【BOOKS】茨木のり子著/『歳月』◎松永裕衣子

この詩集でしか出会えない、茨木のり子の胸中

 強く優しく、凛とした佇まいの詩人、茨木のり子さん。彼女が生涯変わらぬ愛情を注いだのが、二十三歳で結婚して以来、二十五年間連れ添った三浦安信さんだった。 
 五十代半ばの若さで亡くなった八歳年上の夫への愛がどれほど深いものだったかは、三十一年にわたって挽歌を書き綴り、自身の生前には出版を許さなかった本書を開いてみればよくわかる。募る哀しみと愛しさ、鮮やかによみがえる美しい思い出、夢か現[うつつ]か見紛うような、夫との密やかな時間…。ページからは寂寥感とともに甘美な響きが漂う。 

〈好きだった頸すじの匂い/やわらかだった髪の毛/皮脂なめらかな頬/水泳で鍛えた厚い胸郭〉(「部分」)、〈わたしのなかで/咲いていた/ラベンダーのようなものは/みんなあなたにさしあげました/だからもう薫るものはなにひとつない〉(「泉」)と、恋心をうたう茨木さんは、生前のほかの詩集では出会ったことがない、まるで未知の人である。 
 対する夫もまた、〈日ごと夜ごと/顔見合わせている/古女房なのに/待ち合せのときには/なぜあんなにもいそいそと/うれしそうに歩いてきたのか〉(「町角」)という、羨ましいほどの仲の良さ。そんな強い絆の喪失という最大の危機を彼女はどのように受け止め、のちの人生を積み重ねていったのだろうか。 

 夫が亡くなった翌年から新たにハングルを学び始め、後年、韓国現代詩の紹介に尽力したことはよく知られている。翌1977年には『自分の感受性くらい』を発表。ロングセラー『詩のこころを読む』の出版はその翌々年。また、ベストセラー『倚りかからず』の出版は1999年、七十三歳のときと、多くの代表作が夫の死後世に送り出されていることに驚かされる。彼女の創作意欲・生きる意欲は生涯衰えることがなかったようにみえる。 
 けれども、〈峯々のはざまから/滲み出てくる霧のように/わが胸の肋骨[あばら]のあたりから/吐息のように湧いて出る/哀しみの雲烟〉(「駅」)とあるように、追慕の念は止みがたく、本書では随所に亡き夫との再会を希う茨木さんの胸中が吐露されてもいる。 
 曰く、〈隙をみて/やおらあなたの兵児帯をしっかり摑み/いっしょにくるりトンボを切って/今度こそいっしょに行くのです〉(「夜の庭」)。あるいは、〈急がなくてはなりません/あなたのかたわらで眠ること/ふたたび目覚めない眠りを眠ること/それがわたくしたちの成就です〉(「急がなくては」)、〈いずれ いずれ わたくしが/さっとはおってまいりましょう//忘れものよ 待ったでしょう〉(「レンコート」) 

 死こそ自らの目的地、二人の愛の成就であるという信念が、その後の彼女を支える大きな柱となっていたことを、私は本書によってはじめて知った。 
 詩集『歳月』はもともと茨木さんの一周忌にあわせ、2007年に花神社より刊行されたものだった。茨木さん自身が選んだ作品を中心に、全三十九篇が甥の宮崎治氏の手によって丁寧に編まれている。今春、代表作『自分の感受性くらい』に続いて、岩波現代文庫のラインナップに加わった。長らく入手困難だった名著のきわめて重要な復刊である。 

歳月 』 

茨木のり子 著  

岩波現代文庫 990円(税込) 

茨木のり子 

いばらぎ・のりこ 1926〜2006年。〈現代詩の長女〉とも称される、戦後の日本を代表する現代詩人。1953年、川崎洋と二人で同人詩誌「櫂」を創刊。「わたしが一番きれいだったとき」をはじめとする作品群で戦時下の女性の青春を描く。敗戦を契機にひらかれた幅広い社会意識と健康な批評精神が特徴で、スパッと歯切れのいい言葉が断言的に出てくる、主張のある詩、論理の詩、倫理の詩、あるいは読者を励ます、人を奮い立たせてくれる詩が多い。詩集に、『対話』『見えない配達夫』『自分の感受性くらい』『倚りかからず』など、また訳詩集に『韓国現代詩選』(読売文学賞)がある。 

松永裕衣子
茨木さんの肉声にふれることができる、こちらの本もおすすめです↓ 
詩のこころを読む
(岩波ジュニア新書) 

まつなが・ゆいこ 1967年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。千代田区・文京区界隈の中小出版社で週刊美術雑誌、語学書、人文書等の編集部勤務を経て、 2013年より論創社編集長。

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