1990年、三十三歳のとき、もの書きを目指し一念発起して上京。
暴挙、愚挙、無謀だったかもしれませんが、以来、見事に文筆家として暮らしてきた岡崎武志さん。
そのライター稼業とは、どのような歩みだったのか?
出会った人、歩いた街、関わった雑誌や本を通して、見えてくる時代……。
最初は漫画家だったらしい
教員採用試験にどうしても合格できない。最後の一年は受験もしなかった。来るところまで来たという崖っぷち。
どうせ崖っぷちから飛び込むなら好きなことをと、書く仕事(あるいは雑誌編集)を求めて単身東京へ出てきたのだった。1990年春、4月初めのことだった。
高額の引っ越し費用が捻出できず、知人友人を頼って大阪のマンション(4階エレベーターなし)から荷物を運び出し、友人の運転による2トンロングのトラックで東京へ向かって走り出した。友人は大学時代のクラスメイトで事情を話すと、「よし、オレが行ったる」と胸を叩いて運転手役を引き受けてくれた。彼は当時、中型の免許を取得していた。
午後、大阪を出発し、新居の埼玉県戸田市のアパートに着いた時は夜が明けていた。目の前の駐車場にトラックをつけて、二人で荷物(九割は本)を部屋へ運び込んだ。レンタカー代、ガソリン代の実費は私持ち、朝飯に吉野家牛丼をごちそうしただけで、友人は一睡もせずそのままトラックを返却するため大阪へ帰って行った。
本の詰まった段ボール箱の山を横目にとりあえず眠ったことだけは覚えている。今日、そして明日のことしか考えられなかった。
〝なんのあてもなく上京〟と、よく文章に書き、人に話したりしたが、これは正確ではない。高校の講師時代に、マガジンハウスが発行する大判の詩の雑誌『鳩よ!』の投稿欄に、詩人・吉本隆明を描いたマンガが採用され、編集長の石関善治郎さんから「ああいうの、毎月描きませんか」と依頼を受けたのだった。私と、遠い東京を結びつける最初の恩人だ。
敬愛する詩人の荒川洋治さんを主人公に、さまざまな現代詩人が登場する四コマ漫画「荒川クンの現代詩冒険」が投稿欄に連載されるようになった。1986年のこと。これで荒川さんとのつながりもできたのだった。
また、この漫画を見た詩人の鈴木志郎康[しろうやす]さんから、新しい雑誌(『飾粽[かざりちまき]』)を作るから、ギャラは出せないけど、現代詩人をモデルにした漫画を描いてくださいと言われた。これも『鳩よ!』連載の少し後のことだったと思う。つまり、漫画を描くことで東京とのパイプができていた。
数年前、雑誌『中央公論』でライター仲間の永江朗さんと対談した際、「岡崎さんの最初の印象は漫画家、なんですよ。荒川さんに紹介されたときも、岡崎くんは漫画家で……と言われたことを覚えている」と雑談の中に出てきて驚いた。
私は肩書やプロフィールに漫画を描くことを記したことはない。しかし、永江さんの話や、自分の名前が雑誌で登録されたのは、たしかに漫画という分野であった。封印したわけではないが、東京へ出てくる導火線に火をつけたのは、漫画だった。 しかし漫画で食えるとはさらさら思っていなかった。
絵を描くようにイメージして文章を書く。今まで気づかなかったが、ライターとして私が生きていく中で、一つの特性であった気もするのだ。画家や漫画家、イラストレーターなどに筆達者が大勢いるが(一人挙げれば東海林さだお)、文章もイメージの世界だと定義づけたとき、気づかぬうちに自分の武器になっていたかもしれない。

東京遊泳の日々と「朝日」求人欄
川を一つ越したら東京というポジションを得て、最初の三ヵ月、大阪から持ってきた原付のスクーターにまたがって、毎日のように東京へ出かけて行った。まずは古本屋。1990年代、まだあちこちに古本屋が健在で、『古書店地図帖』を片手にしらみつぶしに巡るのが楽しかった。
早稲田界隈へもよく行った。現在、古本町としては寂れつつあるが、三十年前は二、三十軒の古本屋があった。それまで、大阪から毎年一度は「遠征」と称して東京の古本屋巡りをして、必ず早稲田界隈へも立ち寄ったが、それが日帰りでいつでもアクセスできる。夢のようだと思った。
スクーターを駆りながら、なぜかよく「チータカタッタチータカタッタ 笛の音が~」と口ずさんでいた。これは守屋浩の『夜空の笛』(※)という歌なのだが、とくに好きだったわけでもなく、なぜ出てきたのかわからない。憧れの東京を独り占めして、自由に遊泳できる喜びの発露だったのだろう。とにかく毎日が楽しかった。
※守屋浩[もりや・ひろし 1938〜2020] 1958年の日劇ウエスタンカーニバルでデビュー。ロカビリーブームを牽引した一人。『夜空の笛』は、大ヒットした『僕は泣いちっち』のB面。ともに作詞・作曲は浜口庫之助。

しかし、そんな生活がいつまで続くわけもない。貯金は少なかったし、5月には翌月の家賃を払うことさえ危なくなっていた。当時、『朝日新聞』に求人広告欄があって、月曜は出版・マスコミの職種が載り、これを熱心に読んでいた。大手の出版社へもぐりこむことはまず無理で、中小の出版社や編集プロダクションなどを赤鉛筆片手にチェックした。
ところが、壁となって立ちはだかったのは「経験」と「年齢」だった。大阪で同人誌の編集をしたことが、果たして「経験」と呼べるのか。さらに多くの求人の年齢が三十歳以下であった。これは保険の問題も関係しているらしかったが、とにかく三十三歳は歳をとりすぎている。大阪で出版社や雑誌社、編集プロダクションに勤めていた、となれば多少の融通は利いたかもしれないが、もと高校の国語教師というだけでは、せいぜい塾の講師ぐらいしか口はない気がした。
それでも求人欄にすがるしかない。月曜日が待ち遠しく、一面をすっとばして求人欄を読むようになった。東京は出版帝国で、世の中にこんなにたくさんの出版関連の会社があるのかと驚いたが、三十歳の壁はいぜん立ちはだかり、前途多難を告げていた。

株価が大暴落! 年明け、日経平均株価は3万8921円65銭でスタートしたが、下落が続き、4月2日には2万8002円7銭まで暴落。8月のイラクのクウェート侵攻や湾岸危機などもあって、大納会では2万3848円71銭となり、一年で日経平均株価が39%も下落した。株価バブル崩壊、今日まで続く失われた時代の始まり。
(つづく)
タイトル文字・写真・イラスト=筆者
おかざき・たけし 1957年大阪生まれ。立命館大学卒業後、高校の国語教師、出版社勤務を経てフリーライターに。「神保町ライター」の異名を持つ。近著に『憧れの住む東京へ』(本の雑誌社、2023年)、『古本大全』(ちくま文庫、2024年)、『ふくらむ読書』(春陽堂書店、2024年)などがある。


