第11回 始業式の日
去年のクリスマスに、息子はサンタさんから『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ キングダム』をプレゼントしてもらったが、一日やると飽きてしまい、それから実に三ヵ月以上もそのあたらしいゲームソフトに触れなかった。もちろん、二歳下の妹も手を伸ばさず、『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ キングダム』は二十四本のNintendo Switchのゲームカードがぎっしり入っているふたりのゲームソフト入れのなかで、毎日抜き出され、戻される『マインクラフト』や『スプラトゥーン3』とは対照的に、来る日も来る日も同じ場所にあり続けた。
二〇二五年の四月、長男は小学校五年生になり、長女は小学校三年生になった。
始業式の日、ほとんどの親と同じように、ぼくと妻は、子どもたちの新年度の担任はだれで、彼らのあたらしいクラスメートはだれなのか、朝から気を揉んだ。
ただ、ほとんどの親とひとつ違うのは、ぼくが全校生徒たちといっしょに始業式に参加しているということだった。
娘は二年生の一学期から、学校に行きたくないといい出すようになった。
最初はたんじゅんに、あたらしい先生に馴染めないのかなあ、と思っていた。
あたらしい先生は一年生のころの担任と比べると体育会系で、競争のなかで子どもたちの能力を伸ばすというタイプの先生だった。
漢字の丸暗記。九九の早覚え。連続大縄跳び。こうした記録がはっきりと出るテスト、チャレンジに遊びの要素を加え、子どもたちをやる気にさせ、毎日クラスを盛り上げた。
先生の教育方法は経験に裏づいた明快なもので、すくなくない子どもたちは一年のあいだに驚くほどの成長を見せた。
叱るときは、親であるぼくが目を伏せてしまうほどに厳しく叱った。でもそれは理屈の通った叱責であり、どの生徒もそのことを根にもつことはなかった(すくなくとも、ぼくにはそう見えた)。
でも、娘にはそのすべてがいやなようだった。競争もいやだし、記録がはっきりと明示されて、それがクラスメートに知られるのもいやだし、もちろん叱られるのもいやがった。自分が叱られるのも、だれかが叱られるのも、彼女にとっては大きなストレスだった。
一学期はそれでもほぼ毎日学校に通ったが、夏休みが明け、二学期がはじまると休みがちになり、ぼくが娘の机の横にいないと、授業に参加できないというふうになった。その授業のあいだも、帰りたいといって廊下に出たり、教室のうしろをひとりでぶらついたりした。
クラスメートはみな、やさしかった。が、娘は心の内をだれに打ち明けることもなく、最終的には一週間に一回、給食のときだけ学校に来るというようになった。
二年生の三学期がはじまると、徐々に授業に出られるようになったが、そのすべての授業に父親であるぼくが付き添わなければならなかった。いちばん長いときは、一時間目から五時間目まで、ぼくは彼女の横にいて、図工の手助けをし、算数と国語の授業のあいだは持ってきた本を読み、給食のあいだに近所のファミリーマートで買ってきたパンを廊下で早食いした。
三年生の始業式の日は、二十分ほど遅れて、小学校に到着した。すでに校庭には全校生徒たちが列をつくり、どこに並べばいいのかわからないでいると、娘の二年生のときの担任が微笑みながらやってきて、プリントに印刷されたあたらしいクラス名簿を娘に手渡してくれた。
ぼくは急いでそれに目をとおし、娘と仲のいい友だちの名前を発見して、「よかったね」と彼女のちいさな背中を撫でた。
全校生徒たちはもう、昨年と同じクラスではなく、あたらしいクラスの一員として列をつくっていた。彼らは朝礼台に立つ先生の話を聞きながら、つい先月まで同じクラスメートだった友だちの姿を隣の列に見つけて、目配せし合ったり、手を振り合ったりしていた。
ぼくと娘があたらしい三年生のクラスの列のいちばん後ろに並ぶと、すぐに何人かの女の子がぼくたちに手を振ってくれた。
「◯◯ちゃん、◯組なんだよ」
近くの女の子が、娘とさして仲のよくない女の子の情報を娘に小声で教えてくれた。
娘は緊張した面持ちで頷いた。
(続く)

しまだ・じゅんいちろう 1976年、高知県生まれ。東京育ち。日本大学商学部会計学科卒業。アルバイトや派遣社員をしながらヨーロッパとアフリカを旅する。小説家を目指していたが挫折。2009年9月、夏葉社起業。著書に『父と子の絆』(アルテスパブリッシング)、『長い読書』(みすず書房)などがある。
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