第5回 クラシック音楽は世界の大ヒット曲——梶井龍太郎
「世界でいちばん売れた音楽は何だと思いますか?」
もし、そう聞かれたらあなたはどんな曲を思い浮かべますか? おそらく多くの人は、ポップスの名曲を思い浮かべるでしょう。例えば、マイケル・ジャクソンの「Thriller」や、ビートルズのヒット曲の数々などです。若い世代の方だと、レディー・ガガやテイラー・スウィフトなどの曲を、イメージしたでしょうか?
ところが、もし「数百年ものあいだ世界中で聴かれ続けている」という条件を付けたとしたらどうでしょう。そう考えると、こんな答えが浮かび上がってきます。それはクラシック音楽です。
クラシック音楽とは何か
そもそもクラシック音楽とは、どのような音楽のことを指すのでしょうか。現在では、ヨハン・セバスティアン・バッハや、「ワルツ王」と呼ばれるヨハン・シュトラウス2世などもクラシック音楽に含めて考える人が多いでしょう。しかし、音楽史の用語としての「クラシック(古典派)」は、実はもっと限定された意味を持っています。
一般には18世紀後半、1750年頃から1820年頃までの時代を指し、代表的な作曲家はハイドンやモーツァルトです。バッハはそれ以前のバロック時代、ショパンはその後のロマン派の作曲家ということになります。
もっとも現在「クラシック音楽」と呼ばれているものは、このような厳密な時代区分とは少し異なります。バロックからロマン派、さらには現代音楽までの「シリアスな芸術音楽」を広くクラシック音楽と呼び、ポピュラー音楽と区別する考え方が一般的になっています。つまり、本来の意味よりもかなり広い概念として使われているわけです。
しかし、よく考えてみると、クラシック音楽とポピュラー音楽の境界はそれほどはっきりしているわけではありません。たとえば、「ワルツ王」と呼ばれるヨハン・シュトラウスの音楽は、現在では立派なクラシックのレパートリーですが、もともとはダンスのための娯楽音楽でした。
19世紀のウィーンでは、人々がワルツに合わせて踊り、まさに当時の流行音楽として楽しまれていたのです。言ってみれば、ウィーンの舞踏会は、いまで言うところのライブハウスのような場所だったのかもしれません。
もしタイムマシンでその時代を訪れたら、現代ならコンサートホールで静かに聴いているはずの音楽で、人々が楽しそうに踊っている光景に出会うことになるでしょう。しかも誰も腕を組んで難しい顔で聴いてはいないはずです。クラシック音楽は、もともとはずいぶんと賑やかな音楽だったのです。
そう考えると、将来ポピュラー音楽がクラシックになる可能性がないとは言えません。例えば、ビートルズの音楽はどうでしょうか。現在はもちろんポップスですが、もし何百年後にも世界中で演奏され続けているとしたら、その頃には「クラシック」と呼ばれているかもしれません。
クラシック音楽には一つ特徴があります。それは、作曲者とは別の演奏家によって演奏され続けるという点です。作曲者が亡くなった後でも、作品そのものが独立して生き続ける。クラシック音楽が、今なお世界中で親しまれている理由の一つと言えるでしょう。
本当に一番聴かれている音楽は何か
さて、本題に戻ります。では、世界で最も聴かれている曲とは何でしょうか。実は、これは意外に難しい問題です。レコードやCDの売上で比べるのか、ストリーミングの再生回数なのか、それとも演奏回数なのかによって結果は大きく変わります。
例えば、「最も歌われている曲」としてよく挙げられるのが「Happy Birthday to You」です。この曲は1893年、アメリカで幼稚園を経営していたヒル姉妹が作曲したとされ、もともとは「Good Morning to All」という歌でした。
それが替え歌として広まり、現在では世界中で誕生日に歌われています。確かに演奏回数だけを数えれば、これが世界一かもしれません。もっとも、この曲は誕生日ケーキの前で歌うためのものです。もしコンサートホールでオーケストラが真剣な顔でこの曲を演奏し始めたら、観客は少し戸惑うかもしれません。
では、売上という点ではどうでしょうか。一般に挙げられるのは、アルバムではマイケル・ジャクソンの「Thriller」、シングルではビング・クロスビーの「White Christmas」です。また、アーティスト別の総売上ではビートルズが圧倒的な記録を持っています。
こうしたランキングを見ると、クラシック音楽はほとんど登場しません。しかし、ここには一つ理由があります。ポップスではアーティスト単位で売上を数えるのに対し、クラシックでは作品単位で考えることが多いからです。
以前、私は「ポップスとクラシックはどちらが売れているのか」というテーマで試算してみたことがあります。レコードやCDの売上と物価などをもとに推定してみると、意外な結果が出ました。最も売れている作品として浮かび上がったのが、モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」だったのです。第2位はベートーヴェンの「交響曲第5番《運命》」でした。
もちろん、こうした結果は基準によって変わります。しかしクラシック音楽の面白いところは、同じ作品が何百年にもわたって演奏され続けていることです。レコード時代からCD、そして現在のストリーミングまで、120年以上にわたる録音を合計すれば、その数字は驚くほど大きくなる可能性があります。
なぜクラシック音楽は生き続けるのか
なぜクラシック音楽は時代を超えて演奏されるのでしょうか。もちろん作品が優れていることが大きな理由ですが、クラシックの名曲と呼ばれる作品は、その時代の最先端の音楽でもあるからではないでしょうか。
つまり、名曲として現在でも演奏される作品は、それ以前の音楽を踏まえて作られた、その時代の到達点ともいえる存在です。そして、それらは次の時代の音楽の手本にもなります。
そのため、一度忘れられていた作品が、後の時代に再評価されることも少なくありません。例えば、よく知られている「パッヘルベルのカノン」もその一つです。この曲は現在ではクラッシックの定番とも言われる作品で、正式には『3つのヴァイオリンと通奏低音のためのカノンとジーグ ニ長調』といい、一般に演奏されるのは前半のカノンの部分です。じつはこの曲も、1970年代に再発見されて広く知られるようになりました。
同じメロディーが順番に重なっていく形式を「カノン」といいます。「カエルの歌が聞こえてくるよ~」のような輪唱もその一種です。「パッヘルベルのカノン」は8小節ごとの和声進行でできており、「D – A – Bm – F♯m – G – D – G(Em/G) – A」という進行は「カノンコード」と呼ばれています。この進行は穏やかで心地よい印象を与えるため、クラシックだけでなくポップスやアニメソングなどにも広く使われています。
このように、私たちは日常生活の中でも知らないうちにクラシック音楽を耳にしています。結婚式では「パッヘルベルのカノン」が演奏され、運動会ではオッフェンバックの「天国と地獄」が流れます。CMやテレビ番組のBGMにも、クラシック音楽は数多く使われています。
つまりクラシック音楽は、特別なコンサートホールの中だけにある音楽ではありません。私たちの生活のあちこちに、さりげなく入り込んでいる音楽でもあるのです。こうして考えてみると、クラシック音楽は「一度ヒットして終わる音楽」ではありません。何百年ものあいだ世界中で演奏され続ける、いわば〝超ロングヒット音楽〟なのです。
ポップスのヒット曲が数年、あるいは数十年で世代交代していくのに対し、クラシック音楽のヒットは桁違いに長い時間を生き続けます。もしかするとクラシック音楽とは、「古い音楽」ではなく、「いまもヒットし続けている音楽」なのかもしれません。
もしモーツァルトやベートーヴェンがそれを知ったら、どう思うでしょう。ひょっとしたら「当たり前だ。自分は天才なのだから」と言うかもしれませんね。
クラシックとポップスの違いは、結局とても曖昧なものだということがお分かりいただけたでしょうか。次回は田丸智也先生に、この「クラシックとポップのあいだ」について詳しくご紹介していただきます。

かじい・りゅうたろう 国立音楽大学声楽科卒業。東海大学大学院芸術学研究科、フンボルト大学ベルリン博士課程修了。ベルリン国立歌劇場研究生を経てメクレンブルク州立劇場専属テノール歌手となり幅広いレパートリーでベルリン、ハンブルク、フランクフルト、ハレ、アテネ、エルサレムなどヨーロッパ各地のオペラ劇場に客演した。著名オーケストラとの共演や、テレビ、ラジオの出演も数多い。二期会、日本演奏連盟会員。
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