第9回 ぬり絵の袋
袋入りのぬり絵は、昭和20年代から30年代にかけての子どもたちにブームを呼んだ駄菓子屋の花形玩具だった。カラフルに彩色された袋の中には、ざら紙に輪郭線だけが印刷されたイラストが8枚ほど入っていた。玩具のぬり絵の人気は、昭和40年代に入ってカラーテレビのアニメーションに子どもたちが心をときめかせるようになった頃には去っていて、きいち、まつお、みえこ、フジオといった画号で制作していたぬり絵師たちも活動を止めた。
謎に包まれたぬり絵師たちの中で、石川松声堂と川村山海堂の絵師だった「きいち」こと蔦谷喜一[つたやきいち]は、昭和後期から平成期に幾度かインタビューを受けて、ぬり絵師だった当時と画家としての半生を語っている。
大正3(1914)年に京橋の紙問屋の五男として生まれた蔦谷喜一は、商業学校を中退して川端画学校で学んだのち、26歳だった昭和15(1940)年から玩具用のぬり絵を描くようになった。昭和19年に海軍に召集されて敗戦で兵役を終えると、しばらくは進駐軍兵士の土産の肖像画を描いていた。玩具のぬり絵の制作には昭和22年から復帰したという。最盛期には40人以上の絵師が携わっていた玩具のぬり絵の世界で、人気作家だった喜一のぬり絵は1ヵ月に160万セットもの販売数に達していた。ぬり絵のブームが終焉した昭和40年代以降は、肉筆画を通信販売で売る美術業者のために日本画や掛軸を描いていたという。
戦後の子どもの世界に現れた色鮮やかな袋入りのぬり絵に夢中になった幼少時代を過ごし、〝ぬり絵育ち〟であることを表明した創作者・美術家には、少女漫画家の竹宮惠子、版画家の山本容子らがいる。
〔参考文献〕
蔦谷喜一『きいちのぬりえ メリーちゃん花子さん』(草思社、1978年)
蔦谷喜一・上村久留美『わたしのきいち ぬりえ作家、蔦谷喜一の世界』(小学館、1997年)
尾崎秀樹『夢をつむぐ 大衆児童文化のパイオニア』(光村図書出版、1986年)
【上ヶ島さんのぬり絵コレクション】
上ヶ島オサムさんのコレクションから、秘蔵の袋入りのぬり絵を紹介します。なつかしのぬり絵の世界をお楽しみ下さい。(画像をクリックすると拡大表示されます)
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かみがしま・おさむ 紙物収集家。1957年北海道生まれ。東海大学工学部卒。著書に『レトロ包装シール・コレクション』(グラフィック社)、『絵はがきのなかの札幌』(北海道新聞社)、『さっぽろ燐寸ラベルグラフィティー』(亜璃西社)などがある。