第6回 話すこと、話さないこと
2024年の4月から25年の3月までは、とにかく娘が通う小学校によく行った一年間だった。
はじめのころは、教室の前で娘と別れることができた。娘は明らかにいやそうであったが、時間が経てば、ほかの多くの子どもたちと同じようにひとりで登校できるようになると思っていた。
でも、何度付き添っても、娘は小学校をいやがり、しだいに泣き出すようになって、仕方なく、授業を受ける娘の横にすわり、彼女の様子を見守ることになった。
このことも、時間が経てば自然に解決するだろうと思っていた。が、一年経ってもまだ、ぼくは娘のとなりで先生の話を聞いている。
なにが原因なのか?
ひとつは娘の特性であるだろう。クラスのほかのみんな全員が我慢できても、娘だけは我慢できないことがある。それを、「みんなちゃんとやってるでしょ」という一言で片付けようとしてもうまくいかない。というか、うまくいくわけがない。
もうひとつは、彼女が同じ歳の子どもとしゃべることが極端に苦手なせいだ。一年経っても、クラスのどの男の子、女の子ともコミュニケーションがままならない。
家ではあんなに明るく、饒舌に話すのに、教室に入ったとたん、緊張して口を閉ざす。 おそらく、娘は場面緘黙症[ばめんかんもくしょう]という症状に該当するのだろう、と思う。
娘のことを思わない日はないし、いつも、娘の未来のことを考えている。
その思いが伝わるのか、娘はぼくのことを信頼してくれている。
もしかしたら、あまり距離が近すぎるのもよくないことなのかもしれないとも思うが、いまは彼女のそばにいて、すべての不安を取り除いてあげたいと願う。
娘の横で先生の話を聞いているとき、ぼくは自分がサラリーマンでなくてよかった、とこころから思う。後ろの時間も、前の時間も気にせず、娘のペースにあわせて、一日のスケジュールを組み立てることができる。
算数も、国語も、体育も、音楽も、生活も、英語も、日本語の授業も、全部受けた。運動会のダンスの練習にいたっては、ほぼ皆勤賞で参加し、娘の横でいっしょに毎回踊った。
退屈するときもあるが、子どもたちの様子を見ていて、たのしいと感じることも多い。 また、小学生のときにはわからなかったし、感じなかったであろうことを、大人になって理解できるということも多い。
それはたとえば、こういうことだ。
教育というのは先生が話し、児童たちがそれを一方的に聞いているだけでは不十分だ。それはぼくが大学生のときに、九十分間、経済学の話や、会計学の話を聞いて、ぼくの頭のなかにほとんどなにも残らなかったという事実が証明している(もちろん、引き込まれるように聞いた話というのもあって、それは長い間こころのなかに残る。だが、それはあくまで例外だ)。
では、先生はどのようにして子どもたちを教育するかというと、まず黒板に書いた内容をノートに写させる。次に、子どもたち自身の頭で考えさせる。そして最後に、その仕上げとして、彼らに発言させるのだ。
この「発言」がポイントなのだ、といつも思う。
子どもたちは先生に褒められようと、これまでの経験から正しい解答を導き出す。あるいは、「いいね、おもしろいね」と反応がかえってくるような、違う角度からの意見を発表する。
先生はそのアウトプットを評価する。
子どもたちは先生の言葉、表情によって自信をつけ、次の機会にも、「はい」「はい」と手をあげる。
こうした教える側、教えられる側とのコミュニケーションは、教室だけでなく、社会人になってもずっと続く。
頭のよい子は、その場で求められている発言を適切におこなうことで、上司や取引先から評価される。
でも、そもそも発言しようとしない、というひともいる。
彼らのこころのなかは、上司から見るとよくわからない。
なかには、上司だけでなく、同僚にも、部下にもこころのなかをまったく打ち明けないというひともいて、そのひとは「自分の世界をもっているひと」とか、「謎の人物」などと評される。
ぼくには、そのひとは、社内で発言しないことによって、こころの自由を保とうとしているように見える。
会社にとっては、ただの迷惑な存在でしかないのかもしれないが。

しまだ・じゅんいちろう 1976年、高知県生まれ。東京育ち。日本大学商学部会計学科卒業。アルバイトや派遣社員をしながらヨーロッパとアフリカを旅する。小説家を目指していたが挫折。2009年9月、夏葉社起業。著書に『父と子の絆』(アルテスパブリッシング)、『長い読書』(みすず書房)などがある。