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【BOOKS】平久美子著/『ネオニコチノイド 静かな化学物質汚染』◎松永裕衣子

世界で規制が進む危険な農薬を、なぜ日本は推進するのか?  

 1990年代初頭に登場した新たな農薬、ネオニコチノイド系殺虫剤。従来の農薬に耐性をもつ害虫にも効き、植物への浸透性が高いため、一回散布すれば長期間殺虫効果が持続する。稲や野菜、果物、茶など重要な農作物に幅広く使用可能で、アブラムシやウンカ、カメムシ、シロアリ、カミキリムシなど多くの害虫を防除できる。しかも人体や脊椎動物、生態系への影響は少ないと信じられていた。その殺虫効果の高さから、発売後またたく間に世界各国に広がり、以後も種類や品目を増やしつつ、現在100ヵ国以上で使われている。 

 ところが島根県宍道湖では1993年にネオニコチノイドの一つ、イミダクロプリドが使用された後、ウナギとワカサギ、シラウオの漁獲量が激減する現象が起こった。餌となる動物性プランクトンが減少した結果、間接的に魚類がいなくなったことを地道な調査の末つきとめ、2019年に学術誌『Science』に発表したのは、宍道湖の研究をライフワークとする東京大学の山室真澄教授だった。 
 また、2000年代からは世界各地でミツバチの大量失踪・大量死が報告されるようになった。ネオニコチノイドとの関連性が指摘されているのは周知の通りである。 

 一方、人体への影響についてはまだ広く知られているとはいえず、どのような危険性があるかを明確に認識している人は少ないのではないだろうか。 
 本書では1990年代後半以降、群馬県で発生した農薬の空中散布による中毒の事例が詳しく紹介されている。ヒトの尿からはネオニコチノイドが検出され、その濃度は年々上昇しつつある。血液中にネオニコチノイドが存在すれば、血液脳関門を経て脳に移行することもわかってきた。また2019年には獨協医科大学の市川剛医師らにより、胎盤を通過することが示された。発達期の神経細胞に機能変化・形態変化をもたらすと警告する識者もいる。 

 いまや〈食品残留も当たり前になってしまった〉と、著者の平久美子医師は語る。2016年に北海道大学の池中良徳准教授らが実施した調査では野菜や果物のほか、とくに市販の茶葉やペットボトル入りの緑茶から100%検出されている。日本人が食物を通じて摂取するネオニコチノイドの値は欧米諸国と比べ、極めて高い。 

 ネオニコチノイドとはどういう性質をもち、長期的にどんな影響をもたらす物質なのか。どこまで調査・研究が進んでいるのか。世界各国の状況は、そして日本の対応は?……。 
「有機農業ニュースクリップ」が公表している関連年表を見ると、世界が全面使用禁止や規制強化に進むなか、日本は毎年複数のネオニコチノイド系農薬を次々と新規登録し、使用を推進していることがよくわかる。加えて近年、各食品の残留基準値の大幅引上げに踏み切った。日本が世界の動きと逆行している理由や、今後どうしたら本当の危機を回避できるかなど、基本的な問題について考えるうえで、本書は大いに役立つ。これまで、何人もの専門家が警告を発してきたが、ネオニコチノイドの全体像をとらえることのできる一般的な解説書はまだなかった。 

 今のまま国が認可した残留基準値を言い訳に、みなが使えば総倒れになる。そう平医師は予言する。私たちは耐性をもつようになった害虫に対応するため、この先もさらに新たなネオニコチノイドを使い、使用量も増やし続けるのか、それともまったく別の道を探るのか。 
 破滅的な状況を避けるには、著者のいうように〈使いすぎないことしか、道はない〉のかもしれない。現在、ネオニコチノイドの大半がカメムシ対策のため水田で使用されているといわれる。全国で米や野菜のオーガニック給食をとり入れる自治体が200近くまで増えているのは、子どもの発達への影響を懸念する危機感の表れといえる。化学農薬に頼らない農法を模索し続ける方向にこそ未来があることが、この国でももっと広く人々の間で共有され、国と社会全体を動かす力となるよう願う。 

ネオニコチノイド 静かな化学物質汚染 』 

平久美子 著  

岩波ブックレット 748円(税込)  

平 久美子

たいら・くみこ 1957年愛媛県生まれ。神戸大学医学部卒。専門は麻酔科学、臨床環境医学。東京女子医科大学附属足立医療センター非常勤嘱託、ペインクリニック環境医学外来担当。日本麻酔科学会認定医。日本臨床環境医学会理事、同環境アレルギー分科会代表。ネオニコチノイド研究会代表。2001年に環境農薬中毒研究を開始、環境ネオニコチノイド中毒の国際共同研究に携わり、論文多数。「浸透性殺虫剤タスクフォース」公衆衛生ワーキンググループ座長。

松永裕衣子
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まつなが・ゆいこ 1967年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。千代田区・文京区界隈の中小出版社で週刊美術雑誌、語学書、人文書等の編集部勤務を経て、 2013年より論創社編集長。