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【連載】子どもたちと話したい読書のこと◎島田潤一郎 ——第2回/「ざっくりいうと」

第2回 「ざっくりいうと」

「ざっくりいうと」 

 初めてその言葉を聞いたときの驚きは忘れられない。 
 それはたしか2005年のことで、翌週の会議で、転職してきたばかりのそのひとは、「ざっくりいうと」だけでなく、「大ざっくりにいうと」ともいった。 

「聞いた? 大ざっくり、だって」 
 同じ会議に参加していた同僚とさっそく喫煙所で、「大ざっくり」について話した。 
「たぶん、前にいた会社ではみんな使ってたんじゃないの?」 
 同僚はぼくほどには気にならないらしく、それよりも、なぜ彼女がこの会社に転職してきたかのほうが気になるようだった。 

 彼女は明らかにぼくたちとはタイプがちがった。服装もちがったし、しゃべり方もちがった。それはもしかしたらオフィス内だけのことで、ほんとうの彼女はぼくたちと同じようにビールを飲みながら学生時代のモラトリアムをなつかしがったり、会社帰りに新宿のタワーレコードに立ち寄って、ストレス解消のためにCDを何枚も買ったりしているのかもしれなかった。 

 でも、すくなくともぼくたちの前では彼女はそうではなかった。彼女は仕事の愚痴をいわなかったし、ぼくたちみたいに公私を混同して、夜遅くまでオフィスでおしゃべりするということもなかった。毎日キビキビと働き、会議では毎回、枕詞のように「ざっくりいうと」という言葉をつかって自分の仕事の進捗を報告した。 

 そこから先の記憶ははっきりとしないから、以下はあくまでぼくの想像である。 
 彼女がぼくたちの会社にやってきて三ヵ月後か、半年後、彼女だけでなく、ぼくたちの上司も会議で「ざっくりいうと……」という。 

 もしかしたら、上司はぼくたちの会議とは別のシチュエーションでその言葉を聞き、「ざっくりいうと」という用法が思いのほか市民権を得ていることを知ったのかもしれないし(「ほぼ日刊イトイ新聞」の初期の代表的なコンテンツである「オトナ語の謎」では2003年の6月に「オトナ語」のひとつとして取り上げられている)、あるいは、ただ単に、その言葉をつかったほうが、彼女とのあいだのコミュニケーションがスムーズであると考えたからかもしれない。 

 会社という組織に完全に馴染みきれなかったぼくは、意地悪く、「聞いた? さっき上司もつかったね」と喫煙所ですぐに同僚に話しかけたかもしれないし、あるいは、もうその言葉にたいしてなんの違和感も感じておらず、上司がその言葉をつかったことにすら気づいていなかったかもしれない。 

 ぼくは自分がいつ、その言葉を用いて、自分の仕事の報告をしたのか、まったく覚えていない。おそらく、なんの抵抗も感じないくらいに自然に、ある日、「ざっくりいうと……」と自分の仕事の報告をしたのであり、そのときは、ぼくの部署にいたすべての人がこの言葉を用いてコミュニケーションをしていたのだと思う。 

 言葉は流行する。 
 それは小学四年生の長男が友人たちとしゃべっている様子を見ているとよくわかる。彼らはやたらに「論破」というし、「あおる」というし、「チートすぎる」(「ありえない」くらいの意味だ。たぶん)という。 

 ではあのころ、「ざっくりいうと」という言い回しが、ぼくの部署でも流行っていたのだろうか? 
 100%違う、とまではいわないが、そうではないように思う。 

 会社でつかう言葉というのは、学生時代の言葉とはちがうし、ましてや、ぼくが好きな文学の世界ともちがう。 
 最初は違和感を感じる。でもそうした言葉をつかったほうが、上司や同僚とのコミュニケーションが円滑に進むということを、入社して一ヵ月もしないうちに学ぶ。 
 それまでは「いつも大変お世話になっております」などという書き出しでメールや手紙を書くことはない。「これからもよろしくお願いいたします」ともいわないし、「弊社」とも「御社」ともいわない。 

 それらはビジネスマナーなどといわれる。ぼくは入社して名刺をもらったその日に、上司から名刺の受け渡し方を学んだ。メールの書き方にかんしても同じようなマナーがあるものだと忖度し、上司や同僚たちのメールの書き方を参考に(というかコピペをして)、失礼のないよう毎日メールを書いた。 

 そこでは学生時代に学んできた、文章を書く技術というのがほとんど役に立たなかった。 

島田潤一郎

しまだ・じゅんいちろう 1976年、高知県生まれ。東京育ち。日本大学商学部会計学科卒業。アルバイトや派遣社員をしながらヨーロッパとアフリカを旅する。小説家を目指していたが挫折。2009年9月、夏葉社起業。著書に『父と子の絆』(アルテスパブリッシング)、『長い読書』(みすず書房)などがある。