【連載】子どもたちと話したい読書のこと◎島田潤一郎——第10回/ゼルダの伝説

第10回 ゼルダの伝説

 万城目学さんが居酒屋の席でNintendo Switchの『ゼルダの伝説』がおもしろいといっていて、ぼくの従弟もまた、『ゼルダの伝説』がおもしろいといっていた。ぼくより九歳下の従弟はSwitchのゼルダではなく、子どものころにプレイしたNINTENDO64の『ゼルダの伝説 時のオカリナ』こそが人生でもっとも夢中になったゲームだったと回想し、そういえばずっと昔、高知のおじいちゃんの家で、手足の細長い小学生だった彼が一所懸命、主人公をあやつって、ゲームのなかの謎を解き明かそうとしていたのをぼんやりと覚えている。 

『ゼルダの伝説』のシリーズ最初のソフトが発売されたのは1986年、ぼくが小学校三年生のときで、ファミコンのディスクシステム用の初めてのソフト(正確にはディスクカードだけど)として近所のおもちゃ屋さんに並んでいた。 
 けれど、ぼくのまわりには『ゼルダの伝説』を買った同級生はだれひとりとしておらず、それゆえに、このシリーズにはずっと親しみをもつことができないままでいた。 

 亡くなった従兄とは(『ゼルダの伝説 時のオカリナ』を愛する従弟の兄だ)、ファミコンの『ダブルドラゴン』や、PCエンジンの『ファイヤープロレスリング』といった二人で協力して進めるタイプのゲームに熱中した。ひとりで遊ぶときは、黙々とタスクをこなすタイプのゲームを好み、光栄の『信長の野望』シリーズや、『三国志』シリーズを毎日飽きずにプレイし続けた。 

 大学生のころこそ、「ゲームなんて子どものやることだ」と考えて、一切ゲームに触れることはなかったが、二十七歳になり、フルタイムで働くようになると、自分へのご褒美としてプレイステーション2とニンテンドーDSを買い、深夜にサッカーゲームの『ウイニングイレブン』をやりこみ、翌日は眠くて仕方がないという日々を送るようになっていた。 

 会社を立ち上げて間もないころも、深夜によくゲームをやった。それはプレイステーション2の『グランド・セフト・オート』シリーズや『龍が如く』シリーズで、前者はアメリカの街を、後者は歌舞伎町をうろうろして、車を盗んだり、ヤクザと殴り合ったりする、いわゆるクライム・アクションゲームだ。 

 ある晩、やはり深夜の一時過ぎに、テレビ画面のなかでヤクザと喧嘩をしていたら、隣りの部屋で寝ていた母がのっそりと起きてきて、「そんなゲームばかりやっていないで、早く寝なさい」といった。そのときは仕事がうまくいっていなくて、ムシャクシャしていたので、「こっちだって夜遅くまで働いて、やっと自分の時間ができたんだ。自分の時間ぐらい好きにさせてよ!」と強く返した。 
 母は黙ってまた寝床に戻ったが、ぼくは自己嫌悪でその日はなかなか寝付けなかった。それから一、二ヵ月も経つと、ゲームをすること自体がいやになり、以前と同じようにゲームとは疎遠な生活を送るようになった。 

 ぼくの人生にふたたびゲームがやってきたのは、長男が生まれてからである。彼が小学校にあがり、仲のいい友人たちがみなNintendo Switchで遊んでいると聞いて、ぼくも急にこの最新のゲーム機に触れてみたくなった。息子に「ほしい?」と聞くと、目を輝かせて「ほしい」というので、彼の八歳の誕生日に家に持ち帰った。 

 三ヵ月もすると、息子の話す話題の九割がテレビゲームのことになった。スーパーマリオブラザーズ、大乱闘スマッシュブラザーズ、マインクラフト、スプラトゥーン。二歳年下の妹も兄に影響されて、誕生日プレゼントにはマリオシリーズのヒロイン、ピーチ姫の自転車やぬいぐるみをほしいというようになった。 

「なにかおもしろいゲーム知らない?」 

 去年の十二月、息子に相談をされた。彼はサンタさんにあたらしいゲームソフトをお願いするつもりだったが、自分ひとりでは何がいいか決められないでいた。 
「そんなの『ゼルダの伝説』に決まってるよ」 
 ぼくはそれまでやったことのないゼルダの名前を挙げ、「絶対に間違いない」とまでいい切った。 
 息子はそれでも迷っていたが、結局父の助言に従って、サンタさんに「『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム』をください」とお願いをすることになった。 

(続く) 

島田潤一郎

しまだ・じゅんいちろう 1976年、高知県生まれ。東京育ち。日本大学商学部会計学科卒業。アルバイトや派遣社員をしながらヨーロッパとアフリカを旅する。小説家を目指していたが挫折。2009年9月、夏葉社起業。著書に『父と子の絆』(アルテスパブリッシング)、『長い読書』(みすず書房)などがある。

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