講評
◎は作品掲載ありの佳作、⦿は作品掲載なしの佳作、○は選外佳作、それ以外は作品の投稿順に掲載しています。
◎「いちごジャムの詩」あられ工場
ジャムの瓶が割れる音を契機に「時」が止まり、登場人物たちの「感情」が忙しなく暴れ出すという情景が的確に描かれている。マンションの非常階段の隙間を覗くという身近な遊びから「子ども」にも、傍で話し込んでいる「母親」にも、自然と入り込んで読んでしまう。
◎「◇」更科 憬
言葉、世界の美しさに恍惚とするうちに、この詩を読んでいる世界そのものを肯定できるようになる。「))」を「二重」、「背」を「そびら」、「刃毀」を「はこぼれ」と読ませる音の指定も面白い。理想的な美しい西洋の姿と、今ある現実世界の景色が混じり合い、そのあわいを呆然と眺めているような気にさせられる。
◎「絵画を」碧 はる
プールに飛び込む足裏から、入り込んだ抽象画の感触まで生々しい。三連目の、現実の「プール」と、夢にたゆたう「抽象画」のあわいが絶妙。「どこまで泳いでゆけるだろう」という語り手の声には不安とともに、辿りついてみせる、という強い意志まで感じさせる。その語り手の声の強さが、読者の背中をも押すだろう。
◎「砂時計」三波 並
傍に置いておきたいと思わせる作品。最終行、「朝日を迎える」ではなく、「朝日を迎えるのであった」としたことで、あくまで情景描写に徹していて、夢の景色のように、朝日に照らされる自分の頭を見ているような面白さがある。
⦿「椅子」中神英子
完成度が高い分、「といった」や「だろうか」という言い切りをぼかすような書き方が勿体無い。一連目は四行目と五行目を入れ替えて、「古い伝承を告げる/強い口調だった」という書き方をした方が、場面の緊張感が緩まない。『もののけ姫』冒頭に登場する巫女のおばあさんになったような気持ちで書いてはどうだろうかと思った。
⦿「重さと軽さ」花山徳康
筆者の作品には心地よい軽さがある。渾身の力を込めた詩がある一方で、このように猫が毛糸を愛するくらいの軽さで書かれた詩があることが嬉しい。鎖のように重くなりがちな詩への愛が、ふと解放されるような快さがある。「転がるユニークな石を闇に置いて……」という詩行のナンセンスさには思わず笑みがこぼれた。
○「進め!」福富ぶぶ
膿んだ血液、「脳味噌の矯正器具」といったバイオレンスなワードが登場するものの、口調はあくまで理知的で、理科便覧の人体図を眺めているような清潔感があって良い。ほとばしる詩のエネルギーにせきたてられながらも手綱は握っている。二連目が特に独創性に優れている。
○「失楽園」碧 はる
地上に出て七日後に生涯を終える蟬から、生命を内包する宇宙と、その宇宙を内包する自然、自然を内包する神を見通す。真冬に蟬の死骸を見ることはあるだろうかと一瞬立ち止まり、あるいはこれは本当の「蟬」ではないのかもしれないとも思った(しかし私自身、アパートのベランダに落ちた蟬の死骸を放置し続けて、真冬に蟬の死骸をみることになった経験はある)。丁寧な思索の跡を感じさせる力作。
○「満ちては足りぬ」宮藤いのり
「」内の言葉が鋭くて良い。非常に具体的な描写がなされているにもかかわらず、あくまで主観を貫いていて、その奇妙なムードが、この作品は散文ではなく詩であることを明確にしている。その分、「つい先日」という冒頭が、この作品のムードを少し緩めているように感じて勿体無いようにも思った。あえて「昨日」「一昨日」「三月」とでも置いてしまった方が、全体が締まるのではないか。
○「ひだまりの詩」花野
「ひだまり」の対となるのは影ではなく「陰」で、陰と陽という法則を丁寧に形作っている。「気配にくっついて歩いた」という言葉や、「存在は」から始まる行など、一行一行の熱量が高い。「あなた」は世界そのものであり、それゆえにこの作品世界はどこか哀しく、愛に溢れている。
○「番人」中神英子
筆者の求道的な姿勢が表れており、情景に清澄さがある。読み手の心を澄み渡らせる。「番人は立ちはだかるが/いい感じだった」という、主観的な言い切りが非常に心地よい。そのため、「を感じる」「たり」という緩やかな言い方を、「がある」「である」といった言い切りの形にした方が、より洗練された空気感になる。
○「光に置き去り」宮藤いのり
「沈めた」「糞詰まり」「涙」「雨」「排水口」というワードから、水のイメージが膨らんでいく。作品に登場する恋人同士や街の景色はどこか薄暗さがあるが、最終行の「光」が闇をも肯定する力がある。句読点のない一行二十字の詩は、行の端で切り揃えたように区切りがいいが、作為的な不自然さがなく、非常に自然にやってのけた感じがある。
○「未来」愛繕夢久
目の前にある美味しい珈琲は、たしかに「未来」の象徴であると腑に落ちるような書き方だった。最終連がきちんとクライマックスになっている。最終行は最終連の最初に置けば、「薔薇」が珈琲の比喩であることが直感的に読み取りやすくなる。
○「火葬場」吉岡幸一
火葬場の焼き場を数える、火葬終了のアナウンスを待つ家族の様子など、具体的に緻密に描写しており、そこから語り手自身の心理状態を読み取ることができる。父の火葬を待っていると、背後に父にも自分にも似た顔の息子が立っている場面は、語り手と同時に恐怖を感じていた。
◯「Echo」浅浦 藻
「雨」音を思わせる緊張感が全体にある。紙の束をまとめる、トントンという音が、戸を叩く音、筆記音、足音、雨音と広がっていく。さまざまな解釈を許す、奥行きのある作品。世界観が心地よいこともあり、「だろうか」と最後に思考を読み手に委ねない方が、良い余韻が残るかもしれない。
◯「New World」村口宜史
「熱のような」詩と「氷のように冷えこん」だ世界という対極、「焼かれようとしている」少女の遺体、寒さから覚醒する少年という対極。風が吹き渡るような壮大な作品。読み手は永久の眠りについた「少女」より、眠りから覚めた「少年」の方に感情移入するため、最終連の「詩」が「永久の眠りのために」つづられるという箇所が直感的に分かりにくいかもしれない。
○「無」村口宜史
舞台の上に置かれた「座布団」と「張扇」から、「世界」が無限に広がる。講談、落語をイメージしているのだろうか。凝縮された作品であることもあり、なぜ「三つ」なのか、そこで少し手が止まってしまった。本当に講談や落語を引用した方が、この世界観が面白く活きるのではないかとも考えさせられた。
○「ツバメ」村田活彦
短い詩の中に、噓偽りのない世界が凝縮しており、石原吉郎の詩を彷彿とさせる。二連目の言葉が特に鋭い。最終連の「ツバメ」が空で輪を描くという情景から、この詩を語り終えた後に雨が降り出すような気配すら感じさせられた。
○「成長」井上正行
語り手の思索が心象風景とともに流れていく。その軌跡はまさに空へと伸びる若葉のように、苦い青さを感じさせ、タイトルがその感覚の裏付けをしている。蝶の翅、双眼、太陽と月、こぶしなど、対のものを思わせるイメージが丁寧に積み上げられており、だからこそ一つしかない「たましい」の存在感が際立つ。
○「トゲ」井上正行
一行目の言葉は、みずみずしい「アロエ」の中を、「時間」という姿のない力が循環しているという情景を思わせる。サイコロの目を数字でなく、絵柄で捉えている場面、緊張感があって面白い。さぼてんではなく、アロエであることを、情景描写によってより読み手に伝わりやすくすると、よりこの世界が活きる。
○「スパサラ記念日」緒方水花里
俵万智の「サラダ記念日」を現代詩の形で、令和版に再解釈している。「女の顔」と書くだけで、直感的に煩わしい世間の存在を知らせている点が巧みである。最初は違和感のあった「スパゲッティ・サラダ」の冷たさが、成熟とともに非常に近しい存在になっていく様子が面白い。
○「ミートボールハウスセンター」緒方水花里
作品中に登場するもの全てが食料品に見えていく。この作品を読み終えた後にも、そうした世界の見方が残像のように残る。軽快な言葉遣いは即興の空気も感じさせるが、「ミートボール」「目玉」「てんとう虫」「太陽」「トマト」など、球形のイメージを、繊細に丁寧に重ねている。徹底的に暖色系の色合いで作品世界を描いているという特色もある。
○「あさひとまど」あられ工場
「外盗」と「内盗」という謎めいた言葉が魅力的。舞い落ちる花びらではなく、「銀杏の葉」を宙で摑もうと跳び上がるという情景が、著者自身の影を感じさせて面白い。校庭で開かれる怪しい「物産展」は不思議と突飛な感じはせず、私が通っていた小学校でも同じような光景があったのではないかという気にさせられるほど自然で、夢が現実に広がっていく感じがした。
○「いたち」さかもと和子
仕掛け絵本が、廻り舞台へと変わっていく。平面の絵が、気がつくと五感を刺激する舞台装置へと変わっていて、当初明るい部屋で絵本を開いていたはずの読み手は、暗い観客席へと入り込んでいることに気づく。「鼬[いたち]」というモチーフがユニーク。「物語の主役」は鼬なのか、別の登場人物なのか、そこを明らかにする言葉を挿入すれば、より直感的にこの世界を楽しめる。
○「忘れるな、惨めな私の最後の復讐を」曲田尚生
理路整然とした罵詈雑言かと思いきや、噴き出る血を慌てて手で押さえたにもかかわらず、こぼれてしまったというような、作為的でない、生の痕跡がある。三頭の馬を揃えて走らせるような冒頭が美しい 。
○「『炎舞』の蝶へ」角 朋美
「命を焼く」蝶と、言葉を研ぎすます詩人、それぞれの真剣さが一致して、冒頭から世界に引き込まれる。火のイメージが強いために「御舟」が少し浮いて見えるので、前に、情景描写を二行くらい書き加えると、この「御舟」のイメージが活きるのではないか。
○「発狂」神崎 翔
子どもの「奇声」に「菜の花」の黄色が加わり、春の息吹とともに語り手の「狂」も芽吹いていく。三連目の「物価の高騰」への飛躍が面白く、最終連の「紋白蝶」を一連目の後に挿入すれば、二連目は蝶の言葉になるし、飛翔が三連目の「着地点」「高騰」「会いたい人」にもつながり、よりスピード感が加わるかもしれない。
「ヤンキーバージン」神崎 翔
「ヤンキーバージン」という言葉は、歌のコールアンドレスポンスの意味合いも強いようにも感じた。最終連直前の「もう/バージンじゃなかったのか」という箇所が、休符を自然と感じさせるような重みがあった。
「勇気」アリサカ・ユキ
短い作品であるが、起承転結がはっきりとしていて、一本の短編映画を見ているような読後感があった。「少女」と「わたし」が同一であることを明確にすると、より直感的にこの作品を味わえるようになる。たとえば、「わたしであるために」の一行にダッシュ線、または()を用いるという方法がある。
「さき」アリサカ・ユキ
二連目の心象描写が特に輝いている。「わたし」の罪が、やがて地上の生命全体を揺るがす「戦争」へと発展していく恐怖を丁寧に描いている。「外見を禊ぐ」という一行は、ルッキズムの風刺とも読める面白い表現である。
「オンザプラネット」早乙女ボブ
「二十二時の千代田線」というリフレインによって、この作品は声に出して読むと、まるでさびしい歌を口ずさんでいるような音になる。「無心」とは無意志であり、もはや無意志であることが生きる術となった語り手が最後走馬灯のように見るのは「生家の灯」だったという展開は衝撃的だが腑に落ちるものだった。
「塩となめくじ」長澤沙也加
体育館裏になめくじを呼び出す、という情景はそのままなめくじを想像したが、不気味に融けていくなめくじの描写に、実は人間の比喩なのかもしれないとも思わされた。最終行は、「下睫毛」を焼却炉で実際に探している様子を描写した方がより余韻がのこる。
「アイの肖像」河上 蒼
北海道の山や大地が人を形作っていくというのは、神話のように壮大で面白い。北海道での記憶をたよりに「肖像画」に塗る色を決めていく。最終連の「目玉」「眼球」は、肖像を描くのに瞳の裏側は不要なはずで、どこかバイオレンスで、不気味な余韻が残る。
「ひとりよがり」tabino
人の群れの中で生きる「僕」が、その団欒を離れ遠く羽ばたこうとする「きみ」に、自分の夢をのせている。「きみのひとりよがり では無い事を信じる」という最終行は不穏さもあるが、「きみ」の決断を信じる私の愛の詩だろうと読み取った。
「待ってよだけが言えないのは」tabino
「教えてくれないか」が繰り返されるものの、秘密は解き明かされないまま。語り手にとって「教えて」の言葉は、夏目漱石でいう「月が綺麗ですね」と同じ意味であり、恋焦がれる相手がその疑問に応えるのは、愛に「応える」のと同じ意味なのだろう。
「波浪警報」cofumi
一連目の「墓石」は「あなた」だけでなく、語り手の「心」が眠っている場所でもあるのだろう。短い作品ではあるものの、真実の愛があることを読み手にしっかりと納得させる力がある。熱情の「夕陽」と、哀惜の冷たい「月」、それらは全て海に落ちていくという書き方もうまい。
「春へむかう」雪代明希
「薄鈍色の衣を重ね」は、地面に落ちて黒ずむ桜の花びらだろうか。「紙飛行機」「紋白蝶」、花嫁の着る白無垢といった白のイメージが、詩の語り手とともに桜並木を歩きながら、死と結びついていく情景が見事だった。「死」を全身に受けながら、「明日」を夢見る語り手に、散ってはまた来年咲く桜の木の強さを見る。
「顔のない男」吉岡幸一
一度読むと、吹雪の中を歩く「顔のない男」が、読み手の胸の中でも闊歩するようになる。つまり、一度読んだら忘れられない詩ということだ。男とともに、読み手自身も顔をなくして吹雪の中を歩くような余韻を残す最終行はうまい。
「ローレライ」水井良由木
声に出して読むと、七五調のリズムが心地よく、まさに「メリーゴーランド」に乗った時の弾むような感覚を得られる。中原中也の詩のように、自然と口をついて出た歌のような雰囲気がある。メリーゴーランドに乗りにくる「人魚姫」がかわいい。
「粒子」村田活彦
一連目の「換気口」は通常の換気口ではなく、人間の「私たち」が出入りするあらゆる戸を指す。発想が面白い。説明しすぎずに、読み手に伝える絶妙な比喩である。たとえば「スクエアな箱」は、マンションや文化住宅を指すということがはっきりとわかる。
講評を終えて
表現力が格段に上がったと思わせる投稿者が多かった。
百篇の詩を勉強することより、好きな詩を一篇見つけることの方が、詩を書く人にとっては大切なのかもしれない。この投稿欄をアウトプットの場としながら、同時に自分が好きな詩を貪欲に探し続けてほしい。(マーサ)

1990年埼玉県生まれ。詩人。第五十四回現代詩手帖賞受賞。『狸の匣』(思潮社)で第二十三回中原中也賞、『雨をよぶ灯台』(思潮社)で第二十八回萩原朔太郎賞受賞。