【フォトエッセイ】日本の包み紙 Collection◎上ヶ島オサム――第18回/紙おてふきの袋

第18回 紙おてふきの袋

 駅弁等に添えられる紙おてふきは、ウェットティシュや使い捨ておしぼり等とともにウエットワイパー類と総称される。製造者団体の日本清浄紙綿類工業会では、主として人の手指などの汚れをとることを目的に作られた製品で、医薬品、医薬部外品、化粧品以外のものがウエットワイパー類にあたると定義している。紙おてふきは、殺菌・防腐剤を配合した薬液をしみ込ませたワイパー紙を、アルミラミネート紙の袋(外装紙)で密封シールをして製造される。

 紙おてふきの工業製造的な起源は、20世紀半ばのアメリカにさかのぼる。1956年に実業家のアーサー・ジュリアスは、食品パッケージ用の機械を改造して紙おてふきを製造することを思い立ち、ニューヨークのロウアー・マンハッタン地区で製造をはじめた。
 ジュリアスが作りはじめた紙おてふきは、その6年後の1963年にケンタッキー・フライドチキンの創業者「カーネル・サンダース」こと、ハーランド・デイヴィッド・サンダースの目に適ったことで、大きな飛躍を遂げた。サンダースとの商談に臨んだジュリアスは、ケンタッキー・フライドチキンの店で提供される紙おてふき製造を一手に受ける契約を同社と結ぶに至った。
 「It’s Finger Lickin’ Good」(指をなめるほどおいしい)がキャッチフレーズのフライドチキンに添えられて、全米のチェーン店で提供されることになった紙おてふきは評判を呼び、商品名のウェット・ナップ(Wet-Nap)は、紙おてふきの代名詞としてアメリカの人々に記憶されることになった。

 日本の紙おてふきの製造者団体である日本清浄紙綿類工業会では、1986(昭和61)年に「ウエットワイパー類の安全衛生自主基準」を制定している。以来、幾度かの自主基準の改正を経て、加盟企業では製造される製品の安全性および衛生性の確保と維持に努めている。

〔参考文献〕
「日本清浄紙綿類工業会のあゆみ」『日本衛生材料工業連合会ホームページ』https://www.jhpia.or.jp/about/history_info/industry_association_05/img/ayumi.pdf
Hillary Dixler Canavan, “A Brief History of the Wet-Nap, Barbecue Sauce’s Worst Nightmare”, EATER, (Jun 18, 2016). https://www.eater.com/2016/6/17/11936294/wet-nap-inventor
“Our Story”, Nice-Pak Products, Inc. https://www.nicepak.com/inside-nice-pak/our-story
雪廼舎閑人『汽車弁文化史』(信濃路、1978年)

【上ヶ島さんの紙おてふきの袋コレクション】

 上ヶ島オサムさんのコレクションから秘蔵の紙おてふきの袋を紹介します。お楽しみ下さい。(画像をクリックすると拡大表示されます)

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かみがしま・おさむ 紙物収集家。1957年北海道生まれ。東海大学工学部卒。著書に『レトロ包装シール・コレクション』(グラフィック社)、『絵はがきのなかの札幌』(北海道新聞社)、『さっぽろ燐寸ラベルグラフィティー』(亜璃西社)などがある。

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