明治以後、日本は国策として多くの移民を海外に送り出した。〝新天地〟〝海外雄飛〟といった文句が後押しし、南米、北米、中国、フィリピン、南洋諸島などに向かった移民の総数は100万人を優に超えるとされる。だが現実は厳しく、第二次世界大戦がいっそう暗い影を落とし、悲惨な状況に陥った移民たちも多い。ブラジル移民史に埋もれた日系移民のサントス強制退去事件もその一つ。それを掘り起こした映画『オキナワ サントス』を撮った松林要樹さん奮闘の日々。
2024年7月25日、ブラジルの首都ブラジリアで、戦中戦後の日系社会の扱いについてブラジル政府から謝罪が表明された。謝罪は大きく二つに分かれ、一つは1943年7月8日に起きたサントス強制退去事件。もう一つは1946〜48年に日本の戦勝を信じた日本人移民172人がサンパウロ州沖のアンシエッタ島の刑務所に送られた事件だ(私は後者を取材していない)。
ブラジル政府の恩赦委員会は、1964年以降のブラジルの軍事独裁政権下で起きた人権弾圧に関する審議を行うための委員会であり、第二次世界大戦中の日系人に対する取り扱いを審議することは異例だった。結果は12人の恩赦委員会の委員が全員、戦時中の日本人移民に対して謝罪すべきという判断をした。
謝罪が行われたブラジル人権市民権省の地下にある会場に駆け付けた人の多くは沖縄にルーツを持つ人たちだった。会場ではすすり泣きが聞こえてきた。沖縄にルーツを持つ人たちが沖縄県以外に住む地として、世界最大の居住地はブラジルのサンパウロ州だといわれ、およそ25万人以上の県系移民が暮らしているとされる。
私は2013年からサンパウロでの撮影がきっかけでブラジルに通いだし、その成果として2020年にドキュメンタリー映画『オキナワサントス』を作った。実は私のこの映画が、審議の資料として恩赦委員会に渡されていた。
七十三年前の事件と出会う
「松林君、第二次世界大戦中、サンパウロ州で起きたサントスの強制退去事件って聞いたことある? 日系移民が出してきた資料や書籍でも数行程度しか触れられていないのだが、今のブラジル日系社会にも重大な影響を与えた事件なんだ」
2016年6月、サンパウロの日本語新聞「二ッケイ新聞」(現「ブラジル日報」)編集長の深沢正雪[ふかさわ・まさゆき]さんから、そう切り出された。そして事務所内で山積みになっている本を手渡された。「ニッケイ新聞社」が、当時、刊行したばかりの『日本文化②』だった。
深沢さんが付箋を貼っていたのは「サントス強制立ち退き」というページで、岸本丘陽[きょうよう]というジャーナリストが戦後に書いた『南米の戦野に孤立して』という本を出典とする記事だった。
岸本のオリジナルの本は勝ち組の立場から書かれており(※)、ブラジルでは当時、発刊禁止になっていたそうだ。「1943年の7月にサントスから日系人が強制退去させられた。これは、戦前の日系移民にとっての出エジプト記なんだ」。出エジプト記が旧約聖書にのっているくらいしか知らないので、あまりピンとこないまま一緒に駅前の食堂に行った。
※日本敗戦の情報が正確に伝わらなかったブラジルの日系社会では、「勝ち組」と「負け組」の激しい対立が起きた。
ビルの外に出ると夕暮れ。提灯の形をした街灯が灯る。世界最大規模で日系人が住むサンパウロ、その中でも特に日系人が多い東洋人街リベルダージの地下鉄の駅前。駅前近くの食堂は、戦前の台湾から日本人として移住してきた台湾人一家が経営する店だ。
寿司のネタもマグロとサーモン以外の海の魚はほとんど見かけないブラジルの日本食。でもほかの南米の都市に比べるとサンパウロは日本食材が充実している。珍しくイカやらタコなどのネタもあって、日本のスーパーで買う寿司とさほど違いはない。味噌汁の出汁が人工調味料で味が濃すぎるが、日本で食べる木綿豆腐よりももっと固めの豆腐と一緒に食べた。日本の豆腐よりブラジルで食べる豆腐の方が大豆の味が強く私は好きだった。
あとから知ったが、この店の豆腐は沖縄の島豆腐の作り方で、生の豆を粉々に砕いてそのまま煮込む。ヤマトの豆腐は豆をそのまま煮だした後にそれをつぶして使う。その違いから栄養価も豆の香りも違う。豆腐が濃いなあと思いながら、深沢さんから戦前の日系移民の話を聞いた。
深沢さんの話のポイントをまとめると以下のようになる。
・1943年のサンパウロ州のサントスの強制退去事件は、日系移民が退去の対象になったが、退去の対象となった地区がサントス市内近郊だけなのか、サンパウロ州沿岸一帯なのか、よく分かっていない。
・これまで(2024年まで)ブラジル沖縄県人会とともに取材を八年やってきたが、サントス近郊以外の地域から退去させられたという話は聞いたことがない。
・退去させられた人数もはっきりしていないが、およそ6500名と言われている。
・当時存在したDOPSという政治警察が退去を実行したというが、公文書が残っていない。
・ドイツ軍の潜水艦がサントス沖までやってきて、アメリカなど連合国軍側の物資輸送船を次々と撃沈したため、枢軸国出身の移民の中にドイツ軍に情報を送るスパイがいると考えたのが、ブラジル政府が強制退去を行った理由。
いわゆる先行取材がない話だった。誰も手を付けていないので、私はしめたとは思ったものの、同時に、私のような個人の映像作家が手掛ける作品ではないとも思った。ポルトガル語の読み書きができ、優秀なスタッフがそろう、しかも予算のある「NHKスペシャル」などで製作されるべきものではないか。
まして七十三年前のこと。写真や資料映像が必要だが、素材がほとんどないことが分かり、編集室で悩む自分自身の姿が見えた。戦争に関連する七十年以上前の証言映像を見る観客にとって、話をしている証言者たちはすでにお年寄り。見る人は、証言する人が当時子どもだったという想像力を失ったまま、何となく話を聞いてしまうことが往々にして起きる。古い話だが、これは今に続く物語だと強く意識して作らない限り、たぶん映像にしてもなんだか新鮮味がない。
やんわりと断るつもりでいた。
飯をたらふく食べたあと、「まあ、証言だけの映像で作るのは難しいですね」と返事をした。しかし、深沢さんはすぐに「難しいことは考えないで、事件に遭遇した人を知っているから、一人でもいいから会ってみるだけでもいいんじゃない」と言った。
結局、このひとことが、『オキナワ サントス』作りへの旅の始まりとなった。
汽車の旅に心ときめかした少年
2016年6月21日、日本は夏至だが、ブラジルでは冬至だ。私は深沢さんから受け取った住所をもとに森口イグナシオさんの家に向かった。昼間とはいえサンパウロで撮影機材を持って街中を歩くのはいい気がしない。カメラなどの機材を持っていることで犯罪に巻き込まれることがある。古いカメラバッグに普段着のままだ。
サウージという地区まで地下鉄で行く。ウーバーを使おうと思ったが駅から歩けそうだった。タクシー乗り場にいる運転手も、ここから遠くないから歩いて行けという。
町中で携帯電話を出して位置を確認したりすると危ないと言われていたので、木陰に入って画面を見た。ブラジルの住宅は必ず通りに面して作られているので、目的の通りにたどりつけば見つかるが、通りの標識が見つからない。犬の散歩をしている年配の女性に住所を見せると「教授のところか?」と聞かれた。運良く近所の人だったらしく、案内してくれた。
イグナシオさんの家には大きなガレージがあり、その横に勝手口がある。インターホンを鳴らすとイグナシオさん本人が出てきた。がっちりとした体つきだった。応接間で椅子に掛けてあたりを見回すと、たくさんの本や絵がある。イグナシオさんは奥にあるキッチンと行き来して、なにかを準備をしている。妻が病気でご自身が介護していると言う。
インタビューができるようになるあいだ、機材の準備をした。イグナシオさんは建築学を教える大学の教授だ。日本名では忠義といい、サントスで1935年に生まれた日系二世だ。日本語での会話は問題ないが、読み書きは得意ではないと言う。
「私はサントスの日本語学校で育ちました。日本語学校は移民100年の時に日系社会に返還されましたね。まだ借地権が残っているようですが(2018年に完全に返還)。私が退去を経験したときはまだ8歳で、何が起きているのか、よく分かっていませんでした。明け方に着いた駅では子どもたちが走り回っていました。当時、サントスにいたのは、沖縄の人が多かったですね。大人たちがあわてているのは分かりましたが、サントスから汽車に乗ってサンパウロに行くことに、私は旅に行くような気がして心がときめきました」
強制退去時の記憶よりも、戦後の日系社会の混乱の中、父親がどちらかといえば、日本が戦争に勝ったと信じる勝ち組派だったことなどの話が中心だった。子供心に、両親が日本は勝っただの負けただのと言い争っていたことを記憶していた。
日本は負けたと知っている周りのブラジルの子供たちは、敗戦国の日系人の子供たちを「ジャッパ(英語でいうジャップ)」と呼び、さげすんでいたそうだ。学問を修めることで、いつか見返してやりたいと子供心に誓ったと言う。
イグナシオさんは、この事件に関して当時大人だった人は存命していないと言い切った。サントスから追われた日に、列車に乗ることで心がときめいたという話だけが収穫だった。
(つづく)
まつばやし・ようじゅ 1979年、福岡県生まれ。ドキュメンタリー映画監督。戦後もタイ・ビルマ国境付近に留まった未帰還兵を追った『花と兵隊』(2009年)でデビュー。『祭の馬』(2013年)は、2013年ドバイ国際映画祭〈ドキュメンタリー・コンペティション部門 最優秀作品賞〉を受賞。2020年、戦時中のブラジル・サントスからの強制退去を描いた『オキナワ サントス』を発表。著書に『馬喰』(河出書房新社)など。現在は沖縄在住。