月刊『望星』は2024年11月から『web望星』として再スタートを切りました。

【BOOKS】山川徹著『鯨鯢の鰓にかく』◎佐藤康智

激動と葛藤の〝鯨合戦〟史 

 日本の捕鯨問題といえば、料理漫画の定番『美味[おい]しんぼ』(作・雁屋哲、画・花吹アキラ)の「激闘鯨合戦」回をまっさきに思い出す。という人は、とくに私くらいの世代(私は1978年生まれ)に多い気がする。ちなみに私は先にテレビアニメ版で見て、のちに漫画版を読んだ。 
 主人公の山岡が、捕鯨反対派のアメリカ人・ジェフくんに、騙し討ちで鯨を食べさせ、その旨さに気づかせるという、手荒すぎる展開には引いたが、日本の捕鯨が危機に瀕していることを知り、子どもながらに考えさせられた。 

 漫画版の「激闘鯨合戦」が発表されたのは1987年。「今年から日本は、沿岸捕鯨を除いては、一切の捕鯨ができなくなったんです」という山岡のセリフにもあるように、捕鯨に関する国際ルールを決めるIWC(国際捕鯨委員会)が採択した商業捕鯨モラトリアムに従い、南極海での商業捕鯨が中止となった元年である。 

 その後、日本は南極海での調査捕鯨時代を経て、2018年にIWCを脱退し、翌年から日本の沖合に限る母船式商業捕鯨を再開する。捕鯨をめぐるフェーズは激変した。本書はその「鯨鯢[けいげい]の鰓[あぎと]にかく」(鯨に吞まれそうになるがアゴにひっかかって首の皮一枚で助かる)ような航跡を、長期にわたる取材を通して追ったノンフィクションである。 

 著者は捕鯨母船に三度も同行取材し、共に生活しながら、船員たちの思いを聴く。鯨を探す者、捕る者、さばく者、それぞれの磨き抜かれた働きぶりを活写する。伝わってくるのは、何ヵ月も陸を離れて海に生きる彼らの真摯な〝ワンチーム〟感だ。 

 また、鯨類学研究者・大隅清治[おおすみ・せいじ]の歩みを軸に、IWCと日本との関係の変遷をたどる。大隅は鯨を持続可能な資源として科学的に管理しようと訴えてきた。IWCも発足当初は同様の意向だったのだが、70年代に鯨がカリスマ動物として受け止められ始め、潮目が変わる。まるで思いつきでものを言う嫌な上司みたいに、IWCは論点をころころ変え、日本を翻弄するようになった。 

 一方で著者は、日本側の過ちからも目をそらさない。主に60年代の日本で行われていた、捕獲頭数の改竄[かいざん]と隠蔽[いんぺい]工作の詳細からは、当時の捕鯨会社と水産庁との、いけ好かない〝ワンチーム〟感が伝わってくる。そういった「暗部」を指摘する鯨類学者・粕谷俊雄[かすや・としお]にインタビューし、大隅の捕鯨観と粕谷の捕鯨観とのあいだで著者が葛藤するくだりは、本書最大の読み所に思えた。 

 反捕鯨団体・シーシェパードのエピソードも、妙に印象深い。ある時、捕鯨船内に侵入してきた活動家に、監視にあたった船員が何気なく『もののけ姫』のDVDを貸してあげた。活動家は映画を観て「日本最高」と喜んでいたという。自然を守るべく人間に立ち向かうヒロインのサン(もののけ姫)に、捕鯨を妨害する我が身を重ねたのかもしれない。 
 がまあ、誰がサンで誰がエボシかはさておき、捕鯨賛成派と反対派、かつての調査捕鯨と現況の商業捕鯨、はたまた大隅と粕谷のあいだで心揺らし、悩みつつ、一つの結論に至る著者の姿は、主人公・アシタカのようにも見えるのだった。 

『鯨鯢の鰓にかく 

山川徹 著

小学館  1980円(税込)

山川 徹

やまかわ・とおる 1977年生まれ。ルポライター・ノンフィクション作家。主な著書に『カルピスをつくった男  三島海雲』(小学館文庫)、『国境を越えたスクラム──ラグビー日本代表になった外国人選手たち』(中央公論新社、2019年)、『最期の声 ドキュメント災害関連死』(角川学芸出版、2022年)など。 

佐藤康智

さとう・やすとも 1978年生まれ。名古屋大学卒業。文芸評論家。 2003年 、「『奇蹟』の一角」で第46回 群像新人文学賞評論部門受賞。その後、各誌に評論やエッセイを執筆。『月刊望星』にも多くの文学的エッセイを寄稿した。新刊紹介のレギュラー評者。