今度は宴会の準備だ。想定の倍の人数だ。時間もない。

宴会が始まる頃には、間違いなく全員腹ペコだ。家で一番でかいフライパン山盛りの焼きそば、熊汁を煮るときに使う鍋で大量のおでん、鶏の唐揚げにサラダ、買ってきた惣菜やオードブル、大根葉の胡麻和えに漬物、と何とかそれらしくなってきた。
準備が整う頃、皆が帰ってきた。さすが三台での稲刈りは猛スピードで進み、あの稲刈りが本当に終わったのか、実感が全くない。続々と手伝ってくれた人たちがやってきて、いつもの宴会になったが、「本当に助かった、ありがとう」と始終言い続けても、やはり実感がない。
なんでこうなったか。まず、稲刈りシーズン真っ只中で乾燥籾摺り所の予定は埋まっているなか、前の人の乾燥が早く進み、機械が空いた。局部的な雨を降らす天気が続き、天気予報もコロコロ変わる。そして今年の作を見て、夫はできるだけ早く刈ったほうがいいと焦っていたから、作付面積の小さい我が家ならこの隙を利用できるのでは、と乾燥所の主人が急遽提案してくれたのだった。さらに土曜日とあって、たまたま脱穀所に顔を出した村人が稲刈りを聞きつけたり、仕事を融通させて急いで来てくれたり、まるで救急車対応のように緊急事態さながら集まってくれた。いつまた雨が落ちてくるかわからない。その緊張感のまま、ダダダと稲刈りは終わったのだった。
改めて、すごい村だな、と思う。でもまだ実感がない。宴会の片付けをしながら母ちゃんと「狐に騙されているんでねえがな」と怪訝[けげん]に思いながら笑い合った。


おおたき・じゅんこ 1977年埼玉県生まれ。新潟県村上市山熊田のマタギを取り巻く文化に衝撃を受け、2015年に移住した。