【新連載】ライター稼業渡世日記 ──出会った人びと 歩いた街々◎岡崎武志 第1回

三十三歳のとき、もの書きを目指し一念発起して上京。 
暴挙、愚挙、無謀だったかもしれませんが、以来、見事に文筆家として暮らしてきた岡崎武志さん。
そのライター稼業とは、どのような歩みだったのか?  
出会った人、歩いた街、関わった雑誌や本を通して、見えてくる時代……。 

揺れる小舟のように 

 毎年、冬から春にかけて、寒さが和らぎ花の便りが伝えられる頃、少し心が不安定になる。というのも、1990年春、それまで長く住んだ関西を後に上京してきたからだ。ものを書く仕事がしたくて一念発起……というより破れかぶれの暴挙だった。たいした経験もなく、東京に知り合いや仕事のつてもなかった。 
 なにしろ1990年春、私は三十三歳。あまりに遅すぎる東京デビューだ。入学、入社で、十代後半や二十代前半で地方から上京してくる一般的な上京コースから十年から十五年は遅い、周回遅れだ。 
 今から振り返っても、なぜあんな無謀なことができたのかわからない。だから、春になると期待と不安がまじりあった、あの頃の思いが甦り、今でも気持ちが揺れるのだった。 
 最初、小さな出版社にもぐりこんで一年半、編集者を務め、フリーライターに転身し、現在に至る。履歴書に書き込むとしたらそれが私のこれまでだ。その間、じつにさまざまな仕事をこなし、本も四十冊以上を出し、なんとか書く仕事を中心に今日まで食いつないできた。ラジオやテレビ、講演などの仕事もしたが、基本的には「書く」ことで収入を得てきた。大学で教えたり(単発はある)、どこかに所属して定期的収入を得たりという安定はなかった。各種受賞歴もない。亡くなっても新聞に死亡記事が数行でも載るかどうか。つねに浅瀬で揺れる小舟のような渡世だった。 

 前置きが長くなったが、本稿では、そのライター人生を、出会った人びとの記憶とともに語っていきたいと思う。今年春で六十九歳、おそらく連載中に古希を迎えることになる。このあたりで、過去をまとめておきたいと思う。まだやり残したこともあるような気がするが、とりあえず一度、ここを着地点とする。 

筆者がタイトル用イラストとして描いたもの。
吹き出しは名優・勝新太郎が演じてヒットした座頭市の台詞。
ボツにしようとしたが、もったいないのでここに掲載

東京では住めねえよ 

 最初に住んだのが埼玉県戸田市。赤羽から荒川を越えたすぐのところに位置する。戸田の名を知る人がいるとすれば、戸田競艇があるからだろう(正式には「ボートレース戸田」)。私には当然知らない土地だった。東京を目指したのに、埼玉。間が抜けている。 
 なぜ戸田だったのかといえば、飛び込んだ池袋の不動産屋から紹介された物件がそこだったから。四月から東京に住むつもりで、三月後半に物件を決めるために一度上京した。池袋はそれまでにも東京へ遊びに来た際、必ず立ち寄った街で、とくに西口の雑踏がどこか大阪の街を思わせ、親しみが湧いていた。古本屋もあれば純喫茶もある、それに池袋演芸場という寄席もあった。どこか場末的で大衆的な匂いがしたのである。 

 細かな記憶はないが、とにかく本が五千冊はあったので(それでも大半を引っ越し前に処分)、二部屋プラス居住空間で三部屋、バストイレ付き。家賃は七万~八万円を希望と不動産屋に伝えたところ、 
「あんたの言う条件では東京では住めねえよ」 
 この「住めねえよ」という言い方をよく覚えている。東京弁の洗礼。大阪ならどうだろう。 
「はあはあ、それはよろしいなあ。けど、あんさんの言いはる条件では、なかなか難しいでっしゃろうなあ」 
「住めねえよ」の拒絶は、東京初心者にはけっこう響いた。 
「まあ一つ見てみますか」と不動産屋に車で案内された最初の物件が荒川を渡った戸田だった。そして、その場で決めてしまった。あちこち不動産屋にあたって、複数の物件を比較するような余裕はとてもなかった。 

 住所でいえば、埼玉県戸田市下戸田、某アパート103号室。建って間なしの建物で、軽量鉄骨二階建てアパート。とにかくきれいで洒落ていた。目の前がフェンスで隔てられた駐車場で、一階ならここに車を停めて、引っ越し荷物の運びだしにも便利だと胸算用した。六畳の洋間と四畳半の和室、キッチン付(六畳)の三部屋。トイレと風呂もついている。スペースとしては申し分ない。家賃は六万〜七万円ぐらいだったかと思う。 
 本当に決めてしまっていいのか? ここは東京ではないんだぞ! 頭をよぎる不安はありながらも契約した。もう引き返すことはできない。舟は港を離れてしまったのである。 

 最寄り駅は埼京線戸田公園。未踏の知らない駅。埼京線自体が開通してまもない新線だった。戸田公園駅の開業は1985年9月、構内に駅そばも牛丼店もなく、駅前にも飲食店およびカフェやコンビニもなかった。驚いたのはまだ有人改札だったこと。大阪では無人の自動改札が普及していたから、田舎の駅に降りたような感覚だ。 

現在の戸田公園駅。とても立派になられた


 本稿を書くため、久しぶりに戸田公園駅とかつて住んだ住居(健在)周辺を歩いてみたのだが、まず駅構内に「ビーンズ」というショッピングモールができていて、一階は大型スーパー「サミット」が入っている。改札付近にチェーン店の「サイゼリア」「日高屋」もあって、駅中にいて至れり尽くせりではないか。 

 住まいは駅から約一キロ。少し歩いてみたが、ほとんど何も思い出せない。駅東側には17号線。西川口から西進する喜沢通りと交わる交差点に「吉野家」があり、よくここで食べていた。交差点からすぐのところに「ベルクス」というスーパー。ここはかつて「忠実屋」だった。そこから少し歩くとアパートが見えた。たいした感慨もないが、とにかくここから私のライターへの道がスタートした。夢や希望より心細さが先行したスタートだった。

※「吉野家」の「吉」の字は、正しくは「土」かんむりに「口」。

お世話になった吉野家
くじけるわけにはいかない人生が、あの日ここから始まった
1990年(平成2)はどんな年? 

・湾岸戦争勃発 
・東西ドイツ統一(ベルリンの壁崩壊は前年) 
・『ちびまる子ちゃん』人気沸騰 
・任天堂「スーパーファミコン」発売開始 

(つづく)

タイトル文字、写真=筆者

岡崎武志

おかざき・たけし 1957年大阪生まれ。立命館大学卒業後、高校の国語教師、出版社勤務を経てフリーライターに。「神保町ライター」の異名を持つ。近著に『憧れの住む東京へ』(本の雑誌社、2023年)、『古本大全』(ちくま文庫、2024年)、『ふくらむ読書』(春陽堂書店、2024年)などがある。

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