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【BOOKS】やなせたかし著/新装版『わたしが正義について語るなら』◎松永裕依子 

アンパンマンが示してくれた本当の正義   

 子どもたちのヒーロー「アンパンマン」の作者・やなせたかしさんが九十歳のとき、正義について語ってほしいという依頼に応えて本書はできあがった。やなせさんの考えるほんとうの正義とはどういうものか、誰にでもわかるやさしい言葉で綴られている。ときに他を寄せつけない厳しさ・硬さのある言葉の印象とはまったく異なる、控えめで温かみのある、やなせさんの「正義」。それはむしろ愛や自己犠牲、勇気といった意味あいに近い。 

 1973年、五十四歳のときに書いた幼児向けの絵本『あんぱんまん』のあとがきに、すでにこのメッセージははっきりと示されている。 
〈ほんとうの正義というのは、けっしてかっこうのいいものではないし、そしてそのためにかならず自分も深く傷つくものです〉 
〈あんぱんまんは、やけこげだらけのボロボロの、こげ茶色のマントを着て、ひっそりと、はずかしそうに登場します。自分を食べさせることによって、飢える人を救います。それでも顔は、気楽そうに笑っているのです〉 
 続けて、〈さて、こんな、あんぱんまんを子どもたちは、好きになってくれるでしょうか。それとも、やはりテレビの人気者のほうがいいですか〉と問いかける。 

 やなせさんが描く正義の味方は、スーパーマンやウルトラマンのように、敵対する悪とはなばなしく戦って勝つヒーローではなく、おなかをすかせ泣いている子どもたちを助けてくれるヒーローだった。この最初の絵本でもっとも描きたかったのは、顔がなくなりエネルギーを失って失速するあんぱんまんの姿だったのだと、本書で語っている。こんな正義の味方を、やなせさん以外のどんな大人が考えついただろう。 

 絵本『あんぱんまん』は、主人公がかわいくも格好よくもなく、大悪評だった。顔を食べさせるなんて残酷だとか、もっとメカを使ったりして勇ましい話でなければウケるはずはない、などとくに大人には評判が悪かった。それが今日のように誰もが知るキャラクターになったきっかけをつくったのはほかでもない、小さな子どもたちだった。 

 出版から約五年、表面的な変化はないものの、水面下で何かが動く気配があった、という。幼稚園や保育園では『あんぱんまん』が人気で、図書館ではいつも貸し出し中。新刊を入れてもすぐにボロボロになるという話が耳に飛びこんできた。アンパンマンを最初に受け入れたのは三歳から五歳の幼児。まだ言葉もおぼつかない、何の先入観ももたない赤ちゃんたちが、この絵本の最初の読者にして判定者だったのだ。 
 こうして、本書ではアンパンマンが次第にキャラクターとして確立されてゆく過程とあわせて、幼少のころのことや戦争体験について、漫画・作詞のほか数多く請け負っていた舞台やテレビの仕事、雑誌『詩とメルヘン』編集長としての活動など、それまでの波乱に満ちた道のりが流れるように語られ、ささやかな自伝としても読むことができる。 

 なお、本書はもともと十五年前、小学校高学年向けに『未来のおとなへ語る』というシリーズの一冊として刊行され、その後まもなく新書化、さらにこのたび新装版として刊行された。新装版のカバーには「2025年・春 朝ドラ『あんぱん』モデル」の文字がくっきりと記されている。 
 これを機会に、やなせさんの思いのこもった他の作品についても、さらに多くの読者が得られるようにと願う。愛と勇気をもつみなしごを主人公とした絵本『やさしいライオン』『チリンのすず』、二十二歳で戦死した弟へのレクイエムとして書かれた詩画集『おとうとものがたり』……。深い余韻を残す美しい物語から、作者の心の奥の哀しみとやさしさが伝わってくる。 

新装版『わたしが正義について語るなら』 

やなせたかし 著  

ポプラ新書 979円(税込)  

やなせたかし

1919(大正8)年高知県生まれ。東京高等工芸学校工芸図案科(現千葉大学)卒業。1973年雑誌『詩とメルヘン』をサンリオより創刊。1988年アニメ『それいけ! アンパンマン』が放映され爆発的な人気となる。作詞家としての代表作には「手のひらを太陽に」、アンパンマンの主題歌など。絵本には『チリンのすず』『やさしいライオン』(ともにフレーベル館)など数多くの名作がある。2013年没。 

松永裕衣子

まつなが・ゆいこ 1967年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。千代田区・文京区界隈の中小出版社で週刊美術雑誌、語学書、人文書等の編集部勤務を経て、 2013年より論創社編集長。