第5回 組織のなかで
「郷に入っては郷に従え」という日本人なら誰もが知っていることわざがあるが、『広辞苑』によると、鎌倉期に成立した『童子教』という教訓書に載っていた言葉だそうで、それがいまなお古びずに残っているということは、このことわざがよほど我が国のひとびとの心情に合っているということなのだろう。
かくいうぼくも、郷に入ったら郷に従うタイプだ。
どんなにちいさな会社であっても、組織にはそれぞれのルール、しきたりがあり、それは合理的ないしは効率的という物差しをもってしてもすぐに変えることはできない。
むかしからそうなんだよね、とか、決まっているんだ、などといわれ、どうしてもいやなら、上司、あるいは社長に進言すれば、といわれる。
なによりそういうことを面倒くさいと思うタイプだし、交渉事も苦手なので、不満を溜め込みながら毎日黙々と働くことになる。それで陰で、うちの会社終わってる、という。
喫煙所で、あるいは飲み会の席で、自分と同じように会社に不満をもっているひとがいないかどうか、毎回さがす。
「このあいだのメール見た?」とか、「会議でのあの発言聞いた?」などと探りを入れて、自分と同じように会社に不満をもち、よいところさえあれば転職しようとしているひととテーブルの隅で熱心に話し込む。
二十年近く前の話だ。
あらゆる会社には歴史があり、社内規定があり、さまざまな不文律がある。それと同じように、会社にはさまざまな言葉があり、文法があり、クリシェのようなものがある。
それはその企業、業界でしか通用しない特殊な言葉というのではなく、「売上」とか「顧客満足」などといった、どんな会社でもつかうような言葉でさえ、その組織の色があり、歴史があるという意味だ。
たとえば、ぼくが在籍していた会社では「売上」という言葉はどちらかというと忌み嫌われ、その代わりに毎日「顧客満足」という言葉が飛び交っていた。
入社後しばらくすると、ぼくもしばしば「顧客満足」というようになったが、その言葉の意味はぼくが前に在籍していた会社でつかっていたような「顧客満足」ではなく、もっと宗教に近い何かなのだった。
いまでもうまく説明することが難しいのだが、それは顧客目線で仕事をする、というような意味でつかわれるのではなく、あくまで社内だけで流通する、従業員の結束を強めるためのおまじないのような言葉だった。
「顧客満足」と発信するのは主に社長で、社長の側近たちもそれとまったく同じ意味合いで「顧客満足」という言葉をつかった。
そこにはおそらく、勘というか、能力のようなものがあって、細かく説明されなくても、社長のいっていることをすぐに理解し、社長のいっている意味のままに、会社の指針や計画を部下に伝えることのできる人間がいる一方で、すべての言葉を自分の言葉に置き換えなければ気がすまないというようなタイプの人間がいた。
前者は出世し、後者はだいたい出世しなかった。
トップが発する言葉の意味を迅速に、かつ正確に理解して動ける組織は優秀といえるだろう。そこには齟齬がなく、乱れがなく、無駄もない。
一方、トップの言葉をてんでんばらばらに理解しているような組織は、そもそも組織ともいえないのかもしれない。
もちろん、世の中にはこの両者のどちらかの組織しかないということではなく、このふたつのあいだにさまざまな組織があるのだろうし、もっといえば、リーダーなどただの飾りで、その言葉や能力とはまったく関係なく動いている組織のほうがほんとうは多いのかもしれない。
ぼくは最初は、組織のなかにちゃんと溶け込むのだ。その会社でつかわれている言葉の意味を正確に理解し、その言葉でもって、発言し、メールを書き、上司に評価される。
けれど、それがいつも長く続かない。
社長のいっていることや、部長、課長、店長のいっていることに不満をもち、くすぶらせ、彼らになにひとつ文句もいわず、やがて体調を崩す。

しまだ・じゅんいちろう 1976年、高知県生まれ。東京育ち。日本大学商学部会計学科卒業。アルバイトや派遣社員をしながらヨーロッパとアフリカを旅する。小説家を目指していたが挫折。2009年9月、夏葉社起業。著書に『父と子の絆』(アルテスパブリッシング)、『長い読書』(みすず書房)などがある。