月刊『望星』は2024年11月から『web望星』として再スタートを切りました。

【連載】子どもたちと話したい読書のこと◎島田潤一郎 ——第4回/やっぱり、本が読めない

第4回 やっぱり、本が読めない

 会社員生活を続けていると、自分の言語感覚が変わる。 
 みながみな、そうであるかはわからないが、すくなくとも、ぼくの場合は変わった。 
 その変化はたとえば、標準語が突然、関西弁になるとか、「ぼく」が急に「おれ」になるなどのわかりやすい変化ではない。時々刻々と、すこしずつ変わっていったのであり、自分自身でも以前と比べてどのように変化したのかはうまく説明することができない。 

 たとえば、むかしは満足にしゃべることができなかったであろう、初対面の取引先の社員と一対一で三十分以上もしゃべったとき。 
 ぼくはそのとき、特段緊張することなく、「ええ」とか、「はい」とか、「検討させていただきます」とか、「承知いたしました」などという。 
 その商談が終わったあと、上司のデスクに行き、「いま戻りました」といい、「どうだった?」との質問に、「悪くなかったと思います。二、三日以内に先方に連絡をし、進捗をまた報告します」とこたえる。まじめに。さして、深く考えもせずに。 

 そうした話し方は会社にいるあいだだけのことで、帰宅すれば、以前と同じように家族と話をするし、友人たちとも話をする。だから、「言語感覚が変わる」というのはすこし大げさなのでは? 
 そんなふうに考えるひともいると思う。 
 ぼくも、そうかもしれない、とも思う。 
 でも、サラリーマンではないひとと何を話せばいいのかわからなくなったり、母ではなく、父とだけ一所懸命仕事の話をするような自分を顧みると、やはり、自分はどこかが変わったと思う。 

 会社ではたらく自分と、プライベートの自分は別物だ。 
 そういうふうに考え、生きているひともたくさんいるだろう。 
 ぼくもかつてはそう思っていたし、「プライベート命!」とまわりに宣言していたぐらいに、仕事よりも趣味を大切にして生きてきた。 
 眠い目をこすりながら、行きと帰りの電車のなかで岩波文庫や講談社文庫を読み、休みの日には、大音量でロックを聴いた。 
 が、生活のなかで仕事の比重が増せば増すほど、趣味は以前ほどの輝きを見せなくなった。 
 それはふつうに考えれば、日々の仕事にそれだけ体力と気力を削られているということなのかもしれなかったが、見方を一八〇度変えれば、ぼくはようやく、仕事の面白みのようなものがわかってきたのかもしれなかった。 

 それまでは見向きもしなかったビジネス書を書店で買い求め(『ドラッカー名著集』だ)、そこに日々の仕事のヒントをいくつも見出した。
 その一方で、それまで愛読してきた文学書にたいして、ひとしく、「もったいぶっている」という感想をもつようになった。 
 それでも、それまでの習慣で一年に三十冊くらいの文芸書を読んだが、どの小説を読んでも、あるいは評論を読んでも、夢中になることはなかった。 
 そればかりか、そうした本を読んでいると、まれに、いまの自分の働き方を揶揄されているような気分になり、不快になった。 
 ぼくはたしかに、変わったのだ。 

 若いころに文学に夢中になり、サラリーマンとしてはたらきはじめると、だんだんと文芸書を読まなくなる、そういうひとはぼくのまわりにもたくさんいた。彼らはあるときから、いっさいそうした本を手にとらなくなり、ぼくがまだ読んでいると言うと、本気かどうかわからない口調で、「えらいな」といった。 

 ぼくも自分自身で、えらいな、と思った。 
 はたらきながら、ダンテや、トーマス・マンや、志賀直哉や、大西巨人を読むことは、かなりしんどい。 
 サラリーマンとしてたくさんのひとと対話をし、最後のメールである日報を上司と社長に提出して、最終電車のなかで読みさしの文庫本を開く。 

 さっきまでつかっていた日本語と、文庫本のなかに印刷された日本語との落差は大きく、ぼくは最初の一行がなかなか理解できない。 
 それなのになぜ、古い文芸書を読もうとしていたかというと、単純に、会社員生活にどこかしら馴染めなかったからだ。 

島田潤一郎

しまだ・じゅんいちろう 1976年、高知県生まれ。東京育ち。日本大学商学部会計学科卒業。アルバイトや派遣社員をしながらヨーロッパとアフリカを旅する。小説家を目指していたが挫折。2009年9月、夏葉社起業。著書に『父と子の絆』(アルテスパブリッシング)、『長い読書』(みすず書房)などがある。