【BOOKS】村田沙耶香著/『世界99』◎佐藤康智

あなたの知らないわけではない世界

 芥川賞受賞作『コンビニ人間』が多くの言語に翻訳され、世界各国に読者を持つ作者による最新長編小説が本書だ。上下巻で800ページ超のボリューム。これまでの作品群の集大成的な内容。題名に響く、昔のテレビゲームでいえば最強レベルの数字「99」ともあいまって、なにやらラスボス戦の様相を呈している。 

「私という人間を、私ではなく、周りの人間が作り上げていて、中にはなにもない」と感じる主人公の空子[そらこ]は、子どものころから自身を「分裂」させつづけている。父親の前では可愛くて素直なキャラ、小学校の女子グループの前では思春期キャラ、まじめな友人・白藤さんの前ではまじめキャラ、といったぐあいに、中学、高校、大学、バイト先、対男性、対恋人など、様々な関係性ごとに、相手の欲しそうなキャラクターを演じ分け、人間関係にまつわる危険と面倒を回避してきた。 

 大人になっても空子は、差別感覚や金銭感覚、社会的関心などの多寡に応じ、⓪①②③④⑤⑥⑦⑧……とナンバリングした世界のあいだを、キャラを変えつつ行き来する。のだが、自分以上に完璧にキャラチェンジをこなし、空子の欲するキャラのごとくふるまう同僚・小早川さんの登場により、世界は一転する。 
 そこに加えて「ピョコルン」というふしぎな生き物が世界を二転三転させる。当初、単なる愛玩動物にすぎなかったピョコルンは、次第に性欲処理の対象として扱われるようになり、はては出産、家事、育児までも代行する存在へと〝進化〟する。従来の人間の性別の下に、ピョコルンという新たな性別が組み込まれたことに伴い、世の中の恋愛観や家族像は大幅に変容するのだった。 

 ピョコルンの性質から、星新一のショートショート『セキストラ』(1957年発表)を思い出した。性行為と同等の興奮を人体に与えるセキストラという装置が世に広まったことで人々が非暴力的になり、世界平和が訪れ……、という話である。また、空子の極端な八方美人ぶりからは、ウディ・アレン監督の映画『カメレオンマン』(1983年公開)を想起した。どんな人からも承認されたい欲求が高じ、対面するコミュニティに応じてカメレオンのように変身する主人公・ゼリグの生涯を追う一代記だ。 
 終盤、ある種の全体主義に近づいていく、という、物語の大まかなベクトルにおいても、これら二作と本作とは、けっこう似ている。 

 とはいえ、印象が大きく違うのは、迫り方が異なるためだろう。 
『セキストラ』は新聞等の資料の切り抜きを並べる体で、『カメレオンマン』はドキュメンタリー風に、物語られていた。いずれも、鳥瞰的に出来事を見下ろす形だ。そのためか、登場人物のてんやわんやを他人事のように、にやにや楽しめる。 
 ひるがえって本作は、虫の目で至近距離から人間関係の百景を、情け容赦なくねちねちと見つめる。同じ世界に生きる者どうしが同調してうっとりしあう気味悪さや、別世界の者を無意識に差別している鈍さや、ダブルスタンダードの言動をとる小ずるさや、都合の悪い記憶を忘れて新たな世界になじむ節操の無さなど、登場人物たちのあれこれが、手の届く自分事のようにも見せつけられるので、手放しで楽しめない。ところどころで、にやけ顔が固まり胸中がざわつく。個人的には、男社会の極北とでもいうべき世界⑧への迫り方に、最もざわざわした。 

 読了後、題名には「キュー、キュー」というピョコルンの鳴き声も響いていることに気がついた。「世界99」とは、得体のしれない生き物を想像し、その視点に入りこんで人間を熟視しうる世界、たとえば小説の世界をも表しているのかもしれない。 

世界99

村田沙耶香 著  

集英社 上下巻ともに2420円(税込)  

佐藤康智

さとう・やすとも 1978年生まれ。名古屋大学卒業。文芸評論家。 2003年 、「『奇蹟』の一角」で第46回 群像新人文学賞評論部門受賞。その後、各誌に評論やエッセイを執筆。『月刊望星』にも多くの文学的エッセイを寄稿した。新刊紹介のレギュラー評者。

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