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【連載】続・マタギの村から◎大滝ジュンコ――第49回/カミサマに行く

第49回 カミサマに行く

 私の住む地域では、昔から家族が他界すると、「カミサマ」とか「ミコ」と呼ばれる人のところへ行き、口寄せしてもらうという慣習がある。あの世での暮らしぶりや心残りを伺うためだ。その他にも悪運だとか不仲の理由なども教えてもらう、という相談役の側面もあるらしい。 
 私は以前、集落内に不幸があった際に「熊の祟りだ」と、故人とはほぼ無関係なマタギ衆のせいにしたカミサマに対して、強い疑念を持っている。しかし信じる人がいる限り批判はすまい、とも思っている。 

 昨年、爺や(義父)が他界したのだが、「そういえば、カミサマに行かねんだか?」と母ちゃん(義母)に尋ねると、死んですぐは出てきてくれないものだと言う。 
 年が明け、お彼岸が過ぎ、雪も減ってきたころ、やっと母ちゃんが「連れて行ってくれ」と言い出した。あの熊の祟りのカミサマは嫌だなあ、と呟くと、遊びに来ていた村人が「牛肉のミコか!」と笑う。通常は、故人の好きな飲食物をお供物として捧げるのだが、そのカミサマは高級牛肉をマタギ衆に要求したそう。供物は置き去るものだ。「牛肉うまいもんな」と大笑いした。今回行くのはまた別のカミサマだそうなので、少しホッとした。 

晴天が続いて雪が減ってくると、婆たちも騒ぎ出す 

 当日の朝。母ちゃんと親戚二名を連れて、私は運転手だ。私だけが初体験で、本当に爺やと話ができるのなら嬉しいことだなと思うけれど、疑念もしっかり居座る。「爺や、待ってただろか?」とワクワクしている母ちゃんを見て、どちらにせよ、初めての土着的信仰の体験を楽しめたらいいな、と軽やかな気分になる。空も快晴だし。 

 先入観からか、カミサマとは古い一般家屋の一室で口寄せするものだと勝手に想像していたのだが、神社だった。その隣の社殿に入る。神主らしきお爺さんの案内で通された待合室のような部屋には、太鼓や天狗面などが飾られていて、そこで彼と歓談する。 
 別室で装束に着替えてきたお爺さんに促され、障子で仕切られた奥の間へ通された。そこには祭壇があって、爺やの好物や酒、住所氏名を記したお布施をお供えする。お爺さんが着席する。カミサマは男性もやるのか。「故人が降りてきたらいっぱい話しかけてくれ、黙っていればすぐ帰ってしまう」と説明があり、ゆっくりと祝詞が始まった。 

 長い祝詞が続いてしばらく、隣に座る親戚が「来た、来た」と耳打ちした。母ちゃんは「爺やだか?」と声をかける。「いや婆だ」「〇〇婆だか?」「そうだ」。人物の特定方法がゆるいなあと思いつつ、死んでしまった後だから自分にはどうにもできないが、みんな元気でやっていけよ的なことを告げた後、また祝詞に戻る。 

 また「来た」と耳打ちしてくれたのだが、私には憑依の瞬間が全然わからないので助かる。今度は爺やらしかった。 
「元気でやってるか?」「おう、こっちさ来てからせわしねぐて、やっと落ち着いてきたとこだ」と夫婦の会話が始まる。目だけで訴えるような、ひどく無口な爺やだったが、よく喋る。親戚の婆が「家族のこと守ってくれよ」と言うと、「やる事ひんであっさげ。おれも忙しいんだ」と返ってきて、まさかの拒否に笑ってしまった。 

 さらに、母ちゃんが「ちゃんと食ってるんだか?」と問えば、「シャバにいだころよりも、うんめもんいっぺ食うてっさげ、心配すんな」とのこと。「あれ? マジか!」とつい口から出てしまった。嫁いで十年、食事の支度をしてきたのは私だったから、不意打ちの流れ弾をくらった気分。まあでも、母ちゃんを安心させようとする言葉であるわけだから、まあいいや。最後には「世話になったな、元気でやれよ」と締めくくる。わからないこと、わかりようもない事だからこそ、このような慣わしに需要があるのだろう。 

 憑依されている最中のカミサマは、両掌を組んで同じテンポで腹をドンドンと叩いている。猫背のうずくまった姿勢がひどく自虐的に見えて、痛そうだからもう無理しなくていいのに、と心配していると、なんと三人目が現れた。今度は孫爺やだという。「孫爺や」がどの続柄を指す単語なのかピンと来ず、ポカンとしていると、すかさず母ちゃん、「〇〇爺だか?」「そうだ」と、あの展開。このやりとりはオレオレ詐欺を一瞬彷彿させるのだが、話す内容は「家族仲良くしろよ」「腰を冷やすな」といった始終平和的な言葉が続き、祝詞に戻って口寄せは終わったのだった。 

初めてのカミサマでは、狛犬が出迎えてくれた 

 母ちゃんは「あんなにな。爺や、えらい喋ったな」と大満足な様子。家に戻って夫に報告すると、「〇〇(親戚の婆)は、カミサマの先生ださげな」と言う。熱を上げたり執着した結果、詳しくなった人を「先生」と揶揄するのだ。そういえば、また別のカミサマに行くと言っていたし、身近な風習なのだな。 
 子どもの頃に遊んだ「コックリさん」を思い出した。自分の意思ではない、関係者でもない誰かの客観的な言葉で、様々なことを腑に落とすための装置なのだろう。ただ私も含め、それらを信じきる人々は明らかに減少していて、世代間ギャップは大きい。かつては近隣各所、暮らしに馴染んできたカミサマは、今や絶滅危惧文化のように思えた。

大滝ジュンコ

おおたき・じゅんこ 1977年埼玉県生まれ。新潟県村上市山熊田のマタギを取り巻く文化に衝撃を受け、2015年に移住した。