第53回 極楽は過酷な仕事のあとに
シナノキ樹皮の仕込みも終盤を迎える頃、一年で最も過酷な仕事「シナ剝ぎ」の日がやってきた。終盤に設定したのは、精魂尽きてもいい状態で迎えたかったからだ。今までのように仕込み期の最中にシナノキの皮を剝ぐ作業を行うと、疲労とダメージが癒えないまま仕事は続き、意欲の低下も尾も引く羽目になっていた。
それがどうだ、順序を替えただけで「これさえ乗り越えれば!」と力が湧くではないか。
今年は土日の二日間。一日目は峠の山に向かう。チェーンソーやバールなどの道具の他に、昼食やおやつ、ウォータークーラーなどを軽トラに積んだ。頂上付近まで車で移動して駐車し、そこから荷を担いで二十分ほど峰を歩くとシナノキが生えた場所がある。夫が先週のうちに偵察してきてくれたのだった。
シナノキは崖っぷち、かつ急斜面に生えていて、かなり危険な場所だ。このような地形の場合、伐採してから皮を剝ぐのではなく、立木のまま根本のあたりの樹皮をめくり、そのまま斜面を登りながら幹の上のほうまで樹皮を剝ぎ、最後に幹を切り倒す、というのが危険回避と省力のためのセオリーだ。しかし、今年助っ人に呼んだ人は、シナ剝ぎは初めてだが林業経験者だったため、謎のやる気をたぎらせていた。指示やセオリー無視で、伐採した木をパワフルに崖から引き上げている。無駄に疲れるだろうが、無事ならまあいいか。

剝いだ樹皮が貯まってきたら、比較的なだらかな斜面へ運び、地面を利用して、樹皮に全体重をかけて揉む。その後、素材に適さない鬼皮部分を取り除く。ひたすらこの作業を繰り返す。この調子でうどんを打ったら良いコシが出るだろうな、と思いながら作業するうち、真っ白く光る樹皮がうどん生地に見えてきた。あ、お腹が減ってきたのか。山じゅうに響くよう「休憩しようー!」と大声をあげた。
お互いを労い合い、笑い合い、褒め称えながら、西陽が傾きはじめる頃まで山での作業は続いて、十三リットルのウォータークーラーもちょうど空っぽ。収量も上々で、無事に下山した。

翌日は村の奥にある、かつて田んぼだったところの際にあるシナノキを剝がせてもらった。遠い御先祖さまが植えた樹らしい。もう自分では行けないが、きっと今頃は成熟しているはず。みすみす期を逃すのももったいないから、「おめさん、剝いでこい」という婆のご好意に甘えさせてもらった。
村の近くだからと、昨日より気軽に考えていたが誤算だった。林道から足場の悪い藪の急斜面を下ること二十分。そのへんの草や若木を命綱のように摑み、ずり落ちながら現場へ向かう。こんな道、樹皮を担いで帰れるのだろうか……。
シナノキは山の際に沿って、でっかいセロリのように立派に株立ちして点在していた。気温は三十五度。耕作放棄地は草藪。容赦なく陽が照りつける。日陰はこのシナノキか、今来た急斜面しかない。これは昨日とは違う厳しさだ。足場は平地で楽だが、昨日の筋肉痛と疲労が加わっている。作業スペースの草刈りをし、伐採、皮剝ぎ作業を進めた。暑いので一気に皮剝ぎし、村に持ち帰って、屋根のある我が家の車庫で鬼皮取りをする作戦だ。
作業が進めば、当然、木陰はどんどん減っていく。温んだ飲み水もどんどん減る。昨日採った分と合わせて、一年分の収穫高になったな、とメドが立つころ、私たちの気力体力も悲鳴をあげてきた。そろそろ昼時だ。村の近くということで、今日は家で昼食をとる段取りだから、そのまま引き上げよう。帰りは崖を登るのではなく、草原を越えて川(山熊田川)を越えた先の道まで樹皮を運ぶことにした。崖の上に停めた車を取りに行く班と、樹皮を運ぶ班とに分かれる。
みずみずしい樹皮は重い。先導の夫が草藪を刈って道を作り、私たちは樹皮数枚をズルズルと引きずりながら川の手前まで運ぶ。何往復もした。汗と樹液でびしょびしょになっているはずが暑さで速乾、体は火照り続けている。流れ穏やかな川の水量は少なく、深いところでも腰ぐらい。樹皮の根本を束ねて脇に抱え、長靴のままザブザブ川を渡り始めた。
不意打ちの極楽だ。逃げ道を失って溜め込んだ体内の熱が、一気に清流で冷やされる。川の水は真夏でもとても冷たいこともあって、熱だけでなく、疲労までも吸収してくれているようだ。最後にこんなご褒美タイムがあったなんて。
樹皮を道まで運び終えて、川に戻った。今度は頭からザブンと飛び込んだ。「はあー」と温泉に浸かるオジサンみたいな声が漏れる。最高だ。猛暑の中、頑張ってよかった。ただ飛び込んだだけでは、この快楽レベルには至らない。

村に戻ると、なんと、近所の爺や婆たちが鬼皮取りの手伝いにと待ってくれていた。私たちは昼食、昼寝後に合流だ。おかげで日暮れ前には終えられて、外でそのままプシュッとビールを開ける。今日剝いだシナノキの家の婆は、「オレが死んでもおめさん剝いでくれよ」という。
爺や婆たちから文化を引き継いで、今生きている皆で飲む酒はありがたさひとしお。作業を終えた安堵も相まって、「よかった、幸せだ」と皆で笑い合った。

おおたき・じゅんこ 1977年埼玉県生まれ。新潟県村上市山熊田のマタギを取り巻く文化に衝撃を受け、2015年に移住した。